2020年3月29日 受難節第5主日礼拝
2020年3月29日 受難節第5主日礼拝
聖 書 創世記41章37~45節
説 教 歴史の転換点
ヨセフ物語は、37章から始まります。そこでは、ヨセフは夢見る少年として紹介されています。12人兄弟で11番目のヨセフですが、ある夜に夢を見ます。その夢は、畑にいると、ヨセフが束ねた束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄たちの束が周りに集まって来て、ヨセフの束にひれ伏したのですね。目覚めて、その夢の内容を兄弟たちに話します。兄弟たちは、「何、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか」
そう言って、ヨセフを憎むようになるのです。それでなくても、父イスラエルは、年よりっ子のヨセフをかわいがり、ほかのどの兄弟たちよりも依怙贔屓していたため、一層憎まれるようになるのです。
さらに、ヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話すのです。その夢は、「太陽と月と11の星がヨセフにひれ伏している」という内容です。ヨセフは、父イスラエルにも話します。
ひれ伏すというのは、礼拝する。支配者にしもべとして仕える姿勢ですね。父にとってもヨセフが支配者となる。父イスラエルもまた、僕として子ヨセフを礼拝することを意味します。イスラエルは、ヨセフ叱って言います。
「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」
4000年も昔の社会です。家父長制が強大な時代。父親の権威は絶対です。その時代に子が父を支配し、父が子にひれ伏す。そのようなことはありえないでしょう。しかし、ヨセフは、夢を公言し、兄弟たちの反感を買うのです。しかし、父イスラエルは、「心に留めた」とあります。これは大切な言葉です。
夢は悲劇をもたらしますが、同時に人間の及びもつかないことが始まります。夢によって、ヨセフは兄たちに危うく殺されそうになりますが、奴隷としてエジプトに売られます。そこでも、夢が出てまいります。
40章では、牢に入れられたヨセフに二人のエジプト人が加わります。エジプト王ファラオに仕える宮廷の給仕役と料理役です。粗相をして、牢に入れられたのです。二人は夢を見ますが、その夢をヨセフは解き明かし、その通りになります。
いよいよ41章に入りますが、夢はなお続きます。先の給仕役と料理役の事件から2年がたっていました。今度は、エジプト王ファラオが夢を見たのです。しかし、どの魔術師、賢者も解き明かすことができませんでした。
その夢とは、1節以下にあるとおりです。「つややかな、よく肥えた7頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は醜い、やせ細った7頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立ち」、「醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた7頭の雌牛を食い尽くした」という夢です。
ファラオは、再び夢を見ます。今度は、太って、よく実った7つの穂と実が入っていない東風で、干からびた7つの穂です。干からびた穂が実の入った7つの穂をのみこんでしまった。そんな夢です。
この夢を解き明かすこと。これがエジプトの課題でした。エジプトは当時の世界の超大国です。世界4大文明の一つですが、エジプトほどの超大国はほかの3つに比べる、はるかに勝っていたのではないでしょうか? この時、すでにピラミッドは建設されていました。王の権力は絶大でした。ピラミッドを建設できるほどの、力と知的財産を持っていたのです。今日、現代文明が発達し、科学が宇宙にまでロケットを飛ばすことができます。しかし、その科学力をもってしても、遺跡として残っているピラミッドと同じものを建設しようとしても、それは不可能だと言われます。それほどまでに、当時のエジプトは科学も物理も天文学も発達していたのです。その頂点に立つ王、ファラオ。そのファラオが見た夢を解き明かすこと。それこそが、一大事だったのです。
それはエジプトの将来がかかっていました。危急存亡の課題なのです。王が見た夢。そんな夢などに係わっていられない。現代人はそう言うでしょう。夢など軽いのです。
しかし、当時のエジプト王ファラオは、そうではありませんでした。エジプトでは、王は神です。王が解決できない問題は、あってはならない。解決する必要があるのです。そのために、あらゆる智者、魔術師が動員されました。しかし、誰も解き明かす者がいない。
夢の解き明かしが、エジプト国を左右する。
ダニエル書、バビロンの王が夢を見ます。その解き明かし、智者も魔術師もできない。
バビロン王は、自分が見た夢を語りません。
「こんな夢を見たのだが、どういう意味だろう・・・?」。
王が夢を語ることによって、解き明かす者が起こされるのです。しかし、王は、それを言わない。夢を解き明かす者は、自分が見た夢をも知る者でなければならない。これがバビロン王ネブカデネツァル王の権力でした。解き明かす者がいなければ、智者も魔術師も皆殺しにする。王は、そう宣言するのです。
それをダニエルが解き明かします。しかも、王が見た夢までも知るのです。このような壮絶な夢の解き明かしが聖書にあるのです。
ヨセフは、エジプト王の夢を解き明かします。神がファラオに夢を見させ、これから起きることを告げられた。これが夢の意味することでした。
7年の豊作と7年の飢饉。2度夢を見たことは、神が確実にそれを行うということです。
豊作と飢饉、自然現象です。それを神がご自身のみ旨をして行われる。自然の支配者である神のご計画です。その豊作と飢饉、7年と7年。すなわち、14年です。この14年で世界が変わるのです。エジプトのみならず、近隣の諸国、イスラエルも影響を受けるのです。世界に豊作と飢饉が起きるのです。
1.選び
今日の説教題は「歴史の転換点」です。歴史が動く、転換する。一直線ではないのです。変化する。転換する。その力は神様にあります。神が歴史の支配者であり、統治者であります。その世界の変化のために、神がヨセフを選ばれた。そして、エジプトに遣わされた。エジプトにヨセフは、奴隷として売られたのです。しかし、そこに神のご計画があった。夢に敏感であり、夢を解き明かすことで、ヨセフは神のご計画を知ります。神の秘密を知るのです。
わたしたちは、どのような夢を見るでしょうか? 今朝見た夢はどのような夢でしたか。その夢にうなされますか? 気持ちいいですか? 将来のことを予見しますか?
今日の礼拝後、臨時教会総会があります。役員選挙です。この役員に教会のこれからの2年間が委託されます。教会の将来です。皆さんは教会の将来について、どんな夢を見ますか。あるいは、どんな夢をお持ちですか? 夢はヴィジョンです。幻です。その夢が教会を変えるかもしれない。自分をも変える。世界をも変える。そのような夢、ヴィジョンであるかもしれません。
その夢を神が与えられた。それを解き明かす必要があります。誰が解き明かすのか?
ヨセフです。誰がヨセフなのか? わたしたち一人ひとりがヨセフです。神が夢を見させ、これから起きることを予告されるのです。それは解き明かされねばなりません。
2.夢の位置
ここで注目すべきなのは、夢にはその人の人生と生き方、価値観が伴うということです。
つまり、世界にどのようにかかわってきたか。そのかかわり方によって、夢があるということです。
給仕役は給仕役の夢がありました。料理役は料理役の夢がありました。給仕役は、もう一度ファラオにぶどう酒の杯をささげる夢です。料理役は、自分が調理した料理の籠の夢でした。それを鳥が料理役の頭の上の籠から食べるのです。すなわち、首が刎ねられるのですね。
王は、国家の存亡の夢です。それぞれの生き方、役割、人生観に合った夢です。相応しいということでしょうか?
皆さんは、どんな夢を見ますか? 自分の世界の中で夢、あるいは、もっと大きな世界の中での夢、宇宙大の夢。いろいろあるでしょう。
わたしの夢は、教会の夢ですね。自分がかかわっている世界の中での夢です。
よく見るのが、教会で説教している夢です。神学校で授業をしている夢です。
3.夢が世界を変える
聖書は、夢が世界を変えると言っています。それは先ほどから言いましたように、神からくる夢です。「そんな馬鹿な・・・。物語だ・・・」
そう考えられでしょうか。しかし、ここから神が世界を動かし、変えられるのです。
神が世界を変える夢を与えられた。
わたしたち、信仰をもって、世界を変える夢を与えられたいですね。まさに、ヴィジョンです。
クラーク博士は「少年よ、大志を抱け-Boys, Be ambitious !
“Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame . Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be .”
訳すと、次のようになります。
「青年よ、大志をもて。それは金銭や我欲のためにではなく,また人呼んで名声 という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて」(稲富栄次郎訳)
選び、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフ、ヨセフから400年後に神はモーセを選び、出エジプトを行われます。まだるっこしい感じることがあるかもしれません。
モーセから約200年後、ダビデ王がイスラエルを立て、それから1000年後、イエス様がお生まれになります。イエス様の誕生に際して、ヨセフは夢を見ます。救い主誕生の夢です。
わたしたちも夢を見ましょう。世界が変えられる夢を。すべての人に福音が宣べ伝えられ、主イエス様の再臨、神の国の実現の夢を。
一番の夢は、わたしたちが神の国に引き挙げられる夢ですね。
そこに、わたしたちは顔と顔を合わせるようにして、神を見、主イエス様を見るのです。
新型コロナ・ウィルスの感染が世界にあります。滅びに向っていると言えるかもしれません。しかし、神様にあっては、ここにおいても歴史を転換する転換点とされているかもしれません。祈りの中で、主の助けと癒し、回復、そして栄光を待ち望みましょう。
Comments are Closed