2026年4月19日 仙台青葉荘教会礼拝

「一筋縄ではいかない神の恵み」

牧師 野々川 康弘

今日の箇所から、パウロの宣教旅行2が始まります。この旅行で、主イエスの救いが、初めてヨーロッパに伝えられました。36節を見ますと、この旅行は、パウロの提案によって始められたことが分かります。

とはいえ、パウロはこの旅行で、ギリシャまで行こうと思っていたわけではないのです。その証拠が36節です。そこを見ますとこう記されています。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」

つまり、パウロの宣教旅行1で誕生した教会を訪問して、キリスト者たちを力づけること。それが、パウロの宣教旅行2の目的だったのです。でも、パウロの宣教旅行2の旅の途上で、聖霊がパウロたちを導いて、思ってもいなかったギリシャにまで、足を伸ばすことになったのです。

ということは、ヨーロッパに、主イエスの救いが伝えられたのは、パウロの計画ではなくて、神の計画だったということです。神は、パウロたちの思いや計画を遥かに超えて、主イエスの救いの宣教を、前進させたのです。

パウロの宣教教旅行2は、パウロたちの思いや計画を遥かに超える神の導きを、次から次へと体験していくような歩みだったのです。

そんなパウロの宣教旅行2は、出発しようとしたその時から、大きな問題が起こったのです。それは、パウロの宣教旅行1を、共にしたバルナバとの別れです。彼らが分かれた事情。それが37節~41節に記されています。

パウロはバルナバと、マルコを宣教旅行に連れていくかどうかでもめたのです。バルナバは、彼を連れて行こうと思っていたのです。でもパウロは、38節に記されている通り、「パウロの宣教旅行1で、パンフィリア州で、自分たちから離れて、宣教に一緒に行かなかった彼を、連れて行くべきでない。」そう考えていたのです。

マルコがパンフィリア州で、パウロたちから離れた理由はいくつか考えられます。1つ目の理由は、彼はバルナバの従弟だから、郷里伝道には参加したけれど、小アジアの奥地にまで行く気はなかったのです。2つ目の理由は、最初の計画に含まれていなかったから、小アジアへの宣教に参加したくなかったのです。そして最後の理由は、キプロス島の宣教で、主導権がバルナバからパウロに移って行ったことが面白くなかったのです。それら3つのことが、マルコがパンフィリア州で、パウロたちから離れて、故郷に帰った理由である。そのように、多くの聖書学者たちは言っています。

何にせよ、マルコはパウロの宣教旅行1の途中で、故郷に帰ったのです。それが理由で、パウロは彼を、パウロの宣教旅行2に連れて行くことを反対したのです。でもバルナバは、マルコを連れて行きたかったのです。だから、意見が激しく衝突して、二人は別行動をとるようになったのです。

バルナバがマルコを連れて行きたかったのは、自分の親戚だったからです。でも、それだけではありません。バルナバの性格も関係しています。

バルナバという名前は、4章36節に記されている通り、「慰めの子」という意味のあだ名です。以前にも申し上げました通り、「慰め」という言葉は、「勧め」そう訳すことが出来る言葉です。

バルナバは、人を慰め、良い勧めを出来る人だったのです。彼は、人の欠点や失敗を責めたり批判したりするのではなくて、弱い人を温かく包み込んで、その人を励まして、最善の勧めを出来る人だったのです。そんな人だったからこそ、「マルコにもう一度、チャンスを与えたい。」そう思ったのです。でもパウロは、そういうバルナバの在り方に、「厳しさが足りない!甘すぎる!」そう思ったのです。

パウロは、「途中で嫌になって帰るなんてことは、使命感が無さすぎて、足手まといでしかない。」そう思ったのです。パウロの宣教に対する考え方と、バルナバの宣教に対する考え方は真逆だったのです。だから、パウロとバルナバは、行動を共にすることが出来なくなったのです。

皆さんは、パウロのように責任感が強く、理屈派の人でしょうか。それとも、バルナバのように、ゆるふわの感情派でしょうか。

1ついえることは、お互いの違いを認めることが出来なくて、行動を共に出来なくなることは罪です。いくら宣教の考え方が違うとはいっても、関係を断絶することは、十字架の和解と真逆です。

使徒言行録が語っている、パウロとバルナバがもめることになった原因は、「パウロの宣教旅行1で、パンフィリア州で自分たちから離れて、宣教に一緒に行かなかったマルコを、連れて行くべきでない。」このことだけです。でも、2人がもめることになった原因は、使徒言行録が語っていることだけではありません。

前回、申し上げました通り、エルサレム会議で決まった4つのこと。つまり、偶像の供えた肉を食べないこと。みだらな行いを避けること。絞め殺した動物の肉を避けること。血を避けること。それをアンティオキア教会が守って、ユダヤ人たちと、異邦人たちが一緒に食事をしていたにも関わらず、エルサレム教会から来た、割礼派のヤコブの仲間たちを恐れて、ペトロが食事の席から離れた時に、バルナバも一緒に食事の席からはずれてしまったこと。それも2人がもめることになった原因です。

ユダヤ人の伝統では、異邦人と食事を共にするなど考えられないことでした。ですが、エルサレム教会側が、エルサレム会議で、先程の4つのことさえ守れば、異邦人と共に食事をしても良い。そのように決まったということを、アンティオキア教会に通達してきたのです。だから、アンティオキア教会側を指導していたパウロは、エルサレム教会に対する最大の配慮をして、その4つのことを守って、ユダヤ人たちと食事が出来るようにしていたのです。本来的には、割礼も、ユダヤ人の食事の伝統も、主イエスの救いを信じるのには必要無いのです。でも、そのことをバルナバは、毅然な態度で、割礼派のヤコブの仲間たちが、アンティオキア教会に来た時に教えなかったのです。割礼派のヤコブの仲間たちを恐れたのです。

バルナバは、エルサレム会議で、「異邦人が割礼を受ける必要はない。」そのように、パウロと共に主張した人です。そんなバルナバでさえ、アンティオキア教会にやってきた、割礼派のヤコブの仲間たちを恐れて、異邦人との食事の席から外れたのです。

このことは、マルコを連れていくかどうか。そのこと以上の問題です。主イエスの救いの理解に関わる問題なのです。つまり、主イエスの救いを宣べ伝える人は、どうあるべきなのかということ以上に、主イエスの救いをどう理解するか。そのことに関わる問題です。パウロは、それこそがいちばん赦せなかったのです。

そんなこんなで、パウロの宣教旅行2では、パウロとバルナバは、決別したのです。39節に記されている通り、バルナバはマルコを連れて、再びキプロス島に船出して、パウロはシラスと共に、陸路を通って、小アジアの諸教会へ向かったのです。40節に記されている通り、彼らは、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発したのです。アンティオキア教会の人たちは、パウロとシラスのために祈って、彼らはその祝福を受けて旅立ったのです。

でも、パウロにとって、バルナバとの決別は、とても後味が悪かったのです。何故ならバルナバは、ファリサイ派から自分が回心した時に、エルサレム教会の人たちとの交わりに入るために、執り成しをしてくれた人だったからです。またパウロを、アンティオキア教会に連れて来たのもバルナバだったのです。そのバルナバと決別することは、パウロにとっては大きな挫折です。バルナバとの決別は、十字架による和解を問いているパウロの矛盾です。

でもそれが、私たちの大きな慰めです。あのパウロですら、自分が説いていた十字架の和解と、矛盾したことをしていたのです。そうであれば、私たちは尚更、自分が説く十字架の和解と、矛盾したことをしていても、何ら不思議なことではないのです。

人間は所詮、十字架に徹底的に従えない罪人です。だから、カトリック教会が行ったトリエント公会議で、エクス・オペレ・オペラートが決まったのです。エクス・オペレ・オペラートとは、聖職者に十字架に従えない罪があるかどうかに関わらず、聖餐自体に効力があるということです。もっとわかりやすくいえば、十字架に従えない罪を犯した聖職者が施した聖餐は、無効になるかどうか、それが話し合われたのです。その結果、十字架に従えない罪を犯した聖職者が施した聖餐であっても、効力を無くさない。それが決定したのです。そうでなければ、自分に十字架に従えない罪を感じた聖職者は、誰も聖餐を施すことは出来なくなります。聴くことの出来る聖餐である説教でいえば、聖職者が自分に十字架に従えない罪を感じたならば、説教を語ることが出来ないとすれば、教会が、聖職者の状態によって礼拝が出来なくなってしまいます。それ以上に、誰も説教が語れなくなります。それでは神の教会は無茶苦茶になります。神が聖職者を通して、五感で味わうことが出来る聖餐や、聴くことの出来る聖餐を、教会に与えておられるのです。聖職者は、神に用いられているただの器にすぎないのです。

でも、誤解しないで下さい。だからといって、聖職者は十字架に従えない罪を蔑ろにして良いといっているわけではありません。聖職者は、極力十字架に従った方が良いに決まっています。でも、聖職者は聖人君子だから、神に教会を任されているのではありません。教会を任せないと、どうしようもない罪人の頭だから、教会を任されているのです。

神はどうしようもない人を用いることで、神の栄光をより教会に現わそうとしておられるのです。聖人君子であれば、神の力は不要です。神の力が見えないのです。だから、どうしようもない罪人の頭を、神は教会の指導者に立てるのです。

でも、神に力が与えられなければ、自分はどうしようもない人間であることを解っている人は、神に従順になるのです。神に従順な人が、神の霊性に富んでいる人です。

 話が聖書から逸れました。話を聖書に戻します。パウロとバルナバが、十字架の一致が出来なかった挫折から、パウロの宣教旅行2は始まりました。でもパウロは、挫折したことが慰められる一つの素晴らしい出会いが与えられたのです。それが、16章1節~5節に記されている、テモテとの出会いです。

パウロとシラスは、アンティオキアから、シリア州、キリキア州を通ってデルベに入って、そこからリストラに行きました。そのリストラで、パウロはテモテという青年に出会ったのです。パウロはそのテモテを、パウロの宣教旅行2に連れていったのです。この後、テモテはパウロの弟子になって、伝道者になりました。新約聖書には、パウロがテモテに宛てた二つの手紙、テモテへの手紙1と、2が、入っています。その中でパウロは、テモテのことを「信仰によるまことの子」そう言っています。そう言える程、心を赦せるテモテとの出会いが、リストラで与えられたのです。

パウロにとって彼との出会いは、パウロの宣教旅行1の大きな実りだったのです。彼と出会ったことで、バルナバと決別した彼の心は励まされたのです。テモテは、16章1節に記されている通り、「信者のユダヤ婦人の子」だったのです。テモテへの手紙2の1章5節によると、彼の祖母ロイスも、彼の母エウニケも、立派なキリスト者だったことが分かります。つまり、テモテの信仰は、祖母や母から受け継いだ信仰だったのです。

じゃあ、テモテの祖母や母は、いつキリスト者になったのでしょうか。それは、パウロの宣教旅行1の時です。14章8節~19節を見ますと、パウロの宣教旅行1で、リストラで、主イエスの救いを宣べ伝えていたことが記されています。

この時パウロは、生まれつき足が不自由だった人を癒す、大きな御業を行いました。それを見たリストラの人たちは、バルナバとパウロを、「ギリシャの神々ゼウスとヘルメスが人間の姿を取って現れた。」そう思って、彼らを礼拝しようとしたのです。パウロたちはそれを何とか辞めさせた一方で、その様子を見ていた一部のユダヤ人たちは、とても不快な気持ちを抱いたのです。だから、アンティオキアやイオニオンから、何人かのユダヤ人たちを呼びよせて、群衆を煽動して、みんなでパウロに石を投げつけたのです。その結果パウロは、生死を彷徨う大きな痛手を受けたのです。そんな苦しみを受けたリストラ宣教で、主イエスの救いを信じた何人かの人たちがいたのです。その中に、テモテの祖母や母がいたのです。それが、多くの聖書学者たちの見解です。

テモテ祖母と母は、パウロたちが去った後も、迫害の中で信仰を守り通して、その信仰がテモテへと受け継がれていたのです。パウロの宣教旅行2で、パウロが再びリストラを訪(おとず)れてみたら、16章2節に記されている通り、彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人になっていたのです。それ程まで、テモテの信仰は成長していたのです。

伝道者にとって、主イエスの救いを宣べ伝えた相手が、キリスト者としてちゃんと成長していること。その人がちゃんと子供に、信仰継承していること。それがとても嬉しいのです。それを目の当たりにした時に、「自分の苦労に神が報いて下さった!」そう思うのです。

テモテとの出会いは、パウロにとってそんな出来事だったのです。テモテと出会うことによって、バルナバと別れてしまって、主イエスの十字架による一致が出来なかった罪。そこからからはじまった第二回宣教旅行の歩みに、神からの慰めと励ましが与えられたのです。その時パウロは、十字架の和解に従えなかった罪や、自分の打ちひしがれた思いを超えて、伝道者である自分に、豊かな救いの実りを与えて下さる神を、体験したのです。

そうなのです。神は、人間が十字架の和解に従えない罪をも超えて、大いなる救いをするのは、御自分であることを教えて下さるのです。それはなにも、パウロだけにそうするのではありません。現代の私たちにも、パウロのような体験をさせて下さるのです。

私たちがどんなに十字架の和解に従えなくて、打ちひしがれていたとしても、神の救いを、ちゃんと宣べ伝えていくとすれば、自分の宣教が無駄ではないことを、私たちの宣教の実りを見せて、勇気づけて下さるのです。慰めて下さる。ちゃんと神が、自分のことを見放していないことを証明して下さるのです。

神が私たちをお用いになる時に、大切なことは、私たちが主イエスの和解に生きることが出来る能力ではありません。そうではなくて、主イエスの十字架の和解に生きることが出来ない罪があること。そのことをちゃんと自覚して、その罪のために主イエスが十字架で死なれたこと。そのことを、宣べ伝え続けること、証し続けることです。つまり、罪を犯さなくなった自分を自慢する証や、神に従順になれた自分の自慢をする証ではなくて、自分が十字架の和解に従えない罪人であっても、その罪が赦されていることを、ちゃんと証し続けて、宣教し続けること。それが、神の慰めを体験出来るようになる秘訣なのです。

私たちが、自分が十字架の和解に従えない罪人であっても、その罪が赦されていて、神の慰めが及ぶことを体験出来たなら、私たちは、十字架の和解に生きられないことや、人と対立してしまうことを、恐れる必要はなくなるのです。

でも誤解しないで下さい。「十字架の和解に生きられなくても良い。人とどんどんぶつかれば良い。人と決別しても良い。」そういうことではありません。主イエスの十字架の和解を台無しにしてしまうような、自分勝手な歩みは、勿論罪です。避けるべきことです。でも、「主イエスの救いの真理が曲げられる。」そう思った時、断固として抵抗するべきなのです。自分の主張を、ちゃんとするべきなのです。確かにそれによって、人間関係が上手くいかなくなることがあります。でも、主イエスの救いの真理を曲げるべきではありません。パウロは、自らの主張を貫いたことで、バルナバとの別れが起こりました。確かに、十字架の和解に生きることが出来ていない人間の姿がそこにあります。でも、その責めを負うところら始まった、パウロの宣教旅行2の最初に、テモテとの出会いが与えられて、パウロは励まされたのです。更にいえば、パウロとバルナバが、主イエスの十字架の和解に生きられず、別れたことで、教会の力は弱まらなかったのです。それどころか、5節に記されている通り、「教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」のです。

それは、パウロとバルナバの対立が、自分勝手な対立ではなくて、主イエスの救いの真理をめぐる対立であり、教会のことを大切に想っての対立だったからです。だから教会の力が弱まるどころか、教会は信仰が強められて、日ごとに人数が増えていったのです。

それだけではありません。パウロとバルナバの対立が、自分勝手な対立ではなくて、主イエスの救いの真理をめぐる対立であり、教会のことを大切に想っての対立だったからこそ、その対立は、後に解消したのです。その証拠が、テモテへの手紙2の4章1節です。そこを見ますとこう記されています。「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」これは、パウロがテモテに書いた手紙です。パウロがテモテに「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」そう言っているのです。このことは、パウロとマルコの関係が良くなって、パウロの同労者になっていた証拠です。このことから想像出来ることは、パウロとバルナバも、後に和解に至ったのではないかということです。死んだ人間関係が回復するのは、人間の努力ではなく、主イエスの十字架という福音によるのです。主イエスの十字架という福音をめぐる対立は、主イエスの十字架という福音によって、必ず解決するのです。

私たちの歩みには、色々な対立が起こってきて、共に歩めなくなるなんてことがあるのです。そこには、主イエスの十字架の和解を無視する罪がからんでいます。でも主なる神は、人間関係を断絶する道、人間関係に死を齎す道、自分が楽になる道、そんな方向に、進んでいってしまう自分に、駄目出ししている私たちに、新しい出会いを与えて下さって、あなたは駄目な存在ではない。そのように、私たちを慰め励まして下さるのです。そのことで気付かされることは、死という力を用いて、自分が楽になろうとする私たちを、神は見捨てておられないということです。神は私たちが、人との関係を断絶して、関係の死で解決する罪を抱えていたとしても、主なる神に望みを置いているならば、主なる神が、自分の想像を超えて、新しい出会いを与えて下さって、自分の霊を、復活させて下さって、関係を断絶した相手と、和解して歩んでいくことが出来るようにして下さるのです。

 主イエスの十字架の和解の恵みは、「自分は、主イエスの十字架の和解に生きることが出来ている。」そういう傲慢な人にも、「主イエスの十字架なんかどうでも良い。人との和解に生きられなくても良い。」そう開き直っている人にも与えられません。主イエスの十字架の和解の恵みは、「自分は主イエスの十字架の和解に生きることが出来ていない。自分は所詮、赦された罪人にすぎない。」そのようにいつも考え込んでしまう人。別の言い方でいえば、主イエスをいつも探求している人。そういう人に、主イエスの十字架の和解の恵みが与えられるのです。主イエスの十字架の和解の恵みは、私たちが白黒はっきりさせるところにはありません。私たちが、いつも考え込んでしまうグレーゾーンの中にいる人、いつも主イエスを探求している人に与えられるのです。

 今日、私たちは、そのことを心に留めたいと思います。

 最後に一言お祈りさせて頂きます。