2026年10月4日 仙台青葉荘教会礼拝

使徒言行録20章1節~6節

「一人一人を大切に思う神」

牧師 野々川 康弘

前回の19章21節によりますと、パウロは、エフェソから、マケドニア州とアカイア州、つまり、ギリシャを通って、エルサレムに行くことを決心しました。ギリシャは、エルサレムとは反対の方向です。ということは、パウロは一旦、エルサレムとは反対の方向に向かっていったことになります。

今日の箇所は、ギリシャ宣教、つまり、マケドニア州とアカイア州での宣教のことが記されています。

最初にパウロたちは、マケドニア州にある教会を巡り歩いて、兄弟姉妹を励ましました。具体的には、フィリピ、テサロニケ、ベレアにある教会の人たちを励ましました。その後、2節に記されている通り、ギリシャに向かったのです。2節に記されているギリシャとは、アカイア州のことです。さらに具体的にいうと、コリント教会のことです。パウロは3カ月間、コリント教会に滞在して、シリア州から船で、エルサレム教会へ向かおうとしていたのです。でも、パウロたちに対するユダヤ人の陰謀があることがわかったのです。多くの聖書学者たちが考えているユダヤ人の陰謀とは、パウロたちが船に乗ろうとする際に、パウロを暗殺することです。

だからパウロたちは計画を変更して、マケドニア州に戻り、フィリピから船で、トロアスに向かったのです。そしてそこに7日間滞在したのです。

今日の箇所に記されているのは、そこまでのパウロたちの歩みです。マケドニア州やアカイア州で、パウロたちがどのように、教会の人たちを励ましたのか。そのことは全く記されていません。

しかし、パウロにとって、マケドニア州での宣教、つまり、フィリピ、テサロニケ、ベレアでの宣教とか、アカイア州での宣教、つまり、コリントでの宣教は、大きな悲しみと、大きな喜びを体験することになった宣教旅行でした。

でも何で、大きな悲しみと、大きな喜びを体験することになった宣教旅行だったのでしょうか。そのことを知るためには、3年間、彼がエフェソに滞在した理由。そのことを知る必要があります。

彼はエフェソで、コリントの信徒への手紙1を書いています。ということは、パウロがエフェソに滞在していた間、彼はエフェソだけで宣教活動をしていたのではないということになります。

彼が3年間、エフェソに滞在していた時、自分たちが宣教して、開拓した教会のことも、とても気にかけていたのです。コリント教会の情報も集めて、エフェソで手紙を書いていたのです。パウロがエルサレムに向かう途中、わざわざマケドニア州や、アカイア州に行ったのは、そちらにある教会のことも気にかけていたからです。でも、そのなかでも、とても気にかけていた教会が、コリント教会だったのです。

最初の方で申し上げました通り、2節~3節に記されている「ギリシャに来て、そこで三か月すごした」という意味は、コリント教会で3カ月間すごしたという意味です。

でも何で、パウロはそんなにコリント教会のことを気にかけていたのでしょうか。

コリント教会は、宣教旅行2で、パウロが1年6カ月、コリントで宣教活動をした結果、生まれた教会です。そのことは、使徒言行録18章11節を見ると分かります。

実は祈祷会で、既にコリントの信徒への手紙1を学びました。祈祷会に毎週出席しておられる方は、分かると思います。

コリント教会は、かなり混乱していました。教会の中で、色々な派閥が出来ていたのです。聖書学者たちは、「パウロがエフェソに3年間滞在していた間、少なくとも4通の手紙を書いていた。」そう言っています。そして、「おそらく2通目の手紙が、コリントの信徒への手紙1ではないか。」そう考えています。その証拠が、コリントの信徒への手紙1の5章9節です。そこを見ますと、「わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが」そう記されています。ということは、聖書には収められていませんが、パウロが、コリントの信徒への手紙1を、コリント教会に書き送る前に、1通既に、手紙を出していたことになります。

コリントの信徒への手紙1を読むだけでも、コリント教会が問題だらけの教会だったことが良く分かります。でも、コリントの信徒への手紙1を、パウロが書く以前にも、既にコリント教会から、パウロに投げかけられていた質問が、沢山あったのです。その多くの質問に、コリントの信徒への手紙1を書く前に、既にパウロは手紙で答えていたのです。

コリントの信徒への手紙1を、パウロが書いた頃まで、パウロとコリント教会の関係は良かったのです。でも、コリントの信徒への手紙1を書いた後から、パウロとコリント教会の関係は、かなり冷え込んでいたのです。

おそらくそれは、パウロが、コリントの信徒への手紙1を書いた後に、パウロを使徒と認めない人たち、パウロが語る主イエスの救いを否定する人たちが、コリント教会にやって来て、その人たちに、引きずられてしまっていたからです。そんなことがあって、パウロはコリントに、3通目の手紙として、聖書には収められていない手紙を書いたのです。その手紙のことが、コリントの信徒への手紙2の2章3節~4節と、2章9節に記されています。

2章3節~4節を見ますとこう記されています。「あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。」

更に、コリントの信徒への手紙二の2章9節を見ますとこう記されています。「わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。」

 コリントの信徒への手紙2の2章4節で「涙ながらに手紙を書いた」そのようにパウロが言っているところから、聖書学者たちは、聖書には収められていない3通目の手紙のことを「涙の手紙」そう呼んでいます。

聖書学者たちは、「涙の手紙は、厳しくコリント教会を戒める手紙だった。」そう言っています。聖書学者たちが言うには、コリントの信徒への手紙2の10章1節~6節の言葉は、聖書に収められていない「涙の手紙」を受けて、言っていることだと見ています。そのコリントの信徒への手紙2の10章1節~6節を見ますとこう記されています。「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。」

このことから推察出来ることは、「涙の手紙」の内容は、コリント教会に対してとても厳しいものだったということです。

 だから、4通目のコリントの信徒への手紙二で、パウロはとても気を使って、コリント教会に手紙を書いています。その証拠が、コリントの信徒への手紙2の7章2節~5節です。そこを見ますとこう記されています。「わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。」

この箇所を見ますと、コリント教会の人たちに期待して、パウロが語りかけていることが分かります。

パウロがコリントに初めて行ったのは、パウロの宣教旅行2の時です。2回目は、いつなのか不明です。そして、3回目は、今日の2節に記されている通り、コリントで3カ月間、滞在した時です。

何故コリントで、3カ月間滞在した時が、3回目のコリント訪問だったことが分かるのでしょうか。

それは、パウロの宣教旅行3で、マケドニア州のフィリピで、コリント教会に書き送った、4通目の手紙であるコリントの信徒への手紙2の13章1節で、「わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です」そう書き記しているからです。

このことから、3回目の訪問が、今日の箇所に記されている、3カ月間、コリントに滞在した時のことであることが分かるのです。そのことから推測出来ることがあります。2回目のコリント訪問は、確かに不明ではありますが、おそらく宣教旅行3の時に、3年間、エフェソ教会に滞在していた最中に、「涙の手紙」に匹敵する2回目のコリント訪問を、したのではないかということです。でも、2回目に訪問した時は、彼は、コリント教会から受け入れられなかったのです。おそらく何の成果もなく、エフェソ教会に戻らざるを得なかったのです。

そんな悲しい、2回目のコリント教会の訪問結果があったからこそ、聖書には収められていない厳しい「涙の手紙」を送ったのでしょう。厳しい「涙の手紙」を、コリント教会に送ったパウロは、次にコリント教会を訪問する際には、「再び彼らを悲しませる訪問にならないようにしたい。ちゃんと主イエスの十字架の救いに立つ教会になっていて欲しい。」そう思ったからこそ、コリントの信徒への手紙2の1章23節~2章1節のようなことを書きしるしたのです。そこを見ますとこう記されています。「わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。私たちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなた方の喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。」

パウロの、「涙の手紙」に匹敵する2回目のコリント教会の訪問結果が、「涙の手紙」を書くことになりました。その結果、コリント教会の人たちは打ちひしがれたのです。

そんなコリント教会の人たちを慰めるために、パウロは、コリントの信徒への手紙2の2章2節でこう書き記しています。「もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。」

この意味は、「私が、あなたがたに、厳しく悔い改めを求めたが故に、あなたがたは悲しんでいる。でも、悲しんでいるあなたがた以外の誰が、私を喜ばせる悔い改めを示してくれるのだ。」そういう意味です。

実は、パウロが「涙の手紙」をコリント教会に送る際に、同労者であるテトスをコリント教会に派遣しています。その時、パウロは、エフェソを出発してマケドニアへ向かっていました。それが今日の1節の、エフェソを出発する場面です。

ということは、今日の箇所のパウロが置かれている状態は、コリント教会と、とても冷え切った関係の状態にあったということです。だから、3回目のコリント訪問をして、コリント教会で、間違った教えを説いている人たちと、直接、対決しようとしているのです。今日の箇所に記されている旅、その旅をしているパウロの心境は、「コリント教会で、間違った教えを説いている人たちを論破しなければ、ローマやスペインで、主イエスの救いを宣べ伝えていくことは到底出来ない。」そんな心境なのです。

そんな心境の中で、マケドニアに宣教に行く様子が、コリントの信徒への手紙2の2章12節~13節に記されています。そこを見ますと、こう記されています。「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。」

つまりパウロは、エフェソから出発してトロアスに着いて、そこで、宣教活動をする良い機会が与えられていたにも関わらず、コリントに遣わしたテトスから報告を聞くまでは、気持ちに余裕が無かったが故に、すぐにマケドニア州に向かって出発したのです。

パウロたちは、マケドニアに着いた時に、そこでコリント教会から戻ってきたテトスと出会うことが出来ました。テトスがもたらした知らせは、パウロにとって予想外の大きな喜びだったのです。そのことが、コリントの信徒への手紙2の7章5節~16節に記されています。そこを見ますと、こう記されています。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。」

コリントの信徒への手紙2の7章5節~16節が言っていることは、パウロが書いた「涙の手紙」によって、コリント教会の人たちが悔い改めたということです。パウロが伝えた主イエスの救いに、再び心を開いたのです。

パウロを批判していた人たちは、涙の手紙に匹敵する2回目のコリント訪問や、「涙の手紙」や、テトスから福音を宣べ伝えられたことで、コリント教会を立ち去ったのです。パウロはテトスからその知らせを聴いて、とても喜んだのです。でもまだ、主イエスの十字架の救いに立ち返らない人たちが多少いたのです。だからこそ、マケドニア州にあるフィリピ教会で、パウロは、コリントの信徒への手紙2を書き記したのです。

今日の2節を見ますと、パウロがマケドニア州で「言葉を尽くして人々を励ました」ことが記されています。その働きの原動力は、テトスから齎された喜びだったのです。

パウロはこの後、コリント教会に到着して、3カ月の間、主イエスの救いに心を開いた、コリント教会の人たちと共に過ごして、コリント宣教を締めくくったのです。

今日の箇所に記されているコリントでの3カ月間の滞在は、パウロにとって、とても喜ばしい、充実した日々だったのです。そして、コリントで、3カ月間、滞在している中で書かれた手紙こそ、ローマの信徒への手紙です。

パウロの有名なローマの信徒への手紙は、使徒言行録では、今日の箇所の中に記されている「ギリシャに来て、そこで三か月を過ごした。」時だったのです。つまり、コリントに、3カ月間滞在していた時に、書かれたのです。ローマの信徒への手紙を、コリント教会で書くことが出来たのは、コリント教会が、パウロの「涙の手紙」に匹敵する厳しい訪問や、「涙の手紙」や、テトスの福音宣教を受けて、自分たちの自己中心の罪を悔い改めたからです。そうでなければ、ローマの信徒への手紙は存在していなかったのです。

今日の箇所に記されている出来事は、パウロの生涯にとって、波乱に満ちた出来事であり、キリスト教会のその後を支えることになった、とても意味のある大きな出来事だったのです。

神に召されて、使徒となったパウロの悲しみと喜びは、個人的なもののようにみえて、個人的なものではなかったのです。神と共に歩んでいたパウロの悲しみと喜びは、そのまま神の悲しみであり喜びだったのです。神は、神と共に歩まない私たちの罪のために、愛する独り子・主イエスをこの世に遣わして、十字架に架けて、死なせたのです。その主イエスの死によって、私たちが神と共に生きない罪を赦して、聖霊を与えて、その聖霊の導きを受けて歩む人に、永遠の命の約束を与えて下さったのです。パウロは、神と共に歩んでいたからこそ、神がいつも共にいて下さっている愛が、良く解っていたのです。そんなパウロだったからこそ、神がいつも共におられ、いつも神が、神と共に生きるように導いて下さる愛を、コリント教会の人たちの顔色を伺うことなく、大胆に宣べ伝えることが出来たのです。

コリント教会の人たちが、パウロの厳しい愛を受け入れていなかったならば、コリント教会の人たちが、厳しい愛を、宣べ伝えてくるパウロを拒んでいたならば、パウロを悲しませることのみならず、パウロと共に歩んでいる神をも悲しませることになっていたでしょう。それが意味しているのは、主イエスの十字架の死が、無駄になるということです。

教会は、牧師や伝道師の語る主イエスの救いを受け入れるか拒むかによって、牧師や伝道師を悲しませるか、喜ばせるか、それが決まります。それと共に、神を喜ばせるか、悲しませるかも決まってしまうのです。

神は、いつも私たちと共に歩みたいと願っておられるからこそ、御言葉を説き明かす牧師や伝道師を教会に仕えさせているのです。

私たちが、自分の善悪の知識に頼って生きるのではなくて、神の善悪の知識、つまり、御言葉に従って生きることを願っておられるのです。私たちの自由は、私たちが神の御言葉に従って生きる中にあるのです。

私たちがくれぐれも、勘違いしてはならないことは、自分が自由に生きるために御言葉があるのではなくて、御言葉に従って歩んでいく中に、私たちの自由があるのです。

原罪は、自己中心の自由を求めるように私たちを導きます。原罪は、自分を中心にして、御言葉を捕えて生きていくように私たちを導くのです。でも、神との関係に生きる自由、神と共に生きる自由は、神を中心にして歩む自由に私たちを導くのです。神を中心にして歩むとは、神の御言葉を、神が考えている視点から捉えることです。もっというと、聖書の言葉を、聖書の中で福音を宣べ伝えている人の視点から、聖書の言葉を捕えて歩んでいくことです。

神を中心にして考えて歩んでいく中にこそ、私たちの本当の自由があるのです。

これから聖餐にあずかります。聖餐は、父なる神が私たちに、御自分の愛する独り子、主イエスの命を与えて下さった事実を私たちに示しています。

聖餐は、父なる神が、愛する独り子・主イエスの命を、御自分に背を向ける罪の代価として、支払われた程、情熱をもって私たちと関わって下さっている何よりの証拠です。

父なる神は、私たち一人一人の応答の仕方によって、喜んだり、悲しんだりなさるのです。

それは丁度、パウロが、コリント教会の人たちの応答の仕方によって、悲しんだり喜んだりしたようにです。

愛する独り子・主イエスの命が犠牲になったこと。そのことに、父なる神は涙を流したのです。その涙に、私たちはどのように応答するのでしょうか。

聖餐の一対には、父なる神の、悲しい涙があふれたことを覚えながら、感謝して聖餐の恵みに、皆さんと共に預かりたいと思います。

最期に一言お祈りさせて頂きます。