2022年11月20日 降誕前第5主日礼拝

2022.1120.Syuuhou

聖 書  出エジプト記12章1~28節

説 教  始まり

 本日の説教題は、「始まり」としました。何の始まりか? 救いの始まりです。そのことを共に考え、主なる神の救いを理解し感謝し、ほめたたえましょう。

さて、聖書 出エジプト記12章の小見出しには、「主の過越し」とあります。長い段落ですが、3つに要約されます。

1.過越しの祭日の定め

 1、2節

「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」とあります。

わたしたちが普段用いるカレンダーは1月から始まります。世界共通のカレンダーです。一年365日で、一月一日が一年の始まりであり、ここからスタートするわけです。

 日本は、かつては太陰暦を使っていました。中国や韓国のようなアジア諸国も太陰暦でした。そのため旧正月がいまでも大々的に祝われます。日本は少ないですね。正確には太陰太陽暦というそうです。

 世界が使っているのは、太陽暦です。これはグレゴリオ暦と言います。ローマ教皇が制定しました。それまでは、ユリウス暦がありました。16世紀のことです。以来、太陽暦、グレゴリオ暦はキリスト教の、そして、世界の共通のカレンダーとなったのです。

 しかし聖書は、この過越しの月を正月と制定します。太陰暦。今から3200年以上の昔のことです。アビブの月(ニサンの月)と言います。ユダヤ暦と言います。

3節 

 イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。

 

10日から準備の期間です。そして、14日から21日までを酵母を入れないパンを食べる。14日の夜、主の過越しの日です。この日から21日までの7日間を除酵祭とするように神が定められたのです。

6~8節

それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。

 このユダヤ暦は、今日の太陽暦に直せば3月中旬から4月の中旬となります。わたしたちキリスト者がレント(受難節)から、受難週、十字架の死、三日目の復活の40日間を過ごします。この復活日は、「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」と制定されています。3月21日の春分の日が基準なのです。

 出エジプト記12章に記されている過越しとイエス様の受難日、すなわち十字架に架けられ死なれた日、この日が過越しの日と同じです。なぜなら、イエス様は過越しの日に十字架に架けられたのです。このことについて、次回の説教でもう一度取り上げる予定です。わたしたちキリスト教信徒にとって大切なことなのです。

2.永遠の定め

 14節「この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない」

「代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない」新改訳

「代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない」(口語訳)

17節、24節と3度繰り返されています。

 子々孫々にわたる定めです。 

  この出エジプトの出来事は、BC.1200年頃の出来事と考えられています。今は、2022年です。ユダヤ人およびユダヤ教の人たちは、現在もこの過越しを守り、祝っているのです。実に、3200年以上に亘って守られています。

  

3.主の過越しの定め―犠牲と救い

 では、この過越しとは何か。

 聖書は、犠牲と救いについて記しています。

21節

モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。

27節

『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたので ある』と。」民はひれ伏して礼拝した。

存在していないものを呼び出して存在させる神(ローマ4:17)

無から有を呼び出される神。(口語訳)

 この神様が過越しという出来事を通して、エジプトに捕らわれているイスラエルの民を解放し、救われたのです。これが出エジプトです。その救いのみわざを神が行われた。過越しの制定はイスラエル民族と神との関係を想い起し、代々に亘って神のみわざを想い起し、感謝するのです。それはイスラエル民族の始まりの自覚と認識を新たにしつつ、代々に継続するいのちの祭なのです。

 その過越しは、死といのちの選択です。小羊の血を鴨居に塗った家には、神は過ぎ越されますが、血が塗られていない家には、長子に死が訪れるのです。

小羊の血が死と命を分けるのです。

本日は、ここまでといたします。

次回、小羊の血が死といのちを分ける意味を理解したいと思います。

 小羊の血をほふり、その血がいのちと死を分ける。神のさばきと救いのみわざであります。その小羊の血こそ、神の子イエス・キリストの十字架を意味します。

 これは新約の恵みですが、すでに全能の神は出エジプトにおいて、ご自身を現わしておられるのです。

 祈ります。




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