2020年6月7日 聖霊降臨節第2主日礼拝

2020-0607

2020年6月7日 聖霊降臨節第2主日礼拝

聖 書  ヨハネ16章25~33節

説 教  世に打ち勝たれたキリスト

 

主題「世に勝たれたイエス・キリスト」

いかに

死に勝たれた 復活によって

世の罪と義と裁きを明らかにされる 聖霊によって 

最後の裁きはキリストにある 再臨、世の終わり、神の国の統治

 

1.世に勝つ力

今日の説教の題名は、「世に打ち勝たれたキリスト」です。15章、16章はイエス様の遺言です。まもなく、この世を去られる。つまり、十字架の死が待っているのです。この言葉から数時間後にはイエス様は捕縛され、裁判に遭い、十字架刑に処せられるのです。

「世に勝っている」 世の人々、すなわち、イエス・キリストに敵対している人たち、イエス様を十字架につけたひとたちは、言うかもしれません。「世に勝っている」と言うけど、負けているじゃないか。そう反論するかもしれません。しかし、死に打ち勝たれた。復活された。これがキリスト教なのです。死が最後ではないのです。信仰者には感謝があります。不平不満で悪態を吐いてばかりいる。そうではないのです。

キリスト者は、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」 Ⅰテサロニケ5章16節ですね。この信仰に生きています。そうでしょう。

喜び、祈り、感謝がある。

喜ぶ―キリストが復活された。死に打ち勝たれた。イエス・キリストを信じるわたしたちにイエス様は約束された。罪赦され、滅びから永遠のいのち、神の国の恵みを与えられた。

祈る―イエス様を通して、父なる神に祈ることができる。天地創造の神様をアッバ父よと、呼びかけ、祈ることができる。そのさいわい、喜びです。

感謝する― 信仰を分かち合う祈りの友がいること。教会があることを感謝する。家族がいることを感謝する。自分だけのちからではない。祈りがあり、支え、励まし、慰めてくれた。

感謝する― 神の国の永遠のいのちに与っている。すなわち、神の国の世界が開かれている。霊の世界を知り、見ている。このことこそが一番大切ないのちなのです。

世とは、イエス様を受け入れず、真理の御霊を受け入れようとはせず、自分の力で立とうとする世界です(14:17)。この外の世界に対して聖書は、ただイエス様を神から来られた方として受け入れ、信じることだけが命と光の領域に入る道であると、宣べているのです。

イエス様が最後の晩餐の席にあって、世に残される弟子たちのために語られていますね。弟子たちがこれから立ち向かっていく「世」において、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と語られるのです。

どのような状況にあっても、死から復活して世に打ち勝たれたイエス様のうちにとどまること、ここに勝利の秘訣があります。どのような困難な状況が襲ってきても、そこからもう一度、元の世に戻ることなく、イエス様によって与えられ、聖霊によって導きを受ける命と光の領域にとどまり続けることが「世に対する勝利」です。イエス様が遣わしてくださる「弁護者、慰め主、同伴者、助け主」である聖霊が、わたしたちを助けて力を与え、勝利させてくださるのです。

 

2.父の愛

ここで大切な言葉があります。同じ16章の23節、24節にイエス様は「わたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる」と言われました。「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」のです。

それは、父なる神がイエス様を通して、わたしたちを愛しておられるからです。神の愛が注がれている。神が遣わされた神のひとり子であるイエス様を信じ、受け入れた時、それは同時に神を信じることでもあります。神を信じると言いながら、神が遣わされた方を受け入れなければ、神はお怒りになるだけです。

父の愛がある。すばらしいことです。

 

3.開かれた次元がある

トゥルニエという牧師であり、精神科の医者の言葉です。彼の著書に「人生を変える」という本があります。その本にこのような文章があります。

「人生が変えられるために、苦難や苦労なしでは開かれない世界がある」という文です。

この言葉で人生について、信仰について、いろいろ考えることがありました。つまりこういうことです。苦難や苦労を通して初めて、わたしたちの目に見える世界とは別の世界が開かれるということです。そして、その世界が開かれることによって、わたしたちの人生が変えられるのだと。その別の世界とは、永遠の世界、神の世界、霊的な世界ということです。神の領域、バシレイア、神の国の世界と言ってもよろしいでしょう。

新型コロナ・ウィルス感染の恐怖が全世界を襲っています。まさしく、苦難、苦しみです。

なぜ、神様はこういう疫病を全世界にもたらされることをなさったのだろうか。そう深く考えます。世間のひとたち、ここでいう「世」は神とは関係ないことだというかもしれません。しかし、ここでも神様が深くかかわっておられることを信じるなら、そこにも意味があるはずなのです。神のご意志、神のご計画、十字架との深いかかわりです。

それは、わたしたちが普段見ようとしない世界です。普段の世界とは、物質的な要求と追求の世界であり、従ってそこにはモノ、カネ、成功といった価値観が主流となります。

それに対して、永遠の世界、神の世界とは心の領域であり、精神的、さらにその奥にある霊の世界・領域なのだということです。そして、その価値観によって生きているのが、キリスト者である。そのことです。

わたしたちキリスト者は神を信じ、主イエス・キリストの恵みによって生かされている。その世界です。つまり、わたしたちキリスト者はすでに変えられているのです。そして永遠の世界、神の世界、霊の世界、そういう領域に生きている。そう言ってよろしいと思います。

クリスチャンとは、新しく生まれ変わった者のことです。イエス様の言葉

「誰でも水と霊によって生まれ変わることがなければ、神の国に入ることができない」

水と霊、洗礼と神様の霊である聖霊によって、生まれ変わっている。洗礼は、イエス様を信じ、悔い改め。悔い改めとは、後悔しなさいということだけではありません。方向転換なのです。

こちらの方向に生きていた。かじ取りをして、別の方向に向かう。この世のことではなく、神の国、霊の国、精神の深み、心の世界に踏み込む意志が必要なのです。

コロナという疫病、災害が襲ってきても、多くのひとたちが苦しみ、たえがたい試練の中にあっても、その病によって、肉体的には弱くなっても、こころと精神は強くなり、普通の人が見ることがないものを見るようになった。それは神の世界、霊の世界です。そのことによって、つまり、人生の土台を主イエス・キリストに移し変えて、そこに平安と感謝、喜びを持つ者と変えられた。キリストを通して苦しみが喜びに、苦難が感謝に、試練が忍耐を通して成熟へと変えられた。これがクリスチャンです。わたしたちもそのようなものへと変えられた者なのです。ハレルヤですね。

コロナ・ウィルス感染拡大で世界が恐怖に陥っています。日本はようやく非常事態宣言が解除されましたが、いつ2次感染、3次感染が襲ってくるかわからない。完全に終息したわけではないのです。

それでも、わたしたちキリスト者はキリストにあって世に勝っているということができます。それが信仰です。




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