2023年5月7日 復活節第5主日礼拝
聖 書 ローマの信徒への手紙13章8~10節
説 教 愛の負債
1.愛の負債
本日は、ローマの信徒への手紙13章8節から10節で説教します。短い文章です。
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
とくに、8節「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」ですね。
わたしたちは、誰かに対して負い目を持っています。この「借りがある」は、負い目とか負債と言ってもいいかと思います。金銭的なこと(借金ですね)、これは返せばイーブンになります。ほかに、恩という負い目があります。恩を返すとか恩返しといいます。神様の恵みを「恩寵」といいます。恵みであり、慈しみでもあります。恩には、「恩を着せる」とか「恩に着る」、「恩を仇に返す」という言葉もあります。「恩を着せる」とは、恩を施したことについて、ことさらにありがたく思わせようとすることですし、「恩に着る」は受けた恩をありがたく思うことです。
とくに「借りがある」という言語ギリシャ語の言葉は、マタイによる福音書6章12節、主の祈りで祈る「我らに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」と同じ言葉です。文語訳の主の祈りは、「罪」と訳され、そのように祈りますが、新共同訳では、「負い目」と訳されています。また、「赦す」というギリシャ語は、帳消しにするとか、借金を放棄するという意味があります。
わたしたちは、お金にしても恩にしても、負い目を感じたり卑屈になったりすることがあります。しかし、聖書は言います。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」と。そのように、わたしたちのこころに語りかけるのです。すなわち、愛に関しては大いに借りをつくりなさい、ということができるのではないでしょうか?
先週礼拝後、仙台青葉荘教会の教会総会がありました。一年間の教会の活動報告と会計収支決算報告の承認と今年度の事業計画と予算案の審議及び承認でした。守られ感謝いたします。教会の会計決算と予算は、教会員である皆さんの献金です。何か収益をあげる活動をしているわけではありません。
また、同じ週、5月4,5日ではゴールデンウィークの後半でしたが、週報にありますように、東北教区総会が山形にて開催されました。教区総会は、南東北3県、宮城、福島、山形の3県にある80余の教会伝道所の牧師、信徒の代表が集まります。コロナ前は、当仙台青葉荘教会にて開催されていましたが、3密を避けるため教区総会会場として貸し出しをしませんでした。青葉荘教会の礼拝さえも、対面で行うことなく、you tubeでの配信だったのです。
2.東北教区総会で受けた恵み
教区総会では、執行部の選挙があります。そのほかに多種多様な教区の活動の報告と会計決算、また今年度の活動計画と予算案の審議です。教区の予算は、80余の教会・伝道所からの分担金です。各個教会の経常収入、これは献金ですが、に応じて、分担金が課せられるのです。
教区総会での報告は、教区の活動だけでなく、関係団体と言って、キリスト教主義の大学や幼稚園、保育園の報告もあるのです。東北学院大学、宮城学院、福島県の聖光学院などの代表者が出席されて、挨拶と報告をされます。
その中で、仙台キリスト教育児院の鈴木院長の報告が印象に残りました。ご存じのように、キリスト教育児院は仙台にあって福祉の働きをしている団体です。
1905年(明治38年) 東北地方が大凶作となり、仙台市内の教会は協力して救護活動に努めました。その翌年、1906年(明治39年) フランシス・フェルプス宣教師が飢えに苦しむ孤児たち7名を救済したことで創設。国内外より多額の寄与を受けて市内北四番丁に院舎を建設する。(当時の入所人数270余名)。今では、ゼロ歳の乳児から102歳までの高齢者までを擁する自立支援・生活支援を行っています、との報告がありました。
その働きは、まさに愛による働きです。
わたしが岩手県盛岡の教会に赴任した時、牧師館からあるいて30秒ほどに宣教師館があり、そこにコーネリア・シュレーヤ宣教師という90歳になる女性宣教師が住んでいました。その娘婿は、アーミン・クレーラ―宣教師で福島県会津の農村地帯で伝道されました。会津の農村センターを設立して農村での伝道と農民への福祉のために尽力されました。
シュレーヤ宣教師は、さきの仙台と同じように、戦前の東北、岩手の冷害のために多くの餓死者や娘を身売りするような悲惨な時代でもありました。シュレーヤ宣教師夫妻は、その救済のために尽力されました。
戦時中は、敵国のスパイ扱いされ、一時牢獄に投じられ、のち、アメリカ本国に追放されました。戦後、来日。日本のために宣教活動。
GHQ総司令官のマッカーサーは、戦災で荒廃した日本のために宣教師5000人を派遣するプロジェクトを企画し、その呼びかけに応じて戦後多くの宣教師が日本にこられました。
仙台青葉荘教会が現在ある場所は、元宣教師が住んでいたところです。隣のエマオもそうですね。土地を所有していたアメリカ合衆国の教会は、日本基督教団に寄付をしたのです。仙台におられた宣教師は、ランデス宣教師、メンセンディーク宣教師ですね。
宮城県仙台市だけでなく、日本の各地で戦後、キリスト教宣教師の愛の負債があるのです。
来週は、母の日ということですが、わたしたちは母親にも大いに愛において負債があります。自分ひとりで大人になったのはありません。誰かの助け、援助、支え、背後の祈りがあったのです。自分の能力、才能、によったのではありません。それは自分を誇ることであります。神様に栄光をお返しすることが大切です。
『ペイ フォワード(pay it forward)』というアメリカ映画(2000年)がありました。その中で主人公の13歳の少年が「人から受けた親切を、その相手に返す・・・ペイ バック(pay it back」」ではなく「受けた相手に返すのではなく、『次へ渡す』・・・ペイ フォワード」と言う方法を思いついています。返せなかった恩があるなら、また別の誰かにペイ フォワードする事で「恩返し」するのです。
キリスト教の伝道、宣教というのは、そのことをいうのではないでしょうか? 自分が受けた神の愛、返すことができない莫大な愛の負債を次に渡すために。(一万タラントンの愛の負債があるのですから。)
わたし自身、多くの方から愛の負債を負っています。多くの方から祈られています。祈りもまた愛の負債でしょう。
4.愛の掟―律法の完成
8節「人を愛する者は、律法を全うしているのです」
10節「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」
全うするとは律法の精神が完成する、満たされるという意味です。愛は、律法の中心であり、神のみこころそのものということです。
イエス様のことばがあります。マタイによる福音書22章35節からです。
律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。 『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
わたしたちが受けた最大の恩、負債は、キリストの十字架による贖いです。それによって、滅ぶべき命が救われ、罪から解放され、神の国の永遠のいのちに与ったのです。
それゆえに、神を愛し、善きサマリア人のように愛のわざを行うことです。それがペイ フォワードであり、世の中が変わる出来事となるのです。先の宣教師の働きはまさに日本の文化と歴史を変えてきた人たちでした。その伝統の中にわたしたちも生きており、その信仰と精神を受け継いでいきましょう。
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