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2022年6月19日 聖霊降臨節第3主日礼拝

2022.0619.Syuuhou

聖 書  出エジプト記5章1~6章1節

説 教  誰と駆け引きするのか

 月に1度、旧約聖書から礼拝説教をしています。今日は、5章からですが、その前の4章では、神はモーセをエジプトに派遣しようとされます。モーセはいやいやでしたが神様からなだめすかされて、ようやくエジプトに戻ります。途中、神様から殺されそうになりますが、妻のツィッポラの機転により救われます。兄のアロンと出遭い、共にエジプトに下るのです。そこでイスラエルの長老たちに神のご計画を告げ知らせて、受け入れられます。こうしてモーセとアロンはエジプト王ファラオのもとに行き、イスラエルの民を去らせるように交渉するのです。

 本日からしばらく、エジプト王ファラオとモーセとアロンの交渉が続きます。その中で、イニシアティブは神が持っておられることを証明していくのです。

 5章1節以下を読みましょう。

 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」 ファラオは「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。

 モーセとアロンは、まずファラオのもとに赴き、交渉します。いきなりイスラエルの民を去らせてくださいというのではなく、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい。

 神の言葉をそのままファラオに告げるのです。荒れ野で祭りを行うとは、3章18節の神が予めモーセに言われた通りの言葉です。

「しかし、わたしは強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている」ですね。

 ここで犠牲を献げるとは、礼拝行為です。(2022年2月27日の礼拝、3章14~22節。説教「はじめの一歩」参照)

現代的に解釈すれば、独裁的な権力をもった会社のオーナー経営者と労働者の代表の労使交渉を見る思いですね。その労使交渉の内容は、賃上げ、労働時間の短縮、信教の自由の確保です。とくに信教の自由の確保のために強い交渉をするのです。エジプトの偶像宗教から、唯一のまことの神様を信じ、礼拝する。約3600年前以上も昔のことです。休みと言えば、盆、正月でしかない。これは日本の封建社会です。エジプトのような奴隷制社会では、日の出から日の入りまで休むことなくこき使われていたかもしれません。それを3日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてくださいと要求するのです。

ファラオは取り合いません。権力者は奴隷の言葉に耳を貸さないのです。むしろ、意地悪になり、さらに過酷な労働を強いるようになるのです。4節以下ですね。

イスラエルの労働はれんが造りだと分かります。建設業従事者です。レンガ造りには、わらを混ぜてレンガの強度を保っていたのですが、わらは資本家である使用者側が材料を渡していたのです。しかし、モーセの申し出で、強化材質を提供することなく、今までと同じれんがを造れと命じるのです。12,13節ですね。19節まで。

6節、10節「民を追い使う者」「下役の者」

他の訳では、「民を使う監督」エジプトの下層官僚、「人夫がしらたち」とあります。  

奴隷の中から選ばれてエジプトの協力者とする。

 本日の説教題は「誰と駆け引きするのか」です。駆け引きは交渉術です。自国あるいは、自分に有利になるように交渉する。そこには力関係の認識が必要です。(ロシアとウクライナが交渉していますが、うまくいきません)

エジプトは、超大国です。あのエジプト文明を築き、大ピラミッドを幾つも建設した絶大な経済力と科学、軍事力、政治力を持っていました。またエジプトは宗教において多神教で、いくつもの神の偶像が造られ、崇められていました。その中で、ファラオは生ける神、まさに現人神として崇められたのです。いまファラオは、そのことを自覚して言うのです。もう一度、2節を読みましょう。

「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」

神であるファラオと奴隷の民族であるイスラエル。力は明らかに雲泥の差があります。ファラオにとって「主」とは奴隷の神です。神様を侮っているのです。これはエジプト王ファラオの主なる神への挑戦状です。

それに対して、イスラエルの神は奴隷の神です。しかし、そこに神、アブラハム、イサク、ヤコブの神としてご自身を現わし、歴史と世界を統治される全能の神であられるのです。

やがて、これからイスラエルの神こそがまことの神、全能の力を持った神であることを

エジプト中に、そしてイスラエルにおいても示されるのです。

ヨセフがエジプトにいた時は、王に次ぐ大臣としてエジプトに君臨していましたが、ヨセフが死に、ヨセフのことを知らない王が統治するようになると、イスラエルの人たちを奴隷状態にして抑えつけたのです。ヨセフの死後、約400年がたち、イスラエル民族は数が増し加わりました。強制労働から解放されたいと神に訴え、ようやく聞き入れられたのです。モーセを指導者として立てられたのです。

モーセを通して、ファラオと交渉しているのですが、どんな交渉か? 神のご計画はイスラエルの救いであり、最終目標はエジプト脱出です。出エジプトなのです。しかし、いきなり、つまりはじめからエジプトを去ることはありません。聖書は男だけで60万人と記されています。60万のイスラエル、しかも成人した男だけで60万人ですから、女性と子どもを合わせればその2倍から3倍となるでしょう。子どもは一人とは限らないのです。2人、3人いれば2倍以上の人口になります。

 それだけの数のイスラエルがエジプトを去ることは、大変なことです。モーセは一時、エジプトを逃げます。これは逃亡ですね。個人では可能であって、60万の集団でエジプトを去るのは容易なことではありません。労働人口が減少することでエジプトの経済は崩壊してしまうのです。奴隷の人口によってエジプトは成り立っていたのです。

 

 さて、誰と駆け引きするのか。ここでは、ファラオはモーセと駆け引きをするのですが、その背後に神がおられます。ファラオは、本当は、神と駆け引きをしているのです。

ファラオは自分を神と見做しています。しかし、ただの人間です。朽ち果て、滅ぶべき人間にすぎません。

 神はそのファラオを頑なにされます。これから章を進むにつれて、神はモーセを通していくつもの奇跡、しるしを行われます。10のしるしです。それでもファラオはこころをやわらげることなく、神に敵対し、反抗するのです。

 ファラオは神と駆け引きします。最終的にイスラエルは紅海を渡り、乳と蜜の流れるカナンの地に導かれました。解放されたのです。エジプトは神の前に敗れ、滅びるのです。

6章1節にある通りです。

 その姿は、本当はわたしたち自身でもあるのです。わたしたち自身もまた、心頑なな者でありました。神を信じるに素直ではなく、反抗的でした。

 わたしたちもまた、神と駆け引きしていたのです。何をめぐって駈け引きしたのか?

いのちか滅びか、です。しかし、神の御子イエス・キリストにあって、わたしたちは救われたのです。こころの頑なさから聖霊によって柔らかくされ、罪を悔い改め、キリストの十字架の血潮の贖いによって、永遠のいのちをいただく信仰を与えられたのです。これは恵みです。主を賛美します。ハレルヤ!