2021年12月19日 アドヴェント第四主日礼拝
聖 書 ルカによる福音書1章46~56節
説 教 わたしの魂は主をあがめ
アドヴェントの期間、わたしたちは、ヨハネの誕生にまつわる聖書から読み進めてきました。天使ガブリエルがザカリアに現れ、ヨハネの誕生を予告します。その後、マリアにも現れ、お腹にイエス様が宿られていることを告げるのです。これから神がなそうとされる大いなること。これがルカによる福音書のテーマであり、福音書の著者であるルカは、そのテーマを冒頭の1章にドーンと置いたのです。ここには、イエス・キリストに先行するヨハネの誕生、その父ザカリアに天使ガブリエルが現れ、高齢の妻エリサベトに出産を告げるのです。その半年後に天使ガブリエルはマリアに現れ、お腹に聖霊によって子が宿っていること、その子をイエスと名付けるようにと告げるのですね。
このザカリア、エリサベトの子ヨハネ、マリアとその夫ヨセフの子であるイエス・キリスト。ここにルカによる福音書が始まるのです。繰り返しますが、ヨハネ、イエス様。その子を宿したエリサベト、マリア。その四人が第1章に登場するのです。神のご計画。それは、小さな者を選ばれた神とそのご計画。ある面では社会的に忘れられ、疎んじられる人々。その生まれた子が歴史を変え、今も歴史を創造し、世界を変革していく。まことに、天使がマリアに言った通り、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」(28節)。エリサベトも言います。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
こうして、マリアはいわゆるマリアの賛歌と呼ばれる「マニフィカト」(ラテン語の聖書に基づく賛歌です)を歌います。サムエル記上2章1節からのハンナの祈りと同じ霊的な性質を持っているのです。
日本語訳では、「わたしの魂は主をあがめ」です。ここで使われている「あがめる」という動詞は、主の祈りで「天にましますわれらの父よ、御名をあがめさせたまえ」とある「あがめる」とは異なります。主の祈りで使われている「あがめる」は、ちょっと専門的になりますが、ギリシア語でハギアゾーάγιαζωと言います。「聖別する、清め分かつ」という意味です。しかし、マリアの賛歌で使われている「あがめる」は、これもギリシア語でメガリューノーμεγαλύνωといい、「大きくする」という意味です。 たとえば、メガポリス、メガチャーチ、メガフォンと言いますね。メガとは、巨大なという意味です。
神は目には見えない、霊なるお方ではあります。宇宙大、地球を蔽われておられる。あがめるとは、そういう神としてあがめるのです。
たとえば、偶像ですね。守り神、お札にして神とする。安心なのでしょうが、神様を小さくしている。神様は天地万物を創造されたお方ですから、小さな像、偶像にはならない。お札、お守りでもない。日本人はミニチュアが大好きですが、そこに収まるような神ではないのです。
1章49節にも、「大きくする、あがめる」という「メガリューノー」μεγαλύνωに関係することばが使われています。「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」ですね。「偉大なこと」ということばは、大きさ表わす最大級のことば、「メガ」μεγαが使われています。
この賛歌は、47節から50節の前半と51節から55節の後半の二つに分けられます。
47節から50節は、マリア本人に対して神を褒めたたえる内容です。48節「身分の低い、はしために目を留めてくださったこと。時代と国を超えて、人々が「わたしを幸いな者と言うでしょう」という預言。49節「力ある方がわたしに偉大なことをなさいました」という感謝です。
マリアが、自分のたましいをもって、あるいは、自らの存在をもって主を「あがめ」るのです。
後半の内容は、イスラエル民族に対する神の恵みです。
52節「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」
神は高ぶる者を低くし、へりくだる者を高くされるという旧約の預言者の預言の言葉なのです。(イザヤ2:11、5:15、57:15など)。イエス様ご自身も「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言っておられるのです(マタイ23:12)。マリアの身に起こったことも、この神の働きでした。この神がその恵みの働きによってイスラエルの民になされることが、続いて賛美されます。
「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。(1:54,55)
神が人となられたこと。これこそが最大のへりくだりです。そして、その方、イエス・キリストがしもべとされ、罪びとの一人としてわたしたちの身代わりとして十字架かけられたのです。
神はそのキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ1:9,10)とある通りです。
本日はクリスマス礼拝、神が人となられた劇的な日でもあります。教会は2000年間、この日を喜びと感謝の日としてお祝いをしました。それはわたしたちの救いの日であるからです。
また、洗礼式、聖餐式を行います。とくに、洗礼を受けられる3人の方に大いなる神様の祝福をお祈りいたします。
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