2022年5月15日 復活節第5主日礼拝

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聖 書  ローマの信徒への手紙8章31~39節

説 教  神が勝利を与えられる

わたしたちの日常は、勝ち負けの世界であります。勝負の世界です。野球が好きな人は、毎晩、テレビのスポーツニュースを観ては、ひいきにしている球団が勝ったか負けたかを知るのが日課でしょう。勝てば、気持ちのいい眠りにつくことができるでしょうが、負けると悔しくて、寝付かれなくなることもあるでしょう。野球に限らず、サッカー、ラグビー、相撲、テニス、ゴルフ、スポーツの世界は勝ち負けをはっきりさせるのです。

 戦争も勝ち負けをはっきりさせます。そのために人殺しを大量にしなければなりません。

 戦争においては、戦略のひとつとして、誰を味方につけるかが重要となります。孤立しては、戦争に勝つことはできません。安全保障の条約を結んで、同盟関係を強くします。この同盟関係によって戦力が拮抗すると、容易に戦争ができないようになります。

かつては、対立関係がありました。ファシズム対民主主義、20世紀後半は、共産主義と資本主義の対立でした。またイスラム原理主義と自由主義国との対立もありました。

さて、信仰においても、勝ち負けがあります。わたしたちは、日々、信仰において、勝ち負けを経験しているのです。いかがでしょうか? 

わたしたちが戦う相手とは誰ですか? 

わたしたちの敵とは誰でしょう?

1.戦う相手は誰?

日本の諺に、「男は(家の)外を出れば8人の敵がいる」。そんなことわざがありました。しかし、今は、外だけでなく、家の中にいても、敵がいるかもしれません。家庭内暴力、DVです。夫と妻が、親と子、兄弟が憎み合い、戦う時代です。そんな日本の社会です。もちろん、すべてではありません。一部です。しかし、これが目立ってきているのです。毎日のように、こうした事件が起こっています。家族が味方ではなく、敵。これでは、何のために生きているのか、判らなくなります。

学校でもそうですね。生徒同士ではいじめ、先輩と後輩のしごき、教師と生徒のスパルタ教育の名のもとに虐待が行われています。パワハラ、セクハラ、モラハラというハラスメントがあります。ハラスメントとは、いやがらせ、いじめのことです。

 わたしたちは、誰を味方にしているでしょうか? 誰を敵としているでしょうか?

家庭で夫と妻が、親と子が、嫁と姑が敵でなく、味方である。同じように、教会も牧師と信徒、役員、教会同士が仲良くする。祈りあい、支えあう。

敵を作るのは、サタンです。人間が憎み合う、争う。一番喜ぶのは、サタンです。仲良くしているところに、割り込み、不信と争いの種をもたらし、植えつけ、成長させるのは、サタンです。毒麦を植えるのです。

教会においても、サタンが働いています。教会の中でさえも、敵と味方を分けようとする働きがあります。それは分裂分派ですね。パウロは、語っています。人間の肉的なわざであると。注意しなければなりません。

2.神が味方である

聖書、ローマの信徒への手紙8章31節には、こう記されています。

では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

 

わたしたちは、「神が味方である」ということを忘れていることがあります。

味方とは、ひとたび異変が起こると、一緒になって戦ってくれる勢力のことです。同盟関係なのです。信仰によって、神がわたしたちの味方になってくださったのです。

ロシアがウクライナ侵攻して2か月半が経ちました。ウクライナの背後には、強力なNATO アメリカはじめヨーロッパの自由主義、民主主義国のバックアップがあります。容易に負けない。専制主義、独裁主義に負けてはならない。

一方では、侮(あなど)りがたい敵がいます。手ごわい敵です。今まで、勝つことがなかった無敵艦隊のような敵です。誰でしょう。サタンですね。

映画や小説のようなフィクションでは、サタンは全能の神のような力をもって現れます。

どんな正義、善的な勢力でも、このサタンの力の前では打ち勝つことができない。そういう映画と小説があります。好き勝手に暴れまわります。東日本大震災のように、すべてを崩壊させ、粉々に破壊します。

 正義が通用しない。悪がはびこる。そういう世界です。

 わたしたちは、サタンによって赤子のように捻じ曲げられてしまいます。弱い存在なのです。サタンはわたしたちの力をあざ笑い、軽く打ち負かします。

 ゴリアテはダビデをあざ笑いました。

その通りなのです。しかし、神は一時的に、サタンの勢力が栄えることを許しておられるだけです。ナチス・ドイツも、(ファシズム)軍国主義・日本も勢力を伸ばしたのは、一時的でした。ロシアの攻撃、破壊も一時的です。勝利は、自由主義側にあります。民主主義国にあるのです。

そして、最終的な勝利は、神にあるのです。神がわたしたちの味方となってくださいました。サタンの力も、神の前では無に等しいのです。神は、全能の神です。

3.どのようにして、神が味方となられたのか? 

キリストのゆえです。32節

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

 キリストを信じる信仰のゆえに、神はキリストと共にすべてのものを与えてくださるのです。すべてのものです。神は、ご自身の御子をさえ惜しまずに、わたしたちのために与えてくださったのです。御子イエス様は、十字架の死に渡されましたが、復活し、死をも打ち勝たれたのです。ですから、御子イエス・キリストと共に、すべてのものを信じるものに与えてくださったのです。

 わたしたちは、かつては自己中心で、自分が軍事政権の中枢にいました。罪の奴隷、サタンに支配され、そのことを理解せず、サタンのお先棒をかついでいたのです。その終わりは、滅びです。

 罪の中にいるとき、闇と破壊、自己自身が滅亡する危機の中にいました。そのわたしたちに、キリストは平和の使者として十字架につけられたのです。

 キリストの十字架によってしか、真の平和、真の平安、いのちは見出せません。

 キリストの前に、無条件降伏、明け渡しすることによってしか、わたしたちは、平和をえられないのです。

神に負けることで、わたしたちはサタンに打ち勝つのです。

神の御前にいることで、神と同盟を結び、神を味方とすることによって、サタンという闇と死の勢力に戦うことができるのです。

4.キリストと共に

 神が味方であることは確かです。これがわたしたちの信仰です。しかし、注意しなければなりません。神様を偶像化しないことです。神を物扱いしないことです。

 よくお守りやお札、護符を信仰の対象とする風潮があります。厄除け、魔除け、開運、加護。人間の誘惑です。それは聖書信仰とは異なるものです。

 祈り、勝利の祈願もその一種です。ロシアとウクライナ。同じキリスト教国です。ロシア正教とウクライナ正教。もともとロシア正教ですが、ウクライナ正教として独立し、今は対立しています。戦争に勝つように聖職者が先頭に立って神に祈願しています。神様はどちらに勝たせようかと迷われるでしょう。

 

 旧約聖書に次のような箇所があります。サムエル記上4章です。イスラエルとペリシテ軍との戦いで、神の箱を運んできたのです。神の箱とは、神がモーセを通してイスラエルに与えられた契約の箱です。神聖な箱です。その箱には、神様がじきじき書き、刻まれた十戒の石板が入っているのです。4章4~10節

  兵士たちはシロに人をやって、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから担いで来させた。エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約 の箱に従って来た。主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた。ペリシテ軍は歓声を聞いて言った。「ヘブライ人の陣営にどよめくあの大歓声は何だろう。」そして、主の箱がイスラエル軍の陣営に到着したと知ると、ペリシテ軍は、神がイスラエル軍の陣営に来たと言い合い、恐れて言った。「大変だ。このようなことはついぞなかったことだ。大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ。ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え。」

こうしてペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスじゃ死んだ。

ホフニとピネハスは祭司です。聖職者です。

神の箱が奪われる。前代未聞です。この後どうなったのか? サムエル記下6章。ダビデの時代に戻るのです。その後、ダビデはエルサレムに神殿を築き、神殿の中心に神の箱、契約の箱を安置するのですね。

神が味方である。しかし、神は偶像ではない。祈りは魔術ではない。戦勝祈願のように神を動かす。戦争に勝つのではなく、人間の愚かさが戦争を行わせる。血を流し、いのちを失う。神が望まれることではないのです。人間の欲望、罪が原因です。それを信仰の名のもとに美化してはならない。そう信じます。

 十字架のイエス様のみこころ。これがわたしたちの信仰の祈りとなるのです。

先ほど申しました。繰り返します。

 キリストの十字架によってしか、真の平和、真の平安、いのちは見出せません。

キリストの前に、無条件降伏、明け渡しすることによってしか、わたしたちは、平和をえられないのです。神に負けることで、わたしたちはサタンに打ち勝つのです。

神の御前にいることで、神と同盟を結び、神を味方とすることによって、サタンという闇と死の勢力に戦うことができるのです。

全能の神がわたしたちの味方となっておられるのです。力を与え、支えてくださいます。その神に信頼し、祈りと信仰をもって、日々歩みましょう。勝利は約束されているのです。

契約の箱

 出エジプト記31章18節

主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。

32章15、16節

モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。




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