2026年5月3日 仙台青葉荘教会礼拝

使徒言行録16章6節~15節
「神の招き」

牧師 野々川 康弘


前回、バルナバとの決別から始まったパウロの宣教旅行2は、宣教旅行1の結実であった、テモテとの
出会いによって力づけられて、宣教旅行を続けることが出来た。そう申し上げました。 
今日、皆さんにお配りした地図をご覧下さい。パウロがテモテと出会ったのは、リストラです。そこでテモ
テと出会って力づけられたパウロは、次はエフェソに行って、主イエスの救いを宣べ伝えようと思っていた
のです。でもそれが、聖霊によって禁じられたのです。それが記されているのが6節です。そこにはパウロ
がアジア州で、御言葉を語ることを聖霊から禁じられたことが記されています。「アジア州」とは、エフェソ
のことです。エフェソに行って、主イエスの救いを宣べ伝えること。それが聖霊によって禁じられたからこそ
、パウロたちは、ガラテヤ州のフリギア地方を通って、ビティニア州に入ろうとしたのです。でも、7節に記さ
れている通り、ビティニア州に入ることも、イエスの霊によって、つまり、聖霊によって禁じられたのです。
だからエフェソよりずっと上の方にある、トロアスという港町に、行くことになったのです。
つまり、パウロの宣教計画は、聖霊によって二度も、変更を強いられたのです。でもそれは、聖霊の声
が聞こえたというのではなくて、何らかの事情によって計画を変更せざるを得なかった。そういうことなの
です。そして、そのことを後から振り返ってみた時に、あれは聖霊が禁じたことで、聖霊が別の道に向かわ
せるようにしたことに気づかされたということです。
そうすると疑問になることがあります。それは、パウロたちが計画を変更しなければならなかった理由
は、一体何だったのかということです。実は、そのことは、はっきり分かりません。
でも、そのことを知る手がかりになるのは、宣教旅行2で、パウロたちが立ち寄ったガラテヤ教会に宛て
た手紙です。
ガラテヤ教会が何処にあるか。それが、聖書学者たちの間で説が別れています。一つの説は、パウロ
の宣教旅行1で生まれた、イコニオン、リストラ、デルベが、ガラテヤ教会であるとする説です。その理由
は、イコニオン、リストラ、デルベは、ローマ帝国の行政区分では「ガラテヤ州」に属していたからです。そ
してもう一つの説は、行政区分のガラテヤではなくて、人種的意味のガリラヤである。だから、パウロの宣
教旅行2で、エフェソに向かう計画が変更されて、上の方に向かったことで生まれた、フルギアとガリラヤ
の境目に出来た教会であるとする説です。
いずれにしても、ガリラヤ教会に書き送られたガラテヤの信徒への手紙4章13節~14節を見ますと、
パウロの宣教旅行2で、ガラテヤで、主イエスの救いを宣べ伝えたのは、想定外のことであったことが分
かります。想定外のことが起こった理由は、ガラテヤの信徒への手紙4章13節~14節に記されている通
り「パウロの体が弱くなった」ことが原因です。
聖書学者たちは、パウロの体が弱くなったこと。それが、パウロの宣教旅行2で、宣教計画を変更せざ
るを得なかった理由であると見ています。私もそう思います。
つまりパウロは、パウロの宣教旅行2で、イコニオン、リストラ、デルベに行く前か、フルギアとガリラヤ
の境目に出来た教会に行く前に、何らかの病気になったのです。だから、エフェソに行く計画を変更せざ
るを得なくなったのです。それこそが、後になって振り返ってみると、エフェソに行くことは、「聖霊によって
禁じられた。」そう理解出来たことだったのです。でも、ビティニア州に行こうとした際に、「聖霊がそれを赦
さなかった。」そう解釈出来た理由は定かではありません。そのことは詳しく分かりませんが、パウロたち
は、宣教旅行2で、計画を変更せざるを得なくなることを、繰り返し体験したことで、最初に計画していたエ
フェソよりずっと北の、トロアスという港町に導かれていったのです。
 要するに、パウロの宣教旅行2は、自分たちの計画通り、思い通りにいかなかった理由は、パウロが病
気になったことです。
パウロにとって、自分が病気になったことが、大きな苦しみであり、挫折だったのです。先程のガラテヤ
の信徒への手紙4章13節~14節の言葉でいえば、パウロの病気は、「ガラテヤ教会にとっても、試練とも
なるようなこと」だったのです。でも彼らは、パウロをさげすんだり、忌み嫌ったりせずに、迎え入れたので
す。パウロはその感謝を、ガラテヤの信徒への手紙4章13節~14節で、ガラテヤ教会に伝えているので
す。
そのことから察することが出来るのは、パウロの病気は、伝道者としてのパウロの信用が、無くなること
もあり得るような病気だったということです。そんな病気を抱えてしまったパウロは、それが大きな苦しみ
であり、挫折だったのです。
「主イエスの救いを宣べ伝えるために召された自分が、宣教旅行2の途中で、何でそんな大病を患っ
てしまったのか。神は、自分の宣教を妨げるようなことを何でなさるのか。」
パウロが、そう思わざるを得なかった苦しみだったのです。その証拠に、コリントの信徒への手紙2の
12章7節~8節で、パウロは、宣教旅行2で、自分の身に一つのとげが与えられて、それを取り去って下さ
るように、「三度主に願った」ことを書き記しています。3は完全数です。つまりパウロは、自分の病気が完
全に治ることを真剣に祈り求めたのです。
私たちも人生の歩みの中で、自分の思いや計画が、その通りに行かないことを体験するのです。自分
にとって、まさかと思うことが、色々自分の身に起こってきて、自分の思いや計画を、変更せざるを得ない

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ときがあるのです。しかもそれは、自分勝手な、自分のための計画ではなくて、神の栄光を表すために、
良いことを計画して、実行しようとしているにも関わらずです。
その時に私たちは、「神は何でこのようなことをなさるのか!」そのように、神を恨みたくなるのです。そ
して、やる気を失うのです。
宣教旅行2でのガリラヤ宣教は、パウロにとっては、まさに、神を恨みたくなることであり、宣教旅行を
続ける気持ちが失せることだったのです。
そんな中で、パウロたちはトロアスという港町に辿り着いたのです。そのトロアスで、ある夜
、パウロは幻を見たのです。それが記されているのが、使徒言行録16章9節~10節です。そこを
見ますと「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州
に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。』パウロがこの幻を見
たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告
げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」そ
う記されています。
マケドニアは、今日、皆さんにお渡しした地図を見るならば、ギリシャの方であることが分かります。
パウロはマケドニアに来て、助けてくださいという訴えを、夢で見たのです。だから彼は、マケドニアに行
って、マケドニア人に主イエスの救いを宣べ伝えるために、神が自分たちを召していることを確信したので
す。
その時になって、自分が計画していたこと、自分が思った通りにいかなかったこと。その意味を悟った
のです。自分とは違う人格を持っておられる神が、自分の思いや計画とは別のことをさせようとしておられ
て、そこへ導くために、自分の歩みを妨げたことを悟ったのです。
自分が病気になった時には、分からなかった神の御思いが、トロアスという港町に来て、ようやく分かっ
たのです。
そのことから分かることは、自分に大きな不幸が起こって、自分の計画や思いが妨げられるような苦し
みを負ったとしても、やけを起したり絶望したりしてはいけないということです。「自分にとって、これは不
本意なことだ。」そう思えたとしても、神の御思いは一体何なのか。そのことを探しなが、自分にとって不本
意な道に留まり続けてこそ、自分の思いがけないタイミングで、神の御思いに気づかされることを、私たち
は体験出来るのです。
ヨーロッパに、主イエスの救いが伝わったのは、パウロの身に、大きな病気が襲い掛かってきて、それ
が治らず、自分の計画や思いが妨げられる苦しみを負うことになっても、やけを起したり絶望したりしなか
ったからです。自分にとって不本意な道を歩み続けて、神の御思いは一体何であるのか。そのことをずっ
と探し続けたからです。それが、神に祝福されたのです。このことから分かるのは、人間が神に求める祝
福と、神が人間に与えようとする祝福は、多くの場合食い違いがあるということです。
それはそうと、使徒言行録16章10節からは、ちょくちょく「わたしたちは」そういう表現が使われています
。「わたしたちは」という言葉が指し示しているのは、使徒言行録の著者ルカが、自分も体験したことを語
っているということです。
つまり、使徒言行録の著者ルカは、港町トロアスでパウロたちと出会って、そこからパウロの宣教旅行
2に合流したということです。港町トロアスから向かったのは、マケドニア州にある、ローマの植民都市フィ
リピでした。フィリピは、ローマ帝国の退役軍人たちが住み着いて造った町です。そういった意味で、フィリ
ピは、ギリシャの町でありながらも、ローマと密接な関係があった町だったのです。そんな町だったからこ
そ、ローマ帝国の本国であった現在のイタリアで、主イエスの救いを宣べ伝えていく足がかりとして、とて
も相応しい宣教地だったのです。だからフィリピでの宣教が、ヨーロッパ宣教の足掛かりになったと言って
も過言ではないのです。
フィリピでの宣教は、ある安息日に、ユダヤ人たちの祈りの場所を捜して、そこで主イエスの救いを宣
べ伝える所から始まりました。すでに今まで申し上げました通り、パウロの宣教は、先ずは、ユダヤ人たち
に、主イエスの救いを宣べ伝えるところから始めて、その後、異邦人たちに、主イエスの救いを宣べ伝え
るというやり方でなされていました。そこに、パウロのユダヤ的伝統と、主イエスの福音の関係についての
パウロの考え方が現れています。
パウロがフィリピで、ユダヤ人たちの祈りの場所を捜した理由は、フィリピにはユダヤ人の会堂がなか
ったからです。つまりフィリピには、会堂を造るほど沢山のユダヤ人が住んでいなかったのです。祈りの場
所があると思われる川岸に行った理由は、ユダヤ人たちは、きよめの儀式のために、安息日の祈りを水
辺で行う習慣があったからです。
だからパウロは、ユダヤ人たちがいた川岸で、フィリピに住んでいたユダヤ人たちに対して、主イエスの
救いを宣べ伝えるところから始めたのです。パウロが語る主イエスの救いを聴いていたのは、ユダヤ人の
婦人たちでした。その中に、リディアという人がいたのです。14節を見ますと、「神をあがめるリディア」そう
記されています。「神をあがめる」という言い方は、異邦人でユダヤ教に回心して、その教えを聴いていた
人のことを意味しています。そうなのです。リディアは、異邦人からユダヤ教に回心していた人だったので
す。14節によれば、彼女は、「ティアティラ市出身の紫布を商う人」だったのです。紫布は当時、とても高価
な布地でした。リディアは、そんな高価な品物を商う裕福な商人だったのです。そのリディアが、フィリピ宣

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教の最初の実りとなったのです。彼女は家族と一緒に洗礼を受けて、パウロたちを家に滞在させて、そこ
を宣教地としたのです。フィリピ教会は、リディアの家に誕生したのです。
16章40節を見ますと、「牢を出た二人は(つまり、パウロとルカは)、リディアの家に行って兄弟たちに
会い、彼らを励ましてから出発した」そう記されています。この時、パウロとルカがリディアの家にいったの
は、そこがフィリピ教会だったからです。
フィリピ宣教で、リディアに信仰が与えられて、彼女がフィリピ教会の初穂となった時のことを、14節
は、「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」そう言っています。
そうなのです。信仰は、御言葉の解き明かしを熱心に聴くところから始まるのです。
とはいえ、リディアも、私たちも、御言葉の解き明かしを、熱心に注意深く聴くことが出来るのは、私たち
の熱心さでも、私たちの真剣さでも、私たちに求める気持ちがあることでもないのです。また、パウロが語
る御言葉の解き明かしが、上手に人の心を引き付けるからでもありません。14節に記されている通り、「
主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」のです。
私たちが御言葉の解き明かしを熱心に聴くことが出来るのは、そこに主なる神が働いて下さっていて、
心が開かれているからです。主なる神が、私たちの心の扉を開いて、御言葉の解き明かしを、私たちの
心の中に響かせて、私たちに罪があることを指摘して、その赦しを宣言して、今まで見えなかった主イエ
スが、私たちが神を無視して歩む罪や、私たちが自己中心に歩む罪の身代わりとなって十字架で死なれ
た恵みを見つめさせて下さるのです。そこに、信仰が与えられるのです。
信仰とは、神によって心を開かれて、主イエスの救いの恵みである、十字架を見つめることなのです。
パウロが、自分の思いや計画の変更を余儀なくされることになった、病気の苦しみの中で、マケドニア
人の夢を神から見せられた時に、体験したこともそういうことだったのです。自分の計画や思いが、自
分の病気のために挫折した現実を嘆いていた彼が、神によって心を開かれたことで、自分の挫折だら
けの宣教旅行に、主の備えて下さった広い道が開かれていることに気づいたのです。
その気付きが与えられたからこそ、パウロの宣教旅行2で、主イエスの救いが、ギリシアや、ヨーロッ
パへと伝えられていったのです。それだけではありません。パウロが挫折したことで、ふてくされて、宣
教を辞めずに、主なる神の御旨が何であるのか。そのことを真剣に模索していたからこそ、挫折だらけ
の宣教旅行2で、主なる神が、リディアの心をも開いて、パウロが説き明かす御言葉に耳を傾けさせて
、彼女に信仰を与えて、フィリピ教会の初穂となるパウロの宣教の実りを与えて、パウロを勇気づけた
のです。
 14節の「心を開かれた」という言葉は、ルカによる福音書24章31節を思い起させます。主イエスが
復活された日の夕方、エマオへと向かう二人の弟子たちに復活した主イエスが現れて、共に歩んで、聖
書を説き明かされました。でも、彼らの目は遮られていて、それが主イエスだと分からなかったのです。
でも、夕食の席に一緒に着いた時に、主イエスがパンを取って賛美の祈りをささげて、パンを裂いて渡
されたその時に、彼らの目が開けて、復活した主イエスであることが分かったのです。
そうなのです。五感で味わうことの出来る聖餐に私たちが与る時、また聴くことの出来る説教という聖
餐に私たちが与るとき、私たちの目や心が開かれて、主イエスの十字架の救いの恵みを、はっきり示さ
れるようになるのです。
パウロの宣教旅行2は、自分の思いや計画が、神の御旨にあっていないこと。神不在の歩みをしてし
まっている自分の罪があること。そういったことを骨の髄まで思い知らされて、その罪のために主イエス
の十字架があったことを思い知らされながら、自分の霊性が復活する体験の連続だったのです。
神はそういったことをパウロたちに体験させて、救いのみ業を推し進めていかれたのです。
私たちが、いかに神のことを考えて、日々の生活を送っていようとも、自分の思いや計画が、神の御
旨にあっていない連続であること。神不在の歩みをしてしまっている自分の罪があること。そういったこ
とがあるが故に、毎月の月初めに、五感で味わうことが出来る聖餐と、毎週、週の初めの日曜日に、聴
くことの出来る聖餐に、神が私たちを招いて下さっている恵みを覚えて、今日から始まる一週間を、復
活の命を頂いて、皆さんと共に、此処から私たちそれぞれの生活の場に、派遣されていくことを心から
願っています。
最後に一言お祈りさせて頂きます。