2021年11月28日 待降節第1主日礼拝

2021.1128.Syuuhou

聖書 ルカによる福音書1章5~25節

説教 聖所で幻を見た

 本日からアドヴェントに入りました。アドヴェントとは待降という意味で、文字通り「救い主の降誕を待つ」ことです。例年ですと、アドヴェント第3週は教会学校の生徒と教師、大人の皆さんでページェント(これは降誕劇ですね・・・)を演じていました。教会学校の生徒にとってクリスマスの大きな喜びのひとつは、このページェントにあるのではないかと思います。コロナ禍のため中止しています。

子どもたち、CSの先生の出番です。ページェントにはいろいろな登場人物がでてきます。それは聖書に記されているとおりの名前です。どんな人たちですか。

 天使・ガブリエル、マリア、ヨセフ、赤子のイエス様。三人の博士たち、黄金、乳香、没薬をイエス様に献げる役です。博士の役はいいですね。衣装が素晴らしいです。星の役もあります。イエス様がお生まれになるベツレヘムを指し示す星の役目です。宿屋さん、羊飼い、羊の群、天使の大軍。

 きらきらと輝くクリスマスの星、光です。まさにお祝いです。

あれっ、もうひとりいるの、忘れてました。さあ、誰でしょう。

そう、ヨハネです。仙台青葉荘教会のページェントでは、最初に登場するのがこのヨハネです。聖書の巻物をとって読むのです。イザヤ書ですね。多分、出る時間をはかれば1、2分くらいでしょうか。こういう言い方をすれば気まずいですが、ちょい役ですね。端役です。

 ヨハネについては、次週詳しくお話する予定です。今日は、そのヨハネの両親についての聖書の箇所です。

 新約聖書では、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4つの福音書があります。その中で、マタイとルカの福音書にイエス様の誕生物語が記されています。先ほどのページェントに出てくる登場人物は、マタイとルカにのみ記されている人たちです。マルコとヨハネにはありません。

 とくに、ルカでは、天使が現れてマリアにお告げを言います。受胎告知ですね。(絵)

よく知れわたった物語です。これもページェントに重要な場面でもあります。

 しかし、同じルカでも今日読まれた洗礼者ヨハネの誕生にまつわる天使の言葉、そして両親についてはあまり取り扱われることはありません。ページェントにも登場しません。むしろ、アドヴェントでこの箇所が説教されることは、ほとんどないのではないかと思います。なぜでしょうか? これはヨハネが端役だからでしょうか? ちょい役だからでしょうか? また、受胎告知よりも前に、最初に記されている。どんな意味があるのでしょうか。今日は、そのことを共に見てみましょう。

 ヨハネの父は5節にありますように、アビヤ組の祭司であるザカリアです。母は、エリサベト。アロン家の娘の一人とあります。アロン家というのは、名門中の名門の家です。モーセの兄がアロンですから、その直系ということができます。祭司階級のトップです。そのエリサベトは、不妊の女性でした。子どもがなく、年をとっていたとあります。

 8節以下について、ちょっと説明が必要ですね。アビヤ組、くじを引いたとあります。宝くじみたいですね。詳細は、説教原稿に記しています。お読みいただければと思います。

※1

 また、36節にはこのエリサベトとマリアとは親類だとあります。というと、マリアさんは祭司の家系、その出身ということになります。ヨセフは、マタイによればダビデ王家の血筋になりますから、ユダヤの伝統からいえば、どうなるのでしょうか? 当時は、レビ族とユダ族の結婚は許されていたのでしょうか? この辺のことを説明する註解書はありませんね。※2

さて、10節をお読みします。

 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。

 そして、21節ですね。

 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。

民衆はザカリアを待っていたとあります。香をたくだけですから、それほどの時間はかからないのでしょう。いつも祭司が聖所に入り、出てくるのを見知っていた民衆は、その時間がいつもと違うので不思議に思いました。何があったのでしょうか。天使とザカリアとのやり取りはどのくらいの時間だったでしょう。

 22節 やっと出てきたザカリアは話すことができなかったのです。ザカリアは身振りで示すのですが、口が利けないままだったのです。

 そのことで、民衆はザカリアが「聖所で幻を見たのだと悟った」のでした。

 その幻とは何だったでしょうか。天使が現れ、ザカリアと語るのです。11節から20節に記してある天使とザカリアの会話です。

ザカリアが聖所で香をたいている時に、天使が現れ、香壇の右に立ったのです。11節ですね。もちろん、ザカリア以外に誰も入るはずのない聖所です。ザカリアは恐怖の念に襲われたとあります。

 天使は言います。13節から17節まで続きます。

 「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」。

 天使の言葉は、内容が2つあります。ひとつは、ザカリアの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさいということ。二つ目は、その男の子は母の胎にある時から聖霊に満たされていて、偉大な人となり、エリヤの霊と力でユダヤの民を救い主イエス様の先駆けとして備えさせるということです。

 世の終わりの時には、つまり救い主が現れる時、エリヤが現れるという預言があるのです。マラキ書です。3章23節です。

 天使の言葉にザカリアは驚き、戸惑います。18節のようにびっくりしつつ質問するのですね。自分は老人であり、妻のエリサベトも年を取っているので、子どもなどできるはずがないということです。ここは、アブラハムと妻サラのことが想い起されます。旧約聖書では、子どもがいない高齢の夫婦に子どもができること、子どもがいない妻に子どもができることが多数あります。

 そこで天使が答えます。19節

「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである」

 天使の名前はガブリエル、新約聖書でははじめてです。ダニエル書8章 16節、9章21節にでてきます。もう一人の天使は、ミカエルですね。大天使長のひとりミカエルとダニエル書10章13節、12章1節に出てきます。新約聖書では、ユダの手紙9節、黙示録12章7節です。天使にも位階があり、役割があると言われます。ガブリエルは派遣された天使。メッセンジャーです。神からのメッセージを告げる役割です。これは本題から外れますので、詳細は割愛します。

 ガブリエルのメッセージの続きは、天使ガブリエルの言葉を信じなかったため、ヨハネが生まれるまで口が利けなくなることでした。

 ザカリアは聖所で幻を見たのです。その幻は、天使と語り合ったことでした。天使のメッセージですね。話すことができなくなったとあります。意味を考えたでしょう。天使の言葉を反芻して考えた。書くことができたのだから、話すことはできなくても、何があったのか、皆に知らせることはできたはずです。それをしなかった。なぜか? 

妻の妊娠を知り、日々お腹が大きくなってきた。天使の言葉を繰り返し、考えた。天使が目の前に現れて、高齢の妻に子を宿していること。その子が聖霊に満たされていること。

そして、その子が救い主の先駆けであること。しかも、あの旧約に記されているレジェンド的な預言者エリヤの再来とされること。

 ここに主なる神のご計画を示された。そのことを確信したことでしょう。イスラエルの救いがあらわされる。しかも、自分と妻エリサベトの子、ヨハネと名付けなさいと言われた、その子が救い主の先駆け、あのエリヤとなる。マラキ書に預言されているとおりになるのだと。どんなに光栄だったでしょう。神があのモーセに現れ、顔と顔を合わせるように語られたように、自分は神の使者である天使と語ったのです。

 この幻を見た、もうひとりの人がいます。だれでしょう? マタイ福音書1章にあるヨセフですね。天使が夢で現れ、「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。この子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と語るのですね。

 わたしたちは、クリスマスを迎えます。クリスマスは幻を与えられるときです。どんな幻でしょうか。救い主の到来のメッセージです。しかし、すでに2000年前に救い主イエス・キリストは到来されました。その生涯において、数々の奇跡を行い、いのちのことばを語られたのです。闇の世にあって、まことの光と真理としてご自身を顕されました。わたしたちは、そのことを信じます。ザカリアのように、不信仰のために口が利けなくなるのではなく、信じ、キリストを告白する者となったのです。

 ザカリアもヨセフも課題を抱えていました。高齢になっても子がいないこと。ヨセフは婚約していたマリアがまだ一緒にならないのに、子を宿していることを知ったことです。当時のイスラエルでは、未婚の女性が子どもを宿すということは、死刑にあうことでした。ヨセフはそのために苦悩していたのです。

 その時に、神が介入された。天使が幻のうちに現れたのです。

 わたしたち、今の時代で、いろいろと課題を抱えています。社会も個人も、新型コロナウイルス感染の恐怖、就職、進学、結婚、病気、自分の進路のこと、将来のこと、老後のこと。それらのことで迷い、悩み、重荷を負っているのです。毎日のニュースを見ると、本当にいろいろなことがあります。その中にあって、どう解決があるでしょうか。

 そのときにこそ、神から来る解決、それが神の介入であり、幻として天の使いが現れることなのです。その幻を祈り求めて行きましょう。

 H牧師のこと。

※1 祭儀を執り行う人が祭司。当時のユダヤ教祭司制度は大祭司を頂点によく整えられていました。「アロンの子らもくじによって24の組に分けられた」という歴代誌上24章の記事(その中に第八のくじに当たったアビヤの名がある)に従って、捕囚から帰還した祭司の四部族(エズラ記2:36~39)が24の組に分けられ、交代で年に2度1週間の神殿奉仕に当ったのです。祭司たちは家族と共に地方の村落に住み、当番のときにエルサレム神殿で奉仕し、一週が済むと帰郷しました。ザカリアはアビヤの組に属する祭司で、祭司の名門アロン家の娘の一人で、名をエリサベトという女性を妻にしていました。

ザカリアが属するアビヤの組に当番が回ってきて、神殿で祭儀を行う務めをすることになりました。祭司は多くいましたので、誰がどの役目を果たすかはその度ごとにくじを引いて決めました。それが「祭司職のしきたり」でした。この時ザカリアは「聖所に入って香をたく」務めを指定するくじを引き当てました。
 神殿内部は垂れ幕で奥の至聖所とその前の聖所とに区切られています。幕の奥の至聖所には年に一度、大贖罪日に大祭司が入るだけですが、幕の前の聖所には黄金でできた香壇、たえまなく燃える七枝の燭台、安息日ごとに十二個の新しいパンが供えられる供えの机があり、そこには祭司が入って香を焚き、供え物を供えるなどの儀式を行いました。

その時、天使が現れたのです。

マリアの出自については、二世紀後半に成立したとみられる「ヤコブ原福音書」が、マリアの誕生、成長、神殿での養育、ヨセフとの縁組み、イエスの出産を詳しく物語っています。そこではマリアはダビデの家系の娘とされています。しかし、この外典福音書は、始まりつつあったマリア崇拝を表現する文学作品であり、歴史的事実の論拠とすることはできません。




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