2023年6月25日 聖霊降臨節第5主日礼拝

2023.0625.Syuuhou

聖 書  マタイによる福音書5章10~12節

説 教  人権と迫害

 マタイ5章3節からのところは山上の説教の内、八福と言われます。「こころの貧しい人々は、幸いである。天の国はそのひとたちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。幸いが八つ、イエス様から語られます。その8番目の幸い。これが

「義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」です。

 今日の説教題は、「人権と迫害」です。迫害されて幸せなことはありません。苦しいですね。いこい6月号に迫害されて亡くなった事件のことを記しています。この事件は、日本が韓国を併合し、日本の政治支配が確立した年代です。伊藤博文が初代総督となっています。日本の陸軍が支配体制を強化するために、抵抗している人たちを弾圧し、迫害しました。迫害の対象はキリスト教会だったのです。

 日本の牧師たちが韓国に行くときに、この事件に日本を代表して謝罪する。そういう機会を覚える時を持っています。仙台青葉荘教会にアシュラムで何度か講師にお呼びしました村瀬俊夫牧師はこの提岩里教会に行かれ、謝罪と悔い改めの祈りを捧げられています。

村瀬牧師の生涯の課題は、この韓国と日本の関係で日本が韓国、北朝鮮に対して犯した罪責を謝罪するというものでした。

 提岩里教会事件とは、1919年4月、29人の教会員を閉じ込め、日本軍が教会を丸ごと焼き払って殺害した事件です。教会から脱出した逃れた人がいましたが、軍隊はその人たちを射殺しました。

 イエス様はマタイによる福音書の、この5章において、すでに迫害について語られています。まだ福音宣教の緒につかれたばかりです。その最初にすでに迫害されることを予見しておられるのです。

 もう一度申しますと、迫害されて幸せなことはありません。苦しいです。どうしてこのような辛い、苦しいことがあるのか。神様に苦情を言いたくなります。神様を信じているのに、そのことで迫害がある。なぜですか? 理不尽なことって、世にいっぱいあります。

聖書の一番の不思議は、正しい人が苦しみに遭うことです。信仰者が神の恵み、祝福を受けるところなのに、逆の呪いを受けるような経験をする。理不尽です。なぜですか。そう問いかけます。これは不条理と言うのですね。道理にかなわない。おかしいじゃありませんか? 答えはない。それなら、神様、バイバイ、失礼します。そういって、もう金輪際、神にかかわろうとしない。教会も離れます。もう来ません。

イエス様は先の先まで人間の思いをご存知であられました。十字架刑の前の夜、捕縛された時、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げてしまったのです。

わたしのために罵られ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。よろこびなさい。大いに喜びなさい。

そう言われるのです。

聖書には、イエス様は奇跡を行われました。イエス様は病人に手を置いていやされる。

死んだ人を甦らせる。そのような奇跡も行われる。イエス様のお言葉は、権威があり、人を活かす力がありました。イエス様は仰います。

義のために迫害される人たちは幸いである。

キリスト教信仰は、迫害が前提とされているのです。

26聖人殉教

日本の迫害 豊臣秀吉、徳川幕府の迫害と弾圧は過酷で厳しいものがありました。遠藤周作さんが「沈黙」を書いています。小説「沈黙」の背景は徳川政権の時代です。

その前、羽柴秀吉の時代。それが26聖人殉教です。

 16世紀に日本にキリスト教がもたらされて以来、勢いが強いものがありました。戦国大名がキリスト教を受け入れ、洗礼を受けました。各地で教会が建てられ、洗礼を受ける人たちが起こりました。危機意識を持ったのが、既成の宗教である神社仏閣、とくに仏教の僧侶が激しい反発を持ち、時の権力にキリスト教の危険性を訴えました。キリスト教は人権意識をもった教えです。神のもとに人間は平等です。お殿様も武士も町民も農家の人たちも平等なのです。それでは支配者は困るのです。士農工商を進める幕府は差別することが当たり前ですから。そのために、弾圧があり迫害されます。

 とくに、26聖人殉教が有名ですね。豊臣秀吉によって命じられた十字架刑です。

1597年のことです。20人の日本人、その中には12歳と14歳の少年もいました。そして、6名のスペイン人の宣教師、司祭たちです。耳と鼻を削ぎ落とされ、京都・大阪から歩かされ長崎に到着。1月のことです。キリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘に似ているという理由で宣教師らが願い出た「西坂の丘」で彼らは十字架にかけられ、両脇を槍で突かれて処刑されました。

 その時の記録があります。12歳というと、小学6年生くらいでしょうか。

厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者の寺沢半三郎(当時の長崎奉行であった寺沢広高の弟)は、一行の中にわずか12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見て哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」とルドビコ少年に持ちかけます。しかし、ルドビコ少年は「この世のつかの間の命と、天国の永遠の命を取り替えることはできない」と言い、毅然として寺沢の申し出を断りました。

 仙台においても、殉教者は多くいらっしゃいます。伊達政宗の時代です。今日は、取り扱いはしません。

 明治になっても同じです。神以外のものを神としてはならない。これが信仰告白です。

しかし、大日本帝国憲法では、天皇は神として崇められるものです。不可侵の神聖な統治者なのです。

 今日は、ホーリネス系教会の弾圧を記念する礼拝です。

小山宗佑教師補

ホーリネス系教会の弾圧事件は1942年6月26日です。しかし、その一年前、1941(昭和16)年6月24日及び25日の両日、富士見町教会に開かれた創立総会において、合同が実現しました。日本基督教団の成立です。

その年、1941年(昭和16年)1月、日本聖教会、函館聖教会の牧師補(教団成立前は、日本聖教会でした。仙台青葉荘教会も日本聖教会 仙台青葉荘教会でした。正式な名称です)小山宗佑教師補が護国神社の参拝を拒否したとして、函館の地域社会に密告され、憲兵隊に検挙されました。

小山教師補は、大阪の日本聖教会の大阪西野田教会にて小出朋治牧師から洗礼を受けます。献身するために、大阪美術学校を中退し、東京聖書学校に入学。聖書学校卒業後に、北海道函館市の函館聖教会に日本聖教会の牧師補として赴任したのです。ホーリネスの信仰を純粋に持った伝道者のなり立てほやほやです。

当時の教会は、礼拝前に皇居遥拝をしなければなりませんでした。「最初に皇居遙拝を行います」と牧師の号令に従って,出席している教会員全員が東京の方向に向かって 「最敬礼」するのです。最敬礼というのは,お辞儀をするときに手の指先が膝株の下まで届くように上半身を深く曲げるお辞儀です。神様を拝む前に天皇を拝ませたのです。天皇は神とされていました。 もちろん,キリスト教としては拝んではならないものです

これをしないと、礼拝ができないのですね。特高といって特別高等警察が礼拝に出席し、監視しているのです。特高は鬼より怖い組織です。仙台青葉荘教会の礼拝も同じです。日本のすべてのキリスト教の礼拝でも同じです。

 小山宗佑先生は神社の前で敬礼をしなかったことで密告され、特高に引っ張られたのです。この時の取り調べで、ホーリネス系の教会の信仰の危険性、国体に反する信仰を感じたのだと思います。

小山先生は1942年3月23日 自殺したとされます。しかし、遺族が亡骸を引き取りに行くと、拷問の痕跡を見つけます。遺体は「獄衣の下に着ていたと思われる浴衣がどす黒く血塗れでべったりと張り付いて」いたとあります。また、遺体を引き取った小山の兄・伊藤馨牧師(札幌新生教会)は「首筋に赤い痕跡があり、首の骨が折れていた」と発言しているのです。(『ホーリネス・バンドの軌跡 リバイバルとキリスト教弾圧』) 

 拷問される。数ある暴力の中でもっとも悲惨で、非人間的、非人道的です。これが政治的迫害です。小説家の小林多喜二も拷問をかけられ、刑務所内で虐殺されました。

 数あるキリスト教の中で、ホーリネス系の教会だけが狙い撃ちにされます。小山宗佑先生の事件から3カ月後、ホーリネス系教会の弾圧がおこったのです。1942年6月26日です。140名のホーリネス系教会の牧師が検挙、獄中に捕らわれました。仙台青葉荘教会の中島代作牧師もその一人です。

 「人権と迫害」というと、政治とのかかわりがあります。中国、北朝鮮のような共産主義の独裁専制主義、イラクのようなイスラム教の宗教独裁主義があります。そこには人権意識が少ないと言われます。中国、北朝鮮では、憲法では信教の自由は認められていても、聖書を持ち、読んでいるだけで捕縛され、獄に入れられ、処刑されます。

 中国では教会堂が壊されています。共産主義だけが認められています。中国や北朝鮮、人権意識はありません。体制を維持するために、人権を見殺しにしています。自由、思想において、国家に奉仕するものしか認められません。人類全体への貢献はないのです。自国の利益、体制維持のための政治です。したがって、そこには信仰においても国家に仕えるものしか認められないのです。神を第一とするより、国家が神であり、その長たる国家主席、総書記、委員長という個人独裁体制。共産主義体制下の皇帝です。

 彼らが神となって、崇められているのです。

 小出朋治牧師の殉教

 小山宗佑教師補に洗礼を授けたのが小出朋治牧師でした。その薫陶で小山宗佑先生は、献身して東京聖書学校に入学したのです。1942年6月26日小出朋治牧師も検挙され、禁固3年の実刑判決を受けました。ちなみに中島代作先生は懲役2年の判決でしたが、執行猶予3年が付き、保釈されています。教会は解散し、牧師職は教団から剥奪されており、

誰も来ない教会でひっそりとされていました。その内、仙台空襲で教会は焼失しました。

 小出先生に返りますが、1945年(昭和20年)8月の終戦になっても釈放されません。むしろ、堺刑務所で釈放間近になり、病死したとの知らせがあり、夫人と子息の小出忍先生(先生は東京聖書学校の校長をされていました)が遺体を引き取りに行きます。死亡診断書によれば9月10日午後12時半死亡で、死因は動脈硬化症とされていました。しかし、遺体には3センチの幅の生々しい血痕が2つあり、背中には鉄棒で殴られたらしい紫に腫れた斑点があり、特別高等警察の拷問により死亡したと見られます。

 当時の警察、刑務所は都合の悪いことは隠蔽します。名古屋入管に収容中の2021年3月6日にスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が死亡しました。医師は「もっと早く病院で治療を受けさせるべきだった」と指摘しました。戦後、80年たっています。

 人権意識は残念ながら、わが日本では、まだまだ低いものがあります。LGBTの問題にしても、そうです。

 わたしは聖書学校時代、校長の小出忍先生から薫陶を受けました。聖書学校の中で誰よりも直接教えを受けた時間は長いと自認しています。

 その中で、よくホーリネス教会の弾圧の中で、ご自身のお父さんのことを話されました。国家を訴えようとされたとのことです。しかし、ホーリネスの信仰を生きる者として、むしろ父親の殉教を受け入れ、いま与えられている伝道者・牧師としての使命を生きることを選んだとのことです。

人間として一番の喜びは何かと考えます。それは、本物との出会いです。自分がそのために生き、そのために死ぬことになっても、それが生きることの幸せ、喜び、こころの底から溢れてくる感謝。そのために苦難にあっても、それを誇りとすべきもの。それに拠って立つべきもの。人生そのもの。人生のすべてとなるもの。それは、キリストのために生きること。キリストのために死ぬこと。これがホーリネス教会の牧師の信仰です。

これがホーリネスの教会がいう潔め、ホーリネスだと信じます。それがホーリネス教会の伝統であり、精神なのです。

 仙台青葉荘教会もその伝統を受け継いでまいりたいと願います。




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