2022年5月1日 復活節第5主日礼拝

2020.0501.Syuuhou

聖 書  ガラテヤの信徒への手紙5章2~6節 

説 教  愛によって働く信仰

 新年度に教会標語と聖句を掲げ、教会総会が開催される聖日礼拝の際に、その聖句をもって説教しています。2022年度の標語は、「愛によって働く信仰」。聖句は、「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」 (ガラテヤ5章6節)

 この聖書の言葉をもって、今年度は宣教と牧会に進んでまいります。3年越しに続いている新型コロナウイルス感染の危機の中にあります。また、ロシアのウクライナ侵攻による破壊と殺戮の中にありますが、平和と平安、いやしと回復による主のみわざが教会とすべてのところに現わされますように祈りましょう。

本日の説教の3つのポイントです。聖句にみられるテーマですね。

 1.福音と割礼(律法) 2.信仰  3.愛のわざ 

このスリーポイントで説教いたします。

1.福音と割礼-律法が命じるところ

福音、ここには、キリスト教の「いのち」「本質」ともいうべき「愛」と「信仰」について、伝道者パウロがその伝道生涯をかけて語っています。それは神の子イエス・キリストの十字架の死と復活において現わされた福音の出来事です。

一方、割礼もまた、ユダヤ人にとって「いのち」とも「本質」ともいうべき事柄であります。それは、律法の命令であり、同時に神とユダヤ人の契約のしるしでもあります。旧約において、最初に割礼を受けた人物はアブラハムです。創世記17章9節から14節ですね。そこには、「生まれてから八日目に割礼を受けなければならないこと」(12節)。「それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる」(13節)とあり、しかも、無割礼の男は「民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである」(14節)とあるのです。

以来、割礼はアブラハムの子孫であるユダヤ人と神との契約のしるしとして受け継がれたのです。それは、21世紀の現代にまで受け継がれている信仰と伝統なのです。

イエス様も生まれて八日目に割礼を受けられました。(ルカ2章21節)

割礼は天地創造の主なる神の命令であり、神を信じる者との契約であるのです。契約の民のしるしです。それが信仰の表われでもあったのです。

 では、神を信じ、神様のなされるわざである御子イエス・キリストの十字架の贖いを信じるわたしたちキリスト者も割礼を受けなければならないのか。こういう問題が初代教会で起こったのですね。結論は、ノーです。割礼を受けなくても、ただイエス・キリストの十字架の贖いを信じるだけで救われる。これが福音の意味であり、真理、いのちなのです。

 聖書は、新約聖書を通してそのことを証ししています。

2.信仰

再度、確認いたしましょう。神の子イエス・キリストの十字架による贖いにより、御子イエス・キリストを信じる者に、神との新しい契約に入る道が開かれた。これが福音です。そこには、割礼の有無は問題ではなく、御子イエス・キリストへの信仰を通して救われ、神の民となることが示されたのです。わたしたち日本人もアジアの人々もユダヤ人以外の全世界の人々は、割礼を受けることなしに、イエス・キリストを信じる信仰により救いに預かり、神の国の恵み、永遠のいのちにあずかる祝福をいただいているのです。ハレルヤ! 素晴らしいですね。

 主の十字架の死から三日目の復活、ペンテコステ(聖霊降臨)を経て、教会が誕生しました。主イエス・キリストのからだなる教会は、もはや割礼ではなく、信仰によってキリストと結ばれ、いのちの契約へと入れられたのです。その信仰を結び帯として愛があります。

 迫害する者からキリストのために死をも恐れない者に変えられたパウロは、律法のあり方を熟知していました。愛はすべてを結ぶ帯であること、愛がなければ信仰はむなしいものであることをコリント一 13章において語るのです。「信仰と希望と愛、その中で最も大いなるものは、愛である」

3.愛のわざ

 イエス様のご生涯は、そのはじめから最後まで愛のわざに徹した生き方でした。

  「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)

 イエス様の第一声です。

 イエス様は穢れた霊、悪霊にとりつかれた人をいやされます。病人(病院がない時代、手厚い看護、入院設備がない時代、有効な薬もない時代です)、疲れている人への癒し、助け、慰め、生きる力を与え、神と共にあることの喜びを分かち合われたのです。

 愛のわざを行われたのです。しかし、律法第一主義のファリサイ派の人たち、律法学者たちからは、罪びとの仲間として反感を持たれのですね。

 ルカによる福音書の10章25節以下では、「よきサマリヤ人のたとえ」があります。

追いはぎに襲われ、半殺しあって道端に倒れた人がいました。そこに祭司が通りますが、倒れた人を見ると道の向こう側を通って去っていったのです。次にレビ人がやってくるのですが、同じように道の反対側を通って去っていくのです。祭司もレビ人も信仰者です。

 しかし、サマリヤ人が通りかかると助けて宿にまで連れていき介抱するのです。

神を愛すること、隣人を愛すること。これが律法の中心的なメッセージであるとイエス様は言われます。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして神である主を愛すること。隣人を自分のように愛すること。これが律法の中心であるのです。

 神を愛することは、隣人を愛すること。これが、イエス様がお手本を示された愛のわざです。人が困っている時、貧しさ、乏しさ、弱っている時、苦しんでいる時、悩んでいる時、助けを求めている時、声なき声がある。こころの底からの訴え。嘆き、痛み、辛さを抱えている人に寄り添い、助けられたのです。

 闇から光へ。愛そのもの、光そのものであられるイエス様の真実です。これが福音ということです。

  

 愛によって働く信仰とは、わたしたちの信仰が愛に基づいているか。これが問われているのですね。

 教会は、また信仰者は、この2000年間、イエス様の示された愛のわざを行ってきました。使徒言行録3、4、5章には初代教会の働きが記されています。病院、孤児院、貧しい人たちを助け、養う。今でいう福祉の働きを教会が担ってきたのです。

 証人

1.マザー・テレサ 1910~1997年

 カトリックのシスターです。あまりに有名ですから詳細に説明する必要はないでしょう。

愛と信仰が一つとなったキリスト者です。インドで死にゆく人々の友となりました。

2.澤田美紀さん 1901~1980年

 エリザベス サンダーホーム 戦後の孤児2000人を収容、養い育てました。

岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)の孫娘 

3.わが家 恐縮ですが・・・

 岩手時代 青年 半年間居候。家賃も食費ももらっていない。

 栃木時代 家庭内暴力 DVの小学生の女児 教会の母子室に1週間(食事の世話)

 仙台時代 家庭内暴力 DV 中学生 深夜 教会の和室に4日(食事)

      児童相談所 

 カウンセリング

 4.教会の役割

   子ども食堂(新居浜教会―広瀬香織牧師)、カウンセリング、福祉、高齢者ホーム、障がい者施設

   教会は、福祉、病院、学校を兼ねていた。助け合い、祈り合う姿がそこにあった。

 5.今は分業

   教会―宣教

   福祉―行政、政治

 

6.教会の復権

   共鳴する人々、ボランティア、平和のために祈り、活動する

  最後にコリントの信徒への手紙 一 13章を読みます。

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無 に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 




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