2020年12月06日 神の言葉の成就

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2020年12月06日 待降節第2主日礼拝             聖 書 マタイによる福音書1章18~25節            説 教  神の言葉の成就




本日は待降節(アドヴェント)第2の主日となりました。アドヴェントに入ると、普段ならクリスマス一色となります。玄関にクリスマス・リースが飾られ、教会堂にはクリスマスのデコレーションが取り付けられます。阿部兄ほかの方々の例年のご奉仕です。また、アドヴェント・クランツですね。2本のローソクが点火されました。こうして、主イエス・キリストのご降誕を待ち望むのです。また例年ですと、つぼみハンドベル・クワイアによるハンドベル演奏があります。アドヴェント第3主日は、CS生徒との合同礼拝で、ページェントがあります。第4主日のクリスマス礼拝では、洗礼式、聖餐式が行われます。24日夜は、イヴ賛美礼拝があり、クリスマスの喜びは最高潮に達します。クリスマスの喜びの一つ、洗礼式ですね、受洗志願者はいらっしゃるのですが、十分な準備ができず、後日となりました。こうした、クリスマス行事ができず、残念な思いです。
 アドヴェントは、主イエス様の誕生にちなんだ聖書を取り上げます。2000年来、全世界の教会の礼拝では、イエス様の降誕にまつわる聖書が読まれ、説教されます。ここにキリスト教の喜びと感謝が表現されるのですね。
 しかし、今年は1月、2月からコロナウイルス感染のニュースが毎日報道されてきました。感染者の数が刻々と報道され、不安と安堵で一喜一憂します。少なくなると収束が近くなるとほっとしますし、多くなると危機感を覚えます。こういう毎日を一年送ってきたのです。クリスマスの諸行事もすべて中止となり、寂しくなりました。でもですね、教会は、この時期だからこそ、クリスマスを喜び、感謝したいと思うのです。
 
1.神の言葉の成就
本日の説教題は、「神の言葉の成就」です。神の言葉とは、この場合は、旧約聖書です。旧約聖書にある預言の言葉が成就した。これがクリスマスであり、永遠から永遠にいまし、統べ納められる天地創造の神のみこころ、ご計画であり、約束です。それがイエス様の誕生によって実現したということなのです。
マタイによる福音書には、いたるところで「神の言葉の成就」について記されています。成就とは、実現ということですね。本日のところでは、1章22節
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 とあります。それは次の23節ですね。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 
 この言葉は、旧約のイザヤ書7章14節に記されています。イザヤという預言者が救い主の誕生を預言する言葉です。イザヤは、紀元前8世紀に活躍した預言者です。イエス様の降誕より700年前ということになります。
 では、どういう形で神の言葉の成就したのか。それが今日の聖書です。
 
2.クリスマスは神の介入の時、人の服従の時、決断の時
 
 二人の若いカップルが登場します。ひとりはヨセフ、もう一人はマリアです。二人は、婚約していたとあります。しかし、正式な結婚式を挙げる前にマリアは妊娠した。これが聖書の言葉です。18節ですね。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
 
若いマリア、一説によれば、当時のユダヤでは結婚適齢期は13歳くらいからと言われます。確かに、そのくらい若い乙女であったでしょう。おぼこ、まだ男を知らない女性。      
ルカ1章34節では、天使ガブリエルがマリアに現れ、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と言います。それに対してマリアは答えます。
 「どうして、そのようなことがありえましょう。わたしはまだ男の人を知りませんのに」
そういう年代です。
 
 ヨセフとマリアは婚約しています。これからの自分たちの結婚生活、人生設計について話し合い、バラ色とまではいかなくても(ローマ帝政の時代です。奴隷制社会での人生はバラ色とはいかないでしょう)、神の恵みと選びの中で、謙遜で忠実、平凡な夫婦生活を思い描いていたことでしょう。
 しかし、その思い描いた人生に歯車が狂います。世間的には、通用しない、聖霊によって身ごもるということが起こったのです。次第にマリアのお腹は大きくなります。ヨセフとマリア以外の人たちは、当然二人の子だと思うでしょう。しかし、ヨセフには身に覚えがないことです。「ひょっとすると、婚約しているのにマリアはほかの男と・・・」ヨセフの苦悩は察するに余りあります。ここに単純に割り切れないヨセフの胸の内があると思います。
実際に婚約解消、離縁しようと決心したのです。それは自分の思惑とは違う人生を歩まざるをえない時が来るということ。
19節ですね。
  
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
 
インド、イスラム圏では、60歳、70歳の老人が10代の少女と結婚式を挙げたというニュースを見ることがあります。老人はすでに自分の妻や子供たち、孫さえもいるのですが、裕福なのです。少女たちは、そのほとんどが貧しく、学校も行けない。家族を養うために、金持ちの老人と結婚を強いられるのです。学校に行くことを条件にして結婚することもあるそうです。
 
 離縁しようと決心したヨセフに天使が夢で現れます。神の介入です。預言の言葉の成就として示されます。20節
 
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
 あれこれ逡巡しているヨセフに天使が夢で現れるのですね。ヨセフは正しい人であったとあります。神様の前で、また家族や友人たちの祝福を受ける正式な結婚の前に、男女の関係になることはないということです。それゆえに、マリアが妊娠したことが分かった時のヨセフの苦しみは察するに余りあります。
 今のわたしたちの時代、男女交際において、純潔や清さを言うと、笑われてしまうかもしれません。先週の説教でのLGBTではありませんが、今の時代は何でもありです。
 ヨセフは、創世記のヨセフのように夢を見る人であったかもしれません。神は夢でご自身を現わされるのです。
 
 ヨセフは決断します。天の使いの言葉によって、マリアを受け入れるのです。
 神のみわざの前に人は沈黙して従うしかありません。それが信仰の姿です。いかなる猶予も自己逃避もない。神の現実の前に服従することで、神はわたしたちに最善を用意されるのです。従うことが恵み、喜び、感謝、幸いであり、一切の祝福となるのです。
 マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と
服従し、受け入れます。マリアもまた神の言葉を受け入れ、信じ、決断し、服従するのです。
 
3.クリスマスは救いの時 - 神の決断
 天使の言葉は21節以下、次のように語ります。
「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
 
イエス様ですね、イエスという名前は、旧約名ではホセア、ヨシュアです。
その意味は「主は救い」です。実に、イエス様はわたしたちの救い主として来られたのです。21節「この子は自分の民を罪から救うからである」
 そして、最初にも引用しました。22節以下ですね。
 
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 
 ヨセフは夢から覚めて、天使が告げた通りマリアを迎え入れました。そして時が満ちて、誕生しました。イエスと名付けられたのです。そして、赤子は成長して神の子イエス・キリストとしてご自身を現わされました。十字架につけられ、甦られました。そして、天の父のもとに昇天され、神の右に座しておられます。
 ヨセフは、このことにおいて苦しみ、悩み、ある面では恥(家の恥ですね)、屈辱が、栄誉に変わる出来事となったのです。神のイエス・キリストの養いの親となりました。マリアは、神の母となったのです。
わたしたちも何か苦しいことがあり、悩み、涙することがあります。しかし、自分の身の不幸をいたずらに呪っていては、真の解決はなく、心の救い、平安もないでしょう。
 決断し、神のなさることを受け入れる。一時的にどうして、なぜなのと疑問に思い、神のなさることが分からなくなり、不信仰に陥ることがあったとしても、神は神の救いのご計画を与えてくださるのです。それを信じ、受け入れる。そこから救いは始まります。
 永遠の神が人となられた。
クリスマスは、神の決断の時でもあります。人となって、ご自分から従順さを表し、十字架を受け入れる。そのことによって、すべての人を救おうとする神の意思です。
その神の決断によって、わたしたちも信仰をもって、神の時を受け入れ、自らの人生において、神の決断を受け入れるのです。促されるのです。それゆえに、わたしたちも、決断できるのです。
救い主として、来られたのが、無力な赤子であること。そこにクリスマスの不思議があります。
 
4.創立111周年、復興75周年のこと
 さて、本日は仙台青葉荘教会にとって大切な記念の日でもあります。創立111周年、復興75周年です。どこの教会も創立記念日があります。しかし、復興記念日というのは、少ないですね。最初の祈祷でも祈らせていただきましたが、80年前の第2次世界大戦、アジアではいわゆる太平洋戦争、日本は韓国、台湾、中国の一部を植民地とした帝国主義政策のもとで、それぞれの国に軍隊を派遣し、占領政策をとっていました。
 このことは、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、沖縄、本土空襲、そして広島、長崎の原爆を経験して戦争が終わり、日本が敗戦を経験したのです。この戦争の間、教会はホーリネス弾圧を経験し、ホーリネスの牧師140余名が検挙、収監され、裁判にかけられたのです。猶予されて拘置を免れた牧師もいますが、多くは獄に入れられたのです。教会は解散し、牧師席もはく奪されました。当教会の中島代作先生もその一人です。
 牧師たちは獄にありましたが、その家族も大変だったと思います。礼拝や集会が禁じられたのですから、生活、とくに食べるに食べられないことがありました。教会員が誰にも分らないように食べ物を差し入れたり、子どもの面倒みたりと、牧師家族の心配をされたことです。
 戦後、日本は戦争に負けたことによって、自由を手に入れるようになったのです。天皇制、軍部によって牛耳られていた軍国主義政治がGHQにより、民主主義に変えられたのです。教会も復権し、自由に伝道できるようになりました。
 解散させられた教会は、礼拝を行えるようになったのです。戦争の空襲で当時の教会は焼けてしまいました。牧師ご一家は、教会員の家で仮住まいをされていたのです。その中で、1945年12月4日 戦後最初の礼拝を教会員である松下孝三・しん兄姉のお家で始めたのです。1951年7月1日 会堂建築、献堂式。
 ホーリネスの教会も同じように、教会員のお家で礼拝を再開しました。現在、ホーリネスの群として、教会があり、東京聖書学校があり、戦前の教派的な信仰をもって日本の伝道に仕えていることは感謝です。主の聖名を賛美いたします。ハレルヤ。
 これからも、この福音に立って伝道していく使命をわたしたちは持っているのです。世の終わりまで。仙台青葉荘教会はその伝統をもち、次の世代にバトンタッチしていくように努め、励みたいと願います。
 
祈ります。



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