2020年11月22日 ヤコブの死と埋葬

2020-1122

2020年11月22日 降誕前第5主日礼拝             聖 書  創世記49章29~50章14節               説 教  ヤコブの死と埋葬

 人間として一番大切なことがあります。いや、一番大切なことのひとつと言ってもよいでしょう。100人の人間がいれば、100通りの大切なことがあるからです。

わたしたちクリスチャンなら、神を知ること。神を第一とすることですね。信じること、礼拝すること。これがいちばん大切としている生き方です。しかし、大多数の人はそうではない。お金が大切だという人もいます。家族だ、いのちだ。友情だ。名誉だ。仕事だ。芸術だと。100人いれば100通りの大切なことがあります。本当にその人の生きてきた人生がそこに現れるでしょう。

 それでも、最大限の共通であるもの、最大公約数としての大切なことがある。そう信じます。わたしは、それは自分の死期を知ることだと思います。自分の死を覚える。若い時、壮年の時、元気で生気がみなぎっているときは、生き生きとした気力に満ちている。死を考えることはありません。むしろ、死は忌み嫌われるものです。

 60歳を過ぎると、自分の生涯の残りですね、余命が少なくなってきていることを意識します。昔は人生50年と言われました。今は、平均寿命が延びていて、80歳、90歳、100歳の時代です。それでも、いつか死ぬのです。

 本日の聖書、ヤコブは自分の死期を悟ります。まもなく、先祖のところに行く。その覚悟をします。それは恐怖ではなく、摂理です。死は安息であり、神のもとに帰る。いのちは神が与えられ、神のもとに帰るのです。それが人のいのち、霊です。

 本日は次の3つのポイントで説教します。ともに聖書のことばの霊のいのちを見ていきたいと思います。

1.ヤコブの死と生涯

2.埋葬-墓地

 3.信仰生涯での墓地と埋葬の意味

1.ヤコブの死と生涯

49章29節からお読みしましょう。

ヤコブは息子たちに命じた。「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」

ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。

50章12~13節  

 ヤコブの生涯は、147年でした(47章28節)。エジプトの国で17年です。130歳までカナンの地に住んでいました。その死に際して、ヨセフの二人の子を祝福し、その後、12人の息子たちを祝福します。48章、49章ですね。

ヤコブの生涯

 ヤコブの生涯については、今まで創世記の説教をしてきましたので、ひとつひとつ顧みることはいたしません。ただ少しその生涯を辿り、おもな出来事を想い起してみましょう。

 ヤコブはイサクの2番目の子として産まれました。双子の兄エサウがいます。ヤコブの生涯は、波乱万丈です。兄エサウの長子権を奪い、また兄を出し抜いて父イサクの祝福を横取りしました。そのため、兄エサウの憎しみを買い、殺されそうになり、伯父ラバンの許に夜逃げします。そこで、ラバンの2人の娘、レアとラケルをめとり、また2人の側女により12人の子どもを産むのです。これがイスラエル12部族となります。

 ヤコブは伯父ラバンのもとで20年ただ働きをし(31章41節)、苦労するのですが、伯父をだまして羊を増やし、自分の持ち分とします。このことによって伯父とその息子たちとはうまくいかなくなり、また夜逃げします。ヤコブの人生は、ある面、夜逃げに代表されます。表ではないのですね。裏というには、大げさかもしれません。それは自分が自分として生きていない。人の足を引っ張って生きてきた人生です。足を引っ張る。ヤコブの名前の意味ですね。

 のちにヤコブは、エジプトでファラオに「自分の生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月にも及びません」(47章9節)と嘆くのです。

 しかし、ヤコブの生涯は神を求める生涯でもありました。ずる賢い、いやなヤコブ、人の足を引っ張ってきた、虫けらのようなヤコブ(イザヤ41章14節)です。しかし、神はそのヤコブを選び、愛し、贖われたのです。ヤコブは祝福を求め続けた一生です。神の顔を求めた生涯でした。兄エサウを避けた夜逃げの一夜、ベテルにおいて、神に出遭います(28章10~22節)。ラバンのところでも、神はヤコブと共におられて祝福されました。そしてまた、ペニエル(神の顔)ですね。ヤボクの渡しで、神と格闘し、「顔と顔を合わせて神を見る」経験をするのです(32章23~33節)。

 この信仰の経験により、神がアブラハム、イサク、ヤコブの神となられたのです。         神の認証です。ベテル(神の家)、ペヌエル(神の顔)、そしてエジプト下り。ヤコブの12人の息子は12部族となり、イスラエルを通して、神は歴史の創造者、支配者となられるのです。

2.埋葬-墓地

さて、ヤコブは死して、その遺言によってエジプトで大臣となったヨセフによって、墓に葬られます。その墓は、ヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴です。ここには、アブラハム、サラ、イサク、リベカ、レアが葬られています。いわば、一族の墓です。日本でいえば、○○家の墓という感じですね。最初にこの墓となる地名が出てくるのは、時系列的に示しますと、以下のようになります。キーワードは、マムレの樫の木、マクペラの畑の洞穴です。

① 「アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた」(創世記13章18節) 

これが最初に記されるマムレです。

② 逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。(14章 13節) 

③ 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の

入り口に座っていた。(18章 1節) 

④定住するところを持たないアブラハムは、天幕をこの地に張って、一族と羊たちと共に生活していたのです。そこに神の使いが現れイサクの誕生を予告し、ソドムとゴモラの滅びを告げるのです。アブラハムのお気に入りの場所でもあります。

 そして、サラの死です。127歳でした。アブラハムはサラの埋葬のために墓地を購入

します。

 「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるのなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。」(23章8,9節)

 ⑤ その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。(23章 19節)

 ⑥その後、アブラハムは亡くなります。175歳。サラの死後38年です。イサクとイシュマエルがアブラハムを葬ります。

 「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこにアブラハムは妻サラと共に葬られた」

     (25章 9~10節)

 ⑦ ペヌエルでの神の使いとの格闘の後、ヤコブとエサウは仲直りをします。ヤコブはエサウに昔を悔い、謝罪をするのです。エサウはヤコブを赦します。そして、父イサクの死に際して、二人でイサクを葬ります。イサク180歳でした。(35章27,28節)

 ⑧ それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。 (49章 30節) 

 ⑨ すなわち、ヤコブの息子たちは、父のなきがらをカナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った。それは、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。(50章 13節) 

3.信仰生涯での墓地と埋葬の意味

以上、聖書はヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴を取得したアブラハムの苦心と墓の執着について記します。マクペラの洞穴の墓は、アブラハムとイサク、ヤコブの3代が葬られています。アブラハムが執拗に、粘ってエフロンから買い取った墓。そして、それはアブラハムとその子孫であるイスラエル民族が所有とした土地であったのです。(この墓は、出エジプト後からは記録にありません。)

アブラハム及びイサク、ヤコブ、そしてヨセフというイスラエル民族が獲得した唯一の土地、墓所。拠って立つところ。それは、帰るべきところ、イスラエルの希望、寄留者として、世の旅人として、つかの間に過ぎなくても、肉体を持った人間として帰るべきところがあるということ。そこに民族の団結、一致、民族同士をつなぎとめるものがある。そこがヘブロンにあるマムレの樫の木があるマクペラの畑の洞穴であるということです。

今、アブラハムの墓はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の聖地となり、巡礼者があとをたちません。4000年前近い昔の人たち、信仰をもって生きたアブラハム、イサク、ヤコブの家族が4000年の間保存されている。エジプトのピラミッドほどの規模ではありませんが、信仰の記念碑であります。神がアブラハムと交わされた契約の成就としての記念碑でもあります。

 墓地は文化の象徴の一つです。そこに、いのちと死の意味を持つのです。そこには、      神の創造を感謝し、いのちを大切にする営みがあります。つまり、人間は、どこから来てどこへ行くのか? すべては神に帰る。その信仰のあらわれです。

 わたしたち現代人、とくにキリスト者として墓地を持つ。教会には納骨堂があります。  ともに納骨される、埋められる。そこには、生きていた時、共に神の国を見つめて、神の国における永遠のいのちが与えられることを告白してきました。信仰のあらわれです。

ヘブライ人への手紙11章には、アブラハムは地上ではよそ者であり、仮住まいのものであること。天の故郷を熱望していたと記しています。一時滞在する寄留者です。旅の者なのです。しかし、滞在者でありながら、墓を持つ。これがアブラハムの筋を通す生き方でもあるのです。甘えない。同じように、わたしたちキリスト者も寄留者です。帰るべき都、神の国を持っています。国籍は天にあるのです。しかし、世への証しを立てることを知っています。死者を疎かにしない。葬る。魂は神の許に帰っている。しかし、この世にあって生きた肉体を粗末にしない。教会に墓があることは大切なことです。そこから、神の国を仰ぐことでもあるのです。

イエス様もラザロの墓の前で涙を流されました。イエス様も墓に葬られました。墓は、からっぽですが。いま、エルサレムでは聖墳墓教会があります。教会の地下は、イエス様が葬られた墓と言い伝えられています。墓の上に教会があるのです。その墓は、イエス様の遺体ではなく、イエス様の復活を伝えているのです。

墓は、死者を葬るところです。そこに、神の光が当たる。よみがえり、永遠のいのちをここから信じる。これがわたしたちの信仰ですし、聖書の教えでもあります。

  祈ります




Comments are Closed