2020年4月19日 復活節第2主日礼拝

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2020年4月19日 復活節第2主日礼拝

聖 書   マルコによる福音書12章28~34節

説 教   愛と献身

 

新年度に当り、一年の聖句を掲げて進もうとしますので、その聖句を柱として説教します。

本来は、4月の第一週の礼拝で説教する予定でしたが、受難週礼拝、イースター礼拝と続いたので、本日の礼拝説教となりました。

マルコによる福音書12章28節から34節までのテキストです。

律法学者の質問から本題に入ります。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」

これは、聖書のエッセンスは何ですかという問いかけです。この旧約の創世記から黙示録にいたる分厚い本で、いろいろなことが記されています。

小さな子どもがお父さんに問いかけてくるといたしましょう。あるいは、教会学校のこどもがCSの先生に質問します。

「パパ、CSの生徒では、先生、こんなに厚い本の聖書をひとことでまとめると何と言うの?」

そんな感じでしょうか?

 

皆さんならどのようにお答えされるでしょうか?

主イエス・キリストは、こう仰ったのです。聖書の中心は、この言葉に表されている。

「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 

掟とは、神のご命令という意味です。神がわたしたちに求めておられることですね。それは愛なのだということです。

この言葉は、申命記6章4~9節に出てくる言葉です。第二の掟『隣人を自分のように愛しなさい』はレビ記19章18節からの引用です。

とくに、申命記6章4~9節は、「シェマー」と言います。「シェマー」とは「聞け」というヘブル語の動詞形で、文の最初の言葉からとって、「シェマー」と呼ばれています。念仏やお題目のようなものですね。

イスラエルの人たちは、このシェマーを毎朝、毎晩唱えたのです。信仰告白です。また、この聖句を書いた羊皮紙やパピルスを箱に入れて持ち歩き、祈ったり唱えたりしていたのです。

そこには、エジプトで捕らわれていたイスラエルの人々を解き放ち、自由の地へと導かれた神の奇跡のみわざとその出来事への消えることのない記憶、追想です。

とくに、寝ても起きても、いつでもどんな時でも神に対する感謝を言い表す。それが信仰告白としてイスラエルの人々の生活になっていたのです。

 

第2の掟として挙げられたのが、『隣人を自分のように愛しなさい。』

レビ記19章18節の言葉です。この隣人とはイスラエル人とって同じ人種、同じ仲間のイスラエル人に限られていました。せいぜい、ユダヤ教に改宗した外国人を指しています。他の人たち、すなわちユダヤ人以外の民族は神の恵みから洩れた異邦人として差別され、排除されていました。それは偶像礼拝者として忌避されていたのです。

 

イエス様は律法学者からの問いかけに対して、この二つを答えられ、神への愛と隣人への愛こそが聖書のエッセンス、中心であると示されたのです。そして、イエス様のお答えは、イスラエル中心からすべての人種と民族へと普遍的に開かれて行きます。

神は、イスラエル人だけの神ではありません。世界を創造され、すべての民族を創造されたのです。ただ歴史的にアブラハムを通してご自身を啓示された神は、アブラハムの子どもであるイサク、その子ヤコブ及びその子孫であるイスラエル人を導かれた神ですが、主イエス・キリストにおいて、すべての人間の父なる神となられたのです。

神を愛すること、そして神への愛に基づいた時に、隣人への愛が可能となるように恵みと力を与えてくださったのです。

 

さて、本日のみ言葉で「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とあります。

神を愛するとはどういうことでしょうか? わたしたち日本人は神を愛するという言葉に慣れていないのではないかと思います。神を恐れる、神を信じるといえば安心します。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛する」とは、どういうことでしょうか?

 

2020年のテーマは「愛と献身」といたしました。愛とは、神からいただかなければ知ることのできないものだと思います。神がわたしたちを愛してくださった。

愛されたことがない人に愛しなさいとは言えません。わたしたちは罪人です。自己中心的な愛しか知らないものです。その愛は条件つきの愛です。それが自己中心の愛ということです。

キリストの十字架によって神の愛を知ったのです。無条件の愛です。その神の愛に応答する。そこに「愛と献身」があります。

 

先ほど本年度のテーマは「愛と献身」と申しました。愛することは、献げることです。与えることです。

結婚式において、誓約の時「愛しますか」と質問します。「愛します」。そう答え誓います。

「いいえ、愛しません」などは言えません。では、その愛はいつまで続くのですか?

死が二人を分かつまでです。

「病める時も健やかな時も、貧しい時も富める時も、愛し敬うのです」

でも、人間の愛は限界があります。無条件ではありません。無条件なのは、神のみです。でも、少しでも近づくように、努力し、信じていくことはできます。それができなければ、やむをえません。

 

少し話が逸れましたが、三つにまとめます。

 

1.クリスチャン生活の力は神の愛からくる

神の愛によって、わたしたちの内側に力が満たされます。充満するのです。内側が溢れる時、外に向かってその力は注がれます。神の愛がそうです。神には愛が満ち満ち溢れています。その愛は、わたしたちに注がれているのです。

わたしたちも神からいただく愛によって、満たされるのです。それを求めましょう。

「愛に満たしてください」。そう祈りましょう。聖霊によって満たしてくださいます。「満たしてくださるだろう」ではないのです。

愛と光と燃えるような熱い心を神からいただきましょう。自分にないものを人に与えることはできません。隣人に与えるために、いただくのです。自分だけではなく、共に生きるために満たされるのです。そこに教会の共同体としての使命、生き方があります。いただいたものを分かち合いましょう。

教会の伝道とは、この愛の分かち合いだと思うのです。いくら伝道して、信仰者を獲得しても、基本の愛がなければ、人は育ちません。

 

2.愛の応答

結婚式のことを申し上げましたが、神の愛に対する応答が求められます。全身全霊を持って、神を愛するか? 神が人となり、十字架にかかられました。ご自身をわたしたち人間、しかも罪びとであるわたしたちに与えつくされたのです。そこに神の真実があります。

わたしたちの応答はどうでしょうか?

「持てるものすべてを与えましょう。お返ししましょう」とは申しません。本来はそう言いたいのですが、そこに知恵が必要です。

ある超教派の集会で、献身を勧める説教がありました。献金の時になりました。献金の袋が回ってきた時、説教に感動したある青年が献げるべき献金が財布になく、そこに自分自身を捧げようと決意して、自分の心を献金袋に入れました。青年は神学校に入り、牧師伝道者としての訓練を受けました。

 

3.全き献身

神はもっともよいものをわたしたちに与えてくださいます。それに応えるに、わたしたちは何を献げますか? 献げるに、不純なもの、不完全なもの、欠けのもの、必要としなくなったものを神に献げることはしません。純粋なもの、完全なもの、全きもの、必要としているものを献げるのです。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とは、全身全霊をもって神を礼拝し、神に献げることを言うのです。神に献げたら、無くなっちゃうじゃないかと思うかもしれません。もったいないとか、世の中のために使ったほうが役に立つんじゃないかと考えるかもしれません。

そうではないのです。神は、献げられたものを潔めて、新しくして用いられるのです。聖別されるのです。これが、神のなされる愛と献身の法則です。

 

自分自身を献げましょう。そうすると次のようなことが起こります。

① 神を愛し、神に自分を献げることは霊的な礼拝です。ローマの信徒への手紙12章1節

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」

 

② 友を愛し、友に自分を献げる、のは教会の交わりの中で、友と一緒に成長する恵みです。

先輩信徒が教会に来て間もない人の「心の友」となる。そのような交わりが大切です。

孤独な人、寂しい人、苦しんでいる人が教会を訪ねてこられます。わたしたちはどう応対するでしょうか? これも知恵が必要です。ヨハネによる福音書13章34節

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」

 

③ 世を愛し、世に自分を献げる

それは伝道、証し、祈りです。

ヨハネ3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」

教会の伝道は、この聖句に基づいています。わたしたちも世のひとりです。世の中は、大変な事態になっています。毎日のように事件が起こり、悲しくなり、逃げ出したくなります。今は、新型コロナ・ウィルスの感染被害です。日本だけでなく、世界中が混迷の中にあります。一日早く収束するように祈りましょう。そして、医療従事者のために祈りましょう。また、教会が教会本来の働きができるように、踏ん張って祈りましょう。福音を宣べ伝えていく人を神は求めておられるのです。祈りましょう。

 

愛と献身は、以下にまとめることができます。

1.全身全霊をもって神を愛し、礼拝する教会の形成

2.愛をもって慰め、励ましあう教会の形成

3.賛美と祈りが充満する教会の形成

4.献身者を生む教会

 




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