2021年8月8日 聖霊降臨節第12主日礼拝

2021-0808-Shyuuhou

聖 書  ローマの信徒への手紙4章16~25

説 教  無から有を呼び出される神

 前回の説教は、ローマの信徒への手紙4章13節から16節の初めからいたしました。説教題は「神から受け継ぐもの」でした。そこでは、三つのポイントで説教しました。①約束 ②受け継ぐもの、それは相続ということですね、③世界です。世界を相続する、それはわたしたちの信仰では、神の国であり、永遠のいのちです。

 本日は、その続きで16節から25節までといたします。本日は二つのポイントでメッセージといたします。

 1.試練 2.信じること-神の全能 創造の神  3.信じること 復活信仰 

1.試練

全能の父なる神様が信仰者に約束されたこと、そこには、神の約束に対する信頼が必要です。その約束は、聖書の言葉への信頼でもあります。わたしたちが信じるのは、神の言葉を信じ、信頼するのです。これは、親子の約束、夫婦の約束、友人との約束、恋人の約束、すべてその言葉を信頼するのですね。

 しかし、神の約束にもかかわらず、人間は神の時を待ちくたびれることがあります。神の時とは、神が約束された事柄を実現される時です。その時が来るのが遅いと感じるのです。いつまで待たなければならないのでしょうか。そう、神に訴えることがあります。時間がたち、年もとっていく。神様の約束を待ちきれなくなってしますのです。そして、とうとう自分勝手にことを行うのです。

 信仰の人、アブラハムもまた、その過ちを犯しました。創世記12章では、あなたに土地を与えると約束されました。アブラハム75歳の時です。しかし、15章では、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)と約束されました。しかし、なかなかその約束は実現しないのです。それで、自分勝手に処理しようとします。何か? 16章ですね。アブラハムの妻サラは、高齢のため自分には、子どもが産めないと分かり、自分の女奴隷であるハガルを側めとしてアブラハムに差出し、このハガルによって子どもを得ようとしたのです。こうして、約束の子イサクが生まれる前に、サラの女奴隷ハガルによって、イシマエルが生まれます。人間的な考え、行動が出てしまいます。

のちにパウロは、ガラテヤ書にサラを自由な女の子、ハガルを女奴隷の子として律法と福音を対比します。

神は、その人間的な行動をも超えて、働かれます。イシュマエルをもう一方の国民の父とされるのです。イシュマエルはアラブ民族の先祖とされます。アラブの人たちは、アブラハムを信仰の父と尊敬するのです。イスラム教はアブラハムを父としているのです。

わたしたちも、神の時を待つのに、疲れることがあります。信じて、待つ。これはとても苦手ですね。神の時よりも、勝手に自分の時を作ってしまいます。優先するのです。

さて神の約束は、無条件です。人間のよしあしにかかわらず、約束されたことは実現されます。イサクの誕生です。アブラハム100歳、サラ90歳の時でした。しかし、どうしたことか、神は、そのイサクを献げるように命じられるのです。これも大きな試練です。創世記22章です。

1節からを読むと、こう記されています。

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

折角生まれた子どもイサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさい、と言うのです。昔は、自分の息子を家の安泰・繁栄のために人身御供にしていた習慣があったと言われます。子どもを屠り、いけにえとしてささげる。それを要求し、命じられるとは、神は暴君ではないかと思います。神がそんなことをされるはずはない。何か、別の目的、意味があるはずだと信仰を持っているひとなら考えるのですね。

しかし、アブラハムとしてはこの命令は切実です。神の命令ですから。そこで、アブラハムは次の朝、早く出かけるのです。そして、三日目になってアブラハムは、犠牲をささげる祭壇を築いて、息子イサクを縛り、祭壇の上にのせて、刃物でイサクを屠ろうとします。屠殺です。聖書は、このように記します。創世記22章9節から

神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

イサクを殺そうとした瞬間、神の使いは語ります。11節

そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

こうして、かろうじてイサクは助かるのです。

しかし、神の時を待ち望み、100歳になってようやく生まれたイサクのいのちを奪おうとする神はどんな神でしょうか? 残忍、冷血、非情、わがまま、自分の力、権力を楽しむ暴君。

 約束を待つときに、試練、忍耐、不安がつきまといます。それでも、約束を信じていく。これが信仰です。そのことを聖書は、恵みによってと記しています。16節のはじめです。

神は信仰者を恵みでもって導いてくださっておられるのです。

2.信じること 神の全能、創造  

 ローマ書4章17節には、このように記されています。

「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

17節の口語訳は、次の通りです。

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」

ここに神の全能性と天地万物を創造された神を信じることが示されています。全能の神への信頼です。その信頼があるからこそ、アブラハムの信仰が弱まりはしませんでした(19節)し、不信仰に陥って神の約束を疑うことはありませんでした(20節)。むしろ、信仰によって強められ、神を賛美したのです。ヨブのようですね。そして、21節「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです」とあります。

3.信じること 復活信仰 

23節以下をお読みしましょう。

しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

ヘブライ人への手紙11章19節では、このように記されています・

 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

これは復活を信じる信仰です。そして、復活は第二の創造でもあります。2コリント5章17節ですね。

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

キリストに結ばれる、十字架につけられ三日目に復活されたキリストを信じる時、わたしたちはキリストと一つにされて、その復活の再創造の恵みにあずかるのです。

「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」る信仰は、2000年間、教会の信仰として受け継がれてきたのです。アブラハムの信仰を模範とするということですね。このアブラハムの信仰は、多くの人たちの希望、慰めとなりました。子どもが亡くした両親、パートナーを亡くした人たち、病の床にある人たち、死者を甦らせた神の全能の力を信じるのです。また、いずれの時にか、神の国の新しいいのちをもって、再会できる。その希望を与えられるのです。

わたしたちも、神の無条件の約束、それは無条件の愛ですが、それを信じて、日々の歩みを全うしていきたいと願います。終わりの日まで、待ち望み、信仰を堅く守って参りましょう。




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