2022年2月27日 降誕節第10主日礼拝

2022.0227.Syuuhou

聖 書  出エジプト記3章14~22節

説 教  はじめの一歩

月に1度の出エジプト記の講解説教です。前回、1月30日では、「神のお名前」と題して説教しました。神様のお名前はヤハウェです。ほとんどそのお名前で呼ぶことはありませんね。わたしたち新約聖書に生きるクリスチャンは、「父なる神様」、「天のお父様」とお呼びします。固有名詞としては、イエス様です。これが教会の信仰です。三位一体の神としての御子イエス様です。

1.神の決意とご計画

 本日の聖書、その神様がモーセに現れてエジプトに奴隷状態になっているイスラエルの人々を解放し、乳と蜜の流れるカナンの地に脱出させる。16、17節ですね。とくに17節

あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。

これが出エジプト記の中心的なテーマです。それは、神が愛の神、恵みの神であるからです。アブラハムを選び、イサク、ヤコブと祝福を与えられた神が、彼らへの約束-契約により、その子孫に対して、祝福を与えようとされるのです。出エジプト記は、神の全能のちからが具体的にあらわされるのです。

モーセに顕現された神がご自身の名前を啓示された、その次のことが記されます。神はモーセに命じされます。16節からですね。そこには、神の派遣。アブラハム、イサク、ヤコブの神としての神がモーセに現れ、エジプトにいるイスラエルを救い、助け、導かれる。乳と蜜の流れる地へと導かれるということです。

2.神の救いの計画の目的

 その神の救いの計画の目的が18節に記されています。これが大切なことなのですね。救いには目的があります。救いや助けが最終的な目標ではないのです。あとの章になりますが、神の偉大な奇跡を通して、イスラエルの民はエジプトを脱出します。救い、解放へと導かれるのです。しかし、それが最終目的ではありませんでした。救われ、解放されても、それで万事が解決したのではないのです。「めでたし、めでたし」ではないということです。

 あらたな試練、苦難が襲いかかってくるのです。わたしたちの信仰生涯も同じです。では、目的とは何か?

「主に犠牲をささげる」ということです。

18節

彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに 出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』

 他の翻訳された聖書を比較しますと次のようになります。

 『ヘブルびとの神、主がわたしたち に現れられました。それで、わたしたちを、三日の道のりほど荒野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください』と。(口語訳)

 「私たちの神、主にいけにえを献げさせてください」(聖書協会共同訳、新改訳)

 

「いけにえを献げる」、「犠牲をささげる」という言葉です。創世記全50章を講解説教してきました。その時に何度も繰り返して強調しましたね。「祭壇を築く」ということですね。祭壇を築いて、いけにえをささげる。アブラハム、イサク、ヤコブが行き先々で行いました。祭壇を築くということ。それは、神への礼拝行為です。

 神がモーセに命じられたのは、イスラエルの民がまことの神にたいする礼拝を求められたのです。実は、400年の空白があり、祭壇を築くという記事は聖書にはないのです。

 「3日の道のりほどの荒れ野に行かせて」

  エジプトを脱出する計画ではない。エジプト王へのささやかなお願い。

 つまり、ヨセフが奴隷と売られてエジプトに下りました。その時、ファラオが見た夢を言い当てたことにより大臣に抜擢されます。飢饉のときに、ヤコブたち一族郎党がエジプトにくだり定住します。それから400年たつのです。

400年後のイスラエルの民、男だけで60万に増えました。エジプト王が替わり、虐待されるようになります。その400年の間、イスラエル民族の信仰については不明です。祭壇を築き、いけにえをささげる礼拝行為について聖書は記していません。奴隷状態になった、祭壇を築くこともできなかったでしょう。神を自由に礼拝する。これこそが天地万物を創造された神が、イスラエルの民に求められることです。400年の空白期間があるのです。忘れられたのではないのですね。

 そして、すべてのひとが神を信じ、礼拝をささげる。これこそが神の求められることです。神を神とすること。第1戒。神を第一とすること。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる神を愛すること。

 このために、神はイスラエルの民をアブラハム、イサク、ヤコブの祝福を与えると約束された契約を果たそうとされるのです。

3.はじめの一歩

 19節ですね。

 「しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王は行かせないことを知っている。わたしは自ら手をくだしあらゆる驚くべき業をエジプト中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう」

 様子をうかがう。ファラオの態度を見る。超大国です。ロシアがウクライナに侵攻しました。圧倒的な軍事力をもって、戦車、戦闘機、ミサイルでウクライナを攻め込んだのです。

風前の灯です。

 神のご計画は超大国エジプトにおいて、圧政下にあり強力な軍事力をもつファラオの思いを変える。それは、人間の力ではありません。神への信仰と祈り、神の御手がエジプトに下り、神の驚くべき業が起こるように見せていただく。

 まさに、エジプトで起きたことが、ロシアとウクライナの間でも起こるように、祈ります。

 神は生きておられます。正義と愛と憐れみの神が世界にその正義と愛を遍く告げ知らされますように祈ります。

 今日の説教は「はじめの一歩」です。神はこれからエジプトで行おうとされる計画をモーセに知らされます。「強い手を用いなければ、エジプト王は行かせないことを知っている」とあります。いきなり、強い手を用いられないのです。天地万物を創造された神ですから、御心なら一瞬のうちに人間も世界も変えることがおできになります。

 これから4章5章と見ていきますように、神は計画の実現のために少しずつ、徐々にご自身の御力を現わされます。何度も申しますが、いきなり、すぐにではないのです。

 なぜでしょうか。神のご計画は測りがたいのです。ただ、言えることは、人間が神の少しの力でも見ることができるなら、そのことによって悔い改め、神に立ち返り、神の御心に沿った生き方に向かうためだと信じます。神の奥義をお見せになるには、その時が必要なのです。

 

 わたしたちはすでに神の奥の手、はじめの一歩ではなく、神の奥の手を示されたことを知っています。過越しです。出エジプト記12章まで来なくては分からないことを、すでに知っています。それは神の奥義的なものであり、小羊をほふり、その血をもってイスラエルを贖い、解放し、救う神の驚くべき手立てであります。

 この小羊は、神の子イエス・キリストの十字架となります。1000年、2000年という悠久の年月を経て、わたしたちは神の永遠のご計画を知る恵みにあずかっているのです。

素晴らしい恵み、祝福です。感謝し、主の聖名をたたえましょう。霊とまことをもって、神を礼拝しましょう。

 経綸

 

主に犠牲 祭壇の原型 出エジプト3:16~22「はじめの一歩」

      400年間、祭壇はなかった。400年間の歴史

       ザヴィエルによってもたらされたキリスト教

       徳川政権の迫害、弾圧。消えた信仰。200年間の歴史

       明治維新 キリスト教 カトリック、プロテスタント

      アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神としての顕現

       礼拝の復活、レビ人、祭司

       役割の未確立

       指導者がいなかった空白の400年

        律法がない時代。神を第一とするために。第一戒のために

        祭壇の復活、いけにえを献げるために

         エジプトも行っていた。エジプトの神




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