2023年4月30日 復活節第4主日礼拝

2023.0430.Syuuhou

聖 書 出エジプト記13章17〜22節

説 教 何があっても、神は共におられる

 出エジプト記を月1で講解説教しています。前回は3月26日でした。同じ12章37~51節 説教題は「まだ先が長い」でした。神が過ぎ越され、エジプトの長子のみならず動物の初子にいたるまで、ほふられた羊の血を鴨居に塗られなかった家々に神は死をもたらされたのでした。この過ぎ越しによりイスラエルが解放された出来事でした。

 その後、神は過越祭を制定されます。12章42節から、そして13章では除酵祭の制定があり、代々にわたって守るべき祭りとするように定められたのです。こうして、1000年以上たったイエス様の時代も、この過越しは守られていたのです。この過越しの祭りの最中に、イエス様は十字架に架けられお亡くなりになり、墓に葬られました。しかし、三日目に甦られたのです。死に打ち勝たれました。ハレルヤ!

 今もユダヤ人は、過越しの祭りを守っています。しかし、キリスト教は過越しの祭りは、イエス様が復活されたことを記念する代々に亘って守る日となったのです。そこに、神のご計画がありました。

 さて、解放されたイスラエルは、どこに向かうのか。もちろん、神様が示される父と蜜の流れる地、カナンの地です。現在のイスラエル国です。神がアブラハム、イサク、ヤコブに与えると約束された土地であります。

 17、18節をお読みします。

さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプト に帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。

せっかく奴隷状態から解き放たれて自由になったのに、神様はまっすぐにカナンに導かれなかったというのです。最短距離のペリシテ街道ではなく、わざわざ遠回りの荒れ野の道に迂回させられたのです。

ラメセスが出発地ですね。(出エジプト記1章11節)イスラエル人はラメセスに住まわせられていたのです。

出エジプト記12章37節

イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。

これは、前回説教しました。17節

神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。

地図をご覧ください。聖書の一番うしろに聖書地図があります。参考に見てみましょう。今日は、その地図をプロジェクターで見るようにしました。

直線距離では、最短距離(航空線)は 422.58マイル(680.08 km) 

最短ルートは847.73 km 道路 

 高速道路で仙台から神戸の手前くらいの距離です。

 この道をアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフたちが通った道です。イエス様も赤子の時に、ヘロデ王の虐殺から逃れて、ベツレヘムからエジプトに行かれました。 

一日20キロ歩くと40日くらいでカナンに到着するでしょう。男だけで60万人、女こども、動物がいますから、せいぜい、いちにち10キロとしても、3か月足らずで行けます。その距離を40年かかるのです。気の遠くなるような話です。

ちなみに芭蕉は46歳の時、奥の細道の旅にでます。江戸から仙台、松島、奥州平泉を経て最上川、象潟、酒田、新潟、金沢をとおって大垣まで全長約2400Kmを156日かけた旅でした。

1.神のご計画

聖書に登場する人々は、近道でなく、人生の回り道をした人々であるとわかります。

アブラハム ―75歳で神の召命を受け、旅に出、神の約束である息子イサクを25年後の100歳で与えられました。

ヨセフ ―17歳でエジプトに売られ、3年間は奴隷、10年は犯罪人として獄中、13年の後の30歳で最少となりました

モーセ ―40歳から40年の荒野生活の後、80歳から40年間神に用いられました

ダビデ ―17歳で油を注がれ、13年に及ぶサウル王の嫉妬と迫害の後に、王とされました

パウロ ―ダマスコ途上で主と出会い、3年アラビアに行き、さらに14年後に使徒と認められ、異邦人伝道に遣わされました。

神は、人をイージー、つまり容易ではない困難な道に導かれます。ストレートではない。不思議ですね。神様の方法で、信仰者に最善を与えられるのです。しかし、人はそう受けとめない。

アブラハム、イサク、ヤコブは、何度もエジプトとカナンを往復しています。

2.葦の海に通じる荒れ野の道

 神のご計画は、遠回りであり、葦の海に通じる道。そこで起こる出来事。葦の海の奇跡がそこにある。14章です。

3.ヨセフの遺骨

 19節

「モーセはヨセフの骨を携えていた。」

 これはヨセフの遺言でもありました。創世記50章24~26節

「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。ヨセフはこうして百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた」

 このヨセフの棺は、モーセの従者ヨシュアによってカナンの地に葬られます。

ヨシュア記24章32節

イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。

4.神が共におられ、神と共に歩く道

20節以下

神はもっとも困難な道に導かれます。しかも、40年。しかし、神が共におられるゆえに、その道は、神と共に歩く道でもあります。

 困難の道ですが、神が共におられるゆえに、もっとも安全な道なのです。詩編23編

主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行く時も、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。

 むしろ、容易(イージー)な道は危ない道でもあるでしょう。神様を求めることなく、自分の力で歩ける道だからです。困難な道、それが遠回りの道だったとしても、神を求める道として、神が共におられ、神と共に歩く道なのです。それが信仰です。

「鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」

(ヘブライ人への手紙12章11節)

思い通りにいかなくても投げやりにならないこと。腐らない、すねない、ふてくされない、いじけない。

大切なことは、神がともにおられる。神が味方、助け、ちからを与えてくださる。今まで不可能と守っていたことができるようになる。理想、希望、目標、目的が実現する。

 成熟、成長する。忍耐し、神からくる鍛錬に耐えること。

準備ができた。さあ、行こう、出発だ。

何が整ったのか? 昼は雲の柱、夜は火の柱として、臨在される主なる神。神がともにおられる。その神は、エジプトに対して、勝利された神。ご自身の威光を現し、エジプトの王ファラオを屈服させられた神。その神がともにおられる。その信仰。従順。神の言葉に聴く。これが備えです。

わたしたちにとって、出エジプトの出来事は、3000年以上も昔のことです。しかし、神は永遠におられる。天地創造以来、神は人間を見つめ、守られている。

信仰者と共におられ、ご自身を現わしておられる。

出エジプトを導かれた神、イエス・キリストとなられた霊なる神がいまもおられるのです。何があっても、神は共におられる。これは確かです。希望を持ち、神とともに歩むことを確認して進みましょう。

礼拝後、教会総会があります。一年守られたことを感謝し、これからの一年を昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、あなたのご臨在をあらわし、守り、助け、お支えください。すべてに主の栄光がありますように。




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