2020年4月26日 復活節第3主日礼拝

2020-0426

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2020年4月26日 復活節第3主日礼拝

聖 書  創世記42章29~34節

説 教  再 会

前回、41章では監獄に入れられていたヨセフが、ファラオの夢を解き明かします。その結果、ファラオはヨセフをエジプトの大臣に取り立てます。大臣になったヨセフは、神が備えられた夢の解き明かしに示された通り、飢饉に備えて、豊作の間、穀物を備蓄したのです。

42章では、夢の予告の通りに、7年の豊作が終わり、飢饉がやってきました。しかし、この飢饉は、エジプトだけでなく、当時の全世界にまで及んだとあります。ユダヤにいるヤコブ一族も飢饉のために食ベる物もなくなりました。そこで、ヤコブはこどもたちに命じます。エジプトに行って、食べ物を確保するように。

1.エジプトへ 夢の成就

1節を読みます。

ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。

そこで、ヨセフの10人の兄弟は、穀物を調達するためにエジプトに行きます。5節

イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。

ヨセフの兄たちは、エジプトに行きますが、そこではヨセフが待っています。6節

ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。

エジプトにやってきた10人の兄弟は、穀物を買うためにヨセフに会います。大臣ともあろうヨセフがいちいち穀物を買いに来た外国人に会い、交渉することはないわけですが、

ヨセフの権限で自由に外国人との謁見をしていたのだろうと考えられます。小さな隣国の羊飼いたちが超大国エジプトの大臣に謁見するわけですから、これは特別の栄誉、恵みと言ってもよいと思います。

日本に来た外国人が総理大臣どころか大臣とか一般の高級官僚と会うことなど考えられません。その特別の栄誉を受けて、ヤコブの10人の息子はヨセフに謁見するのです。そこで、顔を地につけて伏し拝みます。これは、まさに20年以上前にヨセフが見た夢の成就です。かつて、ヨセフは兄たちにその夢を告げていました。

「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」(37:7)

夢でヨセフは、兄たちの反感を買い、殺されそうになります。エジプトに売られ、奴隷となり、あまつさえ、獄に投ぜられるのです。弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂。不幸、苦難がヨセフに押し寄せます。これはすべて、ヨセフが見た夢のせいでした。

しかし、夢が今度は、幸いに変えられ、運命を逆転していくのです。獄に投じられた奴隷ヨセフは、エジプトの大臣になったのです。

これは、神が導かれる不思議です。神の計画は、人間には計りがたいものがあります。闇の中にいたものが、神のみ旨によって光へと移されるのです。

2.ヨセフと兄弟の再会

7節

ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」

ヨセフと10人の兄弟は再会します。ヨセフは、すぐに兄たちとわかるのですが、兄たちはヨセフとは気づきません。とっくに死んでしまったものと信じているのです。20年の月日が過ぎています。少年ヨセフは、大臣となり、威厳があり、一段高いところから兄たちを見下ろしていたことでしょう。

再会-普通の兄弟の再会ではありません。訳ありの再会です。一方は、殺されそうになり、奴隷から大臣になったヨセフです。一方はパレスチナ、片田舎の羊飼いたちです。

ヨセフは、誠実でした。奴隷の時も、獄中にいるときも、いつも神が共におられました。そして、ヨセフのなすことすべてを祝福されたのです。人がいいということでしょう。苦難の中にあっても、明るい。光を湛えている。みずみずしいオーラが出ていて、誰がみてもそれを理解できる。ヨセフはそのような人だったでしょう。 ヨセフは、兄たちを憎むことなく、復讐を企むこともしない。むしろ、兄弟愛をますます強くしています。肉親の情が強いのです。家族愛が深いのです。愛の人と言ってもよいでしょう。そんなヨセフだからこそ、神はヨセフを選ばれたのです。神が選ばれ、用いようとされる人は、そのような人でしょう。

旧約聖書の、創世記。聖書の第一巻目です。ヨセフは、イエス様のひな型のような人物です。ヨセフにイエス様を見ることができるでしょう。

コリントの信徒への第一の手紙13章は愛の章として、親しまれています。その4節からお読みします。7節まで。口語訳です。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

とくに4節、「寛容である」、5節「無作法をしない」「恨みをいだかない」 ヨセフは、兄たちに寛容ですね。寛容とは、忍耐強いと訳されることもありますが、怒るようなことがあっても、理性を失うことなく、怒りに身を任せない。セルフコントロールです。自制心、落ち着きがある。そこから、心が広いのです。

「無作法をしない」― 非礼を行わない。無礼を働かないということです。上げ足取りをして、相手をやっつけようと構える人がいます。礼を弁えている人のことです。

「恨みをいだかない」― 悪いことを根にもたない。いつまでも根に持っていて、陥れようとする心ですね。

まさしく、ヨセフは兄たちに対して愛のこころをもって接したのです。イエス様のようです。イエス様は、受難に際して、ご自分を呪うもの、十字架につけた人たちにさえも、「父よ、彼らをお赦しください。何をしているのかわからないのです」と執り成しをされました。

3.ヨセフの計画

ヨセフは、策略を用います。それは弟ベニヤミンとの再会を期待すること、そして、父ヤコブとの再会です。そして、穀物と引き換えにした銀を返したこと。9~14節 とくに14節。

ヨセフの策略-それは神の摂理であり、ご計画の一つです。悪意のない策略といってもよいでしょう。むしろ、兄弟、父、家族の救いを期し、実行する計画。ヨセフの智慧。それは、神から由来する智慧。万事を益とされる神の摂理です。

飢饉、イスラエルのエジプト滞在、400年のエジプト滞在、そして出エジプト、十戒、律法というように、神の救いの御手は悠久の時の流れにあります。神の救いの経綸は、人間の思いを超えているのです。時間において、空間において。聖書は、始まったばかりです。創世記、そして出エジプト記と続き、旧約聖書39巻、そしてイエス・キリストの降誕へと神の計画は続くのです。そして、21世紀。ここ日本においても、主イエス・キリストの十字架の恩寵により、神の救いはわたしたち現代人にも与えられているのです。何と素晴らしい恵み、祝福でしょうか? 神に感謝です。

本日の説教題は、「再会」です。罪を赦し、恨みを抱かず、復讐心もありません。兄弟愛のヨセフは神の摂理の中で、イスラエルと同胞を滅びより救おうとします。神のご計画です。長い、長い時間をかけた救いの計画です。そこに、ヨセフと兄弟たちの再会があり、父ヤコブとの再会があります。

翻って、わたしたちも主イエス・キリストとの再会があるのです。この世では、眼には見えないけれども、見ているように信じ、告白し、礼拝する。神の国に召されてからは、顔と顔を合わせるようにして、主イエス様を拝する恵みが備えられている。主イエス様との再会ですね。イエス様は、わたしたちに対して、恨みもなく、無作法もなく、「あっち行け、お前は地獄行きだ」との宣告もなく、寛容さと、罪の赦しという恩寵にあってみ国にて主にお会いできるのです。

神の民への特別の恩寵です。

新型コロナ・ウィルスの恐れから解放され、収束して礼拝が再開されるのが待ち遠しく思います。その時、わたしたちは仙台青葉荘教会の礼拝にて再会できるのです。それは大きな喜びですね。そして何よりも幸いなのは、神の国での再会でもあります。先に、信仰をもって召された、愛する兄弟姉妹と神の国にて再会できるのです。愛する家族、妻、夫、子、孫との再会なのです。信仰を守っていきたいと心から願います。




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