2020年6月14日 聖霊降臨節第3主日礼拝
2020年6月14日 聖霊降臨節第3主日礼拝
聖書 ネヘミヤ記8章7~10節
説教 復興の喜び
1.ネヘミヤ記の歴史的、地理的背景
バビロン捕囚からネヘミヤ城壁工事までの歴史を表にしました。バビロン捕囚という歴史的出来事がありました。バビロニアという軍事大国があり、その王がネブカドネツァルです。これによりダビデ王によってはじめられたユダ王国が滅亡しました。
バビロン捕囚は、第1次捕囚と第2次捕囚があり、それぞれが聖書に記されています。列王記下24章、歴代誌36章です。エルサレム神殿が破壊され、エルサレムの街が焼け野原になったのです。戦後の東京が焼け野原になったような状態です。
バビロン捕囚の期間の聖書 (エレミヤ29:10)
捕囚からの帰還 ハガイ書、ゼカリヤ書、エズラ書、ネヘミヤ記
表について、時間の関係上、細々とした説明は控えます。
年代(BC) | おもな出来事 | 内 容 | 聖 書 |
597 | 第1次捕囚 | ユダ王ヨヤキン | 列王記下24:8~ |
586 | 第2次捕囚 | ユダ滅亡 ゼデキヤ王 | 列王記下25:1~ |
538 | バビロン滅亡 | ペルシャ王キュロス | イザヤ書44:2845:1 |
537 | 帰還の布告 | 捕囚からの帰還始まる | エズラ記1章 |
535 | 第1次帰還 | イェシュア、ゼルバベルらにより | ハガイ書、ゼカリヤ書 |
515 | 神殿再建(第2神殿) | エズラ記6章 | |
458 | 第2次帰還 | 祭司エズラの指導 | |
446-433 | 第3次帰還 | ネヘミヤ エルサレム城壁竣工 | ネヘミヤ記6章 |
歴史的出来事 バビロン捕囚とペルシャ帝国の王キュロスによる解放とエルサレム帰還。バビロニアによって破壊されたエルサレムの街と神殿の再建、これがネヘミヤ記でもあります。
これはユダヤ民族の歴史ですが、同時に聖書の時代背景でもあります。旧約聖書に記されているユダヤ民族の歴史に働かれる神が、現代のわたしたち日本人だけでなく、神を信じ、独り子イエス・キリストを信じるすべての人に共通する信仰の問題であるのです。すなわち、わたしたちの問題でもあるのです。
本日のネヘミヤは、ネヘミヤ記に登場するユダヤの総督です。ペルシャ帝国のアルタクセルクセス王の献酌官です。このネヘミヤとエズラによって、エルサレムの城壁再建がなされました。礼拝の場を作る。ネヘミヤ記を読みますと、城壁工事を邪魔する人たちがいました。その前の神殿再建の時もそうでしたが、戦いがありました。神様のわざを邪魔する人たち、妨害者がいたのです。礼拝を邪魔し、妨害する人たちがいる。その信仰の戦いですね。ネヘミヤ記では、トビヤとサンバラテという有力なひとたちです。
聖書ではその人たちはサタンであり、サタンの使いです。現代でもサタンの使いはいます。礼拝を邪魔する人たち、妨害する人たちです。もう一つは、世俗主義があります。あるいは、多忙という誘惑があります。聖書を読む時間、祈る時間、賛美することを妨げるものがある。また、教会員でのうわさ話し、引き下げるものがある。ディスカウント(人格、品性の値引き)、貶めるものがある。
エズラとネヘミヤは、信仰と祈りで工事が完了します。 現代では、教会の再興であり、教会建設です。神の国を待ち望む信仰共同体としての教会を建て上げることが目標です。
本日は、2か月間皆さんが集っての礼拝を休止し、ネット礼拝および週報によって、各自で、また家庭礼拝を守ってきました。2か月ぶりの足を運び、会堂に集っての礼拝を行うことの喜びをもって、ネヘミヤ記を選びました。ネヘミヤ記8章10節ですね。
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」とのみ言葉です。この聖句を味わいつつ、感謝の礼拝をささげましょう。ネヘミヤとエズラによって導かれたユダヤの会衆は、城壁工事が完了し、喜びのうちに広場に集いました。
1.そこにみ言葉に対する飢え渇きがありました。
①一人の人のように こころを一つにして
1節「民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった」
律法を聴くことを求めた。神の言葉である聖書に対する飢え渇きですね。
そして、賛美し、ひれ伏し礼拝する。
②み言葉を求める、飢え渇き
3節「彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた」
6時間、立ったまま聞いていたことになります。
③賛美 礼拝の恵み、こころを開く 礼拝
5節「エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。 エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、『アーメン、アーメン』と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した」
ここに礼拝の恵みがあります。賛美する。こころを開くのですね。アーメン、アーメンと唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝したのです。
2.集会には翻訳し、解き明かしをする人たちがいました。そして、み言葉を理解するのです。
8節「彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した」
朗読を理解したとあります。理解するために、翻訳した。意味を明らかにした。解き明かしですね。そこに13名のレビ人がいました。各グループに分かれて、レビ人の翻訳と説明を聴いたのです。そこで理解しました。聖書は、ヘブライ語で記されています。長い間、バビロン捕囚にあったため、ヘブライ語は分からない人たちもいたのですね。
このところは、使徒言行録2章1~13節を想い起しますね。ペンテコステの時、エルサレムに大勢の人たちがいました。聖霊に満たされて弟子たちが、「ほかの国々の言葉で話し出した」とあります。
聖霊降臨の出来事により、いろいろな国から来た人たちがそれぞれの言葉で語った使徒たちの言葉を理解したのです。
説明し、理解する。理解するために、レビ人がいた。レビ人は神殿奉仕者です。神の 言葉を翻訳し、説明し、解き明かす。聖書を解き明かす作業です。そこにレビ人、祭司がいます。聖書の専門家ですね。
翻って、現代、牧師、伝道師は、それなりに訓練を受けて、聖書の学び、研究をしたものです。これは神の言葉である聖書を2000年の間、継承していく作業でもあります。これからも継承していくでしょう。信仰者に対して、神の言葉を解き明かしていく人を神は立てておられるのです。派遣される。召命です。召命と献身、訓練。神学的訓練と生活訓練ですね。
3.悲しみ
9節 「総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない』 民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。
なぜ、泣いていたのでしょうか? み言葉を聴いて、罪の自覚をしたからです。自分たちの親、祖父たちが罪を犯したために、捕囚になった。偶像、神の言葉に忠実でなかった。エレミヤへの迫害、神の裁きとしての捕囚を理解。親の罪は自分の罪でもある。バビロンにおける生活への悔い改め。
Ⅱコリント7:8~10 「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう」
4.主を喜び祝う
10節 「彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である』」
ここには、愛さんがあります。共に食事をする。食べ物を持っていない人たちがいたことでしょう。イエス様は、2匹の魚と5つのパンで5000人に食べるものを分かち与えられました。み言葉の霊の恵みをいただいた人たちに、今度は食べ物をもって神の愛と恵みを分かち合うのです。
そこに喜びがあり、生きる力の源泉があるのです。神を喜び祝うことは、ひとりで行うものではないのです。一緒に喜びを祝う信仰の友がいる。そこに神の霊が注がれているのです。教会の恵みですね。
わたしたちは、この2か月、家庭でまたは一人で礼拝をしていました。ダニエルは、礼拝することを禁じられても、いつものようにエルサレムの方角に向って、神を礼拝していました。バビロンに捕囚にあっている何万というユダヤの民は、ともに集まって礼拝できなくても、そのように神を礼拝していたことでしょう。しかし、何といっても、兄弟姉妹が共に集い、神を礼拝すること。賛美すること、祈ること。ここにこそ、ちからの源があるのです。
わたしたちは招きに与っています。そして、罪の赦し、神の赦しの宣言があり、解き放たれ、愛さんの恵みに与る。新しい時代の到来です。神殿と城壁建築は、教会建設の恵みです。
約2か月間礼拝を休止しました。そして、コロナ・ウィルス感染の緩和により、礼拝を再開したのであります。そのことを復興と題しました。
復興というと仙台青葉荘教会では、第2次大戦時代、教会が弾圧され、中島代作牧師が検挙、投獄され、2年間獄中にありました。保釈されましたが、戦時中は礼拝を禁じられていました。日本が敗戦し、連合軍の占領下、旧帝国憲法が廃止となり、新しい憲法が制定され、信教・信仰の自由、集会の自由を保障されました。教会の礼拝が復興したのですね。
75年前は、約4年間の礼拝が禁じられていたのです。コロナ・ウィルスによる疫病のための休止ではありません。国家の弾圧です。それでも復興したのです。
いま、わたしたちはコロナ・ウィルス感染の非常事態宣言が解除により、再開を始めました。しかし、3密を配慮し、3回の分散礼拝、ソーシャル ディスタンスィング(フィジカル ディスタンスィング)により、2メートルの間隔を置いての座席、マスク着用です。
コロナ・ウィルス感染の危機、非常事態の中でした。非常事態が解除されました。
これで終わったわけではない。それでも礼拝をしていく。礼拝の再開により交わりが深められ、信仰の成長と教会建設、キリストのからだを建て上げていくことを目指して進みましょう。
(目標)それが力の源。
礼拝こそが喜び、力の源です。そこに主のご臨在と、聖霊の注ぎを受けるのです。
聖霊に満たされましょう。
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