2026年1月4日仙台青葉荘教会礼拝

使徒言行録11章19節-30節

「本当の喜び、本当の慰め」

牧師 野々川康弘

今日の箇所には、アンティオキアという町に、教会が誕生したことが記されています。

アンティオキア教会は、異邦人を中心とて出来た最初の教会です。この教会が、今はまだ「サウロ」という名前になっているパウロの、大伝道旅行の拠点となりました。彼は三回も、大伝道旅行をしています。彼の大伝道旅行を通して、各地に教会が出来ていったのです。

また、アンティオケア教会は、主イエスの命を懸けた十字架の愛を信じた人たちが、初めて「キリスト者」そう呼ばれるようになった場所なのです。

今日はそんなアンティオキア教会の誕生と成長を、皆さんと共に学びたいと思います。

アンティオキアという町は、ローマ帝国のシリア州の首都で、ローマ帝国の中で3番目に大きかった町でした。人口は80万人以上いたと言われています。そんなアンティオキアの町には、色々な民族の人たちが暮らしていて、商業や、貿易が盛んな町だったのです。

そんなアンティオキアだからこそ、異邦人たちを中心とする教会が、生まれる条件が整っていたのです。

とはいっても、簡単に異邦人たちを中心とする教会が生まれたわけではありません。

19節~20節には、アンティオキア教会が出来た経緯が記されています。そこにはこう記されています。「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」

此処で言っている「ステファノの事件をきっかけにして起った迫害」とは、8章1節後半に記されていたことです。そこには、「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」そう記されていました。

つまり、迫害によってエルサレムから散らされていった外国生まれのユダヤ人たちが、各地で伝道をしたのです。その伝道がフィリポのサマリア伝道であり、エチオピア人の宦官への伝道です。でもそれだけではなかったのです。別の人たちは、ユダヤから地中海沿岸を北に進んで、フェニキア、キプロス島、シリアのアンティオキアに伝道をしていったのです。

外国生まれのユダヤ人たちが迫害されて、エルサレムから追われるはめになったことを、新たな伝道の機会として積極的に用いたのです。教会の歴史は、よくそういういったことが起こるのです。でも不思議なことに、迫害されることが伝道の進展になっていくのです。何故でしょうか。それは、神の愛の力によって教会が導かれて歩んでいるからです。

外国生まれのギリシャ語を話すユダヤ人たちは、本国生まれのユダヤ人たちより視野が広く、諸民族との交流があったのです。だから、いろいろな地域での伝道をしていきやすかったのです。

でも、19節の終わりに記されている通り、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」のです。それが意味しているのは、たとえ視野が広かった彼らでも、「ユダヤ人のみが神の民。」そういう意識が強かったということです。

そのため、アンティオキアが国際都市であっても、異邦人に対して伝道をしていこうということには、なかなかならなかったのです。

ユダヤ人たちが、異邦人伝道に踏み切ることがどれ程大変なことだったのか、以前、私たちは、10章から11章前半に記されていた、ペトロのコルネリウスへの伝道から学びました。そこで学んだことと全く同じ困難が、アンティオキアでもあったのです。

でも、アンティオキアには、勇気をもって新しい伝道に積極的に挑戦して、新しい道を切り開いていこうとしていた人たちがいたのです。そのことが記されているのが20節です。そこを見ますと、「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」そう記されています。

キプロス島や、キレネは、今のチュニジアのあたりです。そこの出身の人たちが、アンティオキアの町でギリシャ語を話す異邦人たちに、主イエスが命を捧げられた十字架の愛を宣べ伝えたのです。

20節の「ギリシャ語を話す人々」とは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちのことではありません。そうではなくて、「ギリシャ人」のことなのです。以前の口語訳聖書では、ちゃんとそう書かれていました。

つまり、異邦人であるギリシャ人たちへの伝道が、キプロス島やキレネから来たギリシャ語を話すユダヤ人たちの手によって、アンティオキアで始まったということです。

でも何で、キプロス島やキレネから来たギリシャ語を話すユダヤ人たちは、ユダヤ人と異邦人との厚い壁を乗り越えて伝道をすることができたのでしょうか。そのことを紐解く鍵が、20節の「主イエスについて福音を告げ知らせた」という言葉です。「主イエスについて福音を告げ知らせた」という意味は、「主イエスが命を捧げられた十字架の愛で、私たちはみんな愛されている」そう語ったということです。彼らの心を満たしていたのは、主イエスが命を捧げられた十字架の愛で、自分は愛されていて、神との和解の命、人との和解の命に与ることが出来たという確信だったのです。だから、「イエスこそ主である」そう語っていくことができたのです。ここに伝道の本質が示されています。

伝道は、主イエスを信じさせるテクニックではありません。ましてや、相手のニーズに合わせた良いことを言って、信じるように導くことでもありません。大切なことは、自分が話している相手の人も、主イエスに愛されている一人であることを信じることです。命を捧げられた真剣な主イエスの愛がこの人にも及んでいる。そう信じることから、命を捧げる真剣な愛で、相手と向き合う伝道が生まれてくるのです。

教会が生まれて教会が成長していくところには、命を捧げられた真剣な主イエスの愛が息づいているのです。

21節を見ますとこう記されています。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」

命を捧げられた主イエスの真剣な愛。それが、人々を神との友情を育むように導くのです。そして神との友情が、神にお願いされた、神を愛し、隣人を愛するように、私たちを導くのです。

私たちの小細工が人々を助けるのではありません。もし、私たちの小細工で主イエスを信じる人が多くなったとしても、その教会には、主イエスが命を捧げられた真剣な愛が根ざしていないが故に必ず分裂します。

アンティオキア教会の誕生と成長は、主イエスが命を捧げられた真剣な愛が流れていたことによるのです。

何度も言いますが、伝道の実りを生み出すのは、私たちの小細工ではありません。伝道の実りを生み出すのは、命を捧げられた真剣な神の愛が、教会である私たちを支配していることによるのです。

確かに私たちは、伝道のためにいろいろと計画を立てて、それを実行します。でも大切なことは、神が命を捧げられてまで、私たち教会を愛して下さっていることを知らされること。主イエスの愛で十分に満たされていることなのです。

そのことを知ってさえいれば、後の使徒言行録に記されているパウロのように、自分の思いや、自分の計画がとんざすることがあったとしても慌てふためくことはなくなるのです。

アンティオキア教会の礎を築いた人たちは、名前も残っていなければ、大伝道者でもありません。彼らは普通の信者たちです。そんな彼らを、命を捧げられてまで、愛して下さった真剣な主イエスの愛が支配していたのです。だから彼らは、命を捧げられてまで、自分を愛して下さった真剣な主イエスの愛が、自分の隣人にも及んでいることを知っていたのです。だから、自分の感情に左右されることなく、勇気をもって、その主イエスの愛を自分が憎いと思う人であっても、自分が憎いと思わない人であっても宣べ伝えていったのです。そのことによって、多くの異邦人たちが、主イエスが命を捧げられた十字架の愛を信じて、神と和解したのです。

多くの異邦人たちが、主イエスが命を捧げられた十字架の愛を知らなかったから、隣人よりも、自分を愛することを優先してしまう罪に陥っていた事実を知らされて、その罪を悔い改めて、教会に加えられたのです。

その結果、アンティオキアの町に、異邦人を中心とするアンティオキア教会が生まれることが出来たのです。そしてそのことが、エルサレム教会に伝わったのです。だから、エルサレム教会から使者が遣わされたのです。

エルサレム教会は、バルナバをアンティオキア教会に派遣することを決めたのです。それが記されているのが23節です。そこを見ますと、「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。」そう記されています。

バルナバは、主イエスが命を捧げられた十字架の愛が、ちゃんと宣べ伝えられている様子とか、その愛をちゃんと信じて、教会に加えられている人たちの様子を見て、「神の恵みが与えられた」そう喜んだのです。

23節に、「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、」そう記されています。バルナバが喜んだことは、実はとても重要なことだったのです。

何故ならバルナバは、使徒たちを中心とするユダヤ人中心のエルサレム教会から使者(ししゃ)として来た人だからです。そんな彼が、異邦人を中心とするアンティオキア教会をどのように見て、何をエルサレム教会で語るのか。それが、ユダヤ人教会と、異邦人教会の、今後の関係を左右することになるのです。

もし彼が、アンティオキア教会を喜ぶことが出来ず、「異邦人は神の民に加えられるべきではない」そういう思いを抱いたならば、ユダヤ人教会と、異邦人教会は、共に歩めなくなっていたのです。そうであれば、キリスト教会は、空中分解して滅び去っていました。

でもバルナバは、アンティオキア教会の様子を見て、「神の恵みが与えられた」そう喜んだのです。異邦人にも命を捧げられた主イエス愛がちゃんと宣べ伝えられていて、彼らがそれを信じて、自己中心の罪を悔い改めて、ちゃんと主なる神との友情を築き上げていることを、神の恵みの御業として感謝したのです。

その結果、エルサレム教会とアンティオキア教会は、よい関係を築くことが出来て、主イエスが命を捧げられた十字架の愛を信じている群れとして、共に歩むことが出来るようになったのです。

じゃあ、エルサレム教会から派遣されたバルナバは、一体どういう人だったのでしょうか。そのことが記されているのが24節です。そこを見ますと、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」そう記されています。実はバルナバのことは、4章の36節にも記されていました。そこに記されていたことは、バルナバはあだ名で、本名はヨセフであるということです。「バルナバ」という意味は「慰めの子」という意味です。そういうあだ名が、彼に自然につけられるようになったのです。因みに「バルナバ」という言葉は、「励まし」、「勧め」そう訳すことが出来る言葉です。つまりバルナバは、人を慰め、励まし、勧める賜物が与えられていた人だったのです。「聖霊と信仰とに満ちている」というのは、自分の賜物をはっきして、教会やこの世に仕えている人のことをいうのです。彼がアンティオキアに派遣されたのは、バルナバが、自分に与えられている賜物を発揮して教会に仕えていたからです。

そんな彼は、異邦人たちが多く加わっている教会を、ユダヤ人である自分の常識を基準にして、「神の民の本来のあり方と違っている。」そう裁くのではなくて、命を捧げられてまで、自分を愛して下さった主イエスの愛にちゃんと立って、その愛で愛されているアンティオケア教会を見ることが出来たのです。自分の視点ではなくて、命を懸けてまでアンティオケア教会を愛している主イエスの視点から、アンティオケア教会を見ることが出来たのです。だから、この教会は駄目だとはならなかったのです。それどころか、「神の恵みがちゃんと与えられている」ことを発見することが出来て、喜ぶことが出来たのです。

人を慰め、励まし、勧めを与えるためには、自分の常識を基準にして考える人には出来ないことです。どんなに自分が憎い相手であっても、命を捧げられてまで、主イエスが愛しておられる相手として、自分が接することが出来ないならば、親身な慰め、親身な励まし、親身な勧めを与えることは出来ません。

自分の考えや、自分の常識で相手をはかるのではなくて、命を捧げられてまで、主イエスが愛している相手の輝きを発見出来る人だけが、相手に親身な慰めや、親身な励ましや、親身な勧めを与えることが出来るのです。

バルナバは、真にそういう人だったのです。エルサレム教会の人選は、とても適切だったのです。

そんなバルナバは、アンティオキア教会の人たちに、23節に記されている通り、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧め」たのです。

実は、23節の「勧める」という言葉は、「バルナバ」という言葉が語原になっている言葉が使われています。

それはそうと、バルナバがアンティオキア教会に勧めたことは、「主から離れることのないように」ということでした。

主イエスが命を捧げられてまで、真剣な愛で愛して下さっていることを信じて、神が願っておられる、神を愛して、隣人を愛することを、しっかりやり続けることを勧めたのです。

これはとても適切な勧めです。主イエスが命を捧げられた真剣な愛で、自分が愛されていることを信じて教会に加えられた人たちが、神が願っておられる、神を愛し、隣人を愛することをしていってこそ、アンティオキア教会の形成が、本当に神の御業であったことを証明することになるのです。

教会形成が、パッと燃え上がって、パっとっ消えていく、人間の自分勝手な感情に偏った愛で形成されるのであれば、それは本当の教会形成ではありません。

多くの聖書学者たちは、「本当にリバイバルだったかどうかは、最低でも10年追跡しないと分からない。」そう言っています。更に言えば、海外では、「牧師の教会形成が本物であったかどうかは、三代後の牧師の代になって、はじめて分かる。」そう言われています。

伝道が本当に成功だったかどうか。それは教会が、ずっと存続しているかどうかで分かります。人の数が増えるだけでは、教会形成が成功したとは言えないのです。

それはそうと、バルナバがアンティオキア教会でなした働きで、もう一つ大切なことがあります。それは、タルソスにサウロを捜しに行って、彼を連れ帰って共に伝道をしたことです。

9章26節~27節には、主イエスとの出会いによって回心して、迫害する人から伝道者になったサウロのことと、サウロの回心を疑っていて、サウロを恐れていた、エルサレム教会の使徒たちとの間を取り持った人が、バルナバであったことが記されています。

つまり、9章26節~27節は、バルナバの本領が発揮されたことが記されているのです。

人に、慰め、励まし、勧めを与えることが出来る人は、人と人との間の和解。それをとりなすことも出来るのです。

バルナバは、神がサウロを、異邦人たちに十字架で命を捧げられた真剣な主イエスの愛を、宣べ伝える器としてお選びになられたことを知っていたのです。だからこそ、アンティオキアに誕生した、異邦人を中心とする教会を見た時に、「サウロが活躍出来る場所は此処である。」そう確信して、彼をアンティオキアに連れて来たのです。

バルナバは、人が一番活躍出来る場所に人を連れていくことが出来たのです。つまりバルナバは、丸い穴には丸い釘を、四角い穴には四角い釘を打つことが出来たのです。それが、勧めるという賜物をもったバルナバの働きです。

バルナバのその賜物が生かされて、アンティオキア教会は、パウロの異邦人伝道の拠点教会へと、成長していくことができたのです。

更にもう一つ学んでおきたいことがあります。それは27節以下のことです。

そこには、大きな飢饉が起った時、アンティオキア教会がエルサレム教会に、援助の品々を送ったことが記されています。

それをエルサレム教会に届けた人は、30節に記されている通り「バルナバとサウロ」でした。

実は、援助の品を送る提案もバルナバの提案だったのす。

バルナバは、援助の品を送ることを通して、アンティオキアの異邦人教会と、エルサレムのユダヤ人教会との間に、よい関係を築こうとしたのです。彼はエルサレム教会と、アンティオキア教会との架け橋となろうと努めたのです。

そんなことをしていた彼は、そういう働きにサウロを参加させたのです。

つまり、異邦人教会とユダヤ人教会の一致の大切さ。それを、バルナバはサウロに、身をもって教えたのです。その結果、後に異邦人の使徒となったパウロは、そういったバルナバからの教えを、忠実に受け継ぐ人に成長していったのです。

最初の方で申し上げました通り、アンティオキアで命を懸けてまで、真剣に愛して下さった主イエスの愛を信じた人たちが、初めて「キリスト者。」そう呼ばれるようになりました。これはアンティオキアの町の人たちが、教会に属した人たちのことを呼んだあだ名です。このあだ名が好意的な思いでつけたのか、それとも悪意や軽蔑をもってつけたのか、はっきりしません。でも、私が学んできた中では、悪意や軽蔑をもってつけられた。そういう解釈が多いと思っています。

いずれにしても、アンティオキア教会の人たちは「キリスト者」。そのように町の人たちから呼ばれていました。「キリスト者」という言葉をもっと嫌な感じで訳すなら、「キリストの輩、」そういう意味です。何故そう呼ばれたのでしょうか。それは彼らが機会あるごとに、主イエスが、命を捧げられてまで愛して下さったことを語っていたからです。あまりにも、キリスト、キリストと言うために、「口を開けばキリストと言う連中」そういう意味で「キリストの輩」そう呼ばれるようになったのです。そういう意味から考えるならば、私たちは本当にキリスト者と言えるでしょうか。

「キリストの輩」その言葉が意味しているのは、主イエスに愛されていることを知っていない町の人たちにそう呼ばれるくらい、アンティオキア教会の人たちは、力強く、福音を宣べ伝えていたということです。

そんな彼らの伝道は極めて単純でした。彼らは「主イエスの十字架・復活・昇天という、私たちを追って止まない愛」を宣べ伝えただけでなのです。

その結果、主イエスを信じていない町の人たちから、「おまえはキリストの輩」そう言われることになったのです。でも彼らは、そのように呼ばれることを、喜びをもって受け止めていたのです。

「そうだ、私はキリストの輩だ。いつも神を無視して歩んでいる私が、神と和解出来るようになるために、主イエスは十字架に架かって死んで下さった。それだけではない。主イエスは、父なる神に復活の命を与えられた御自分の姿を私に見せて、神と和解をしても、いつも神を大切に歩んでいけない罪深い私が、いつも神との和解が復活して、神の御旨である神を愛し、隣人を愛する命を得る力が、父なる神に与えられることを、死んだ主イエスを父なる神が復活させたことを通して示して下さった。更には主イエスの昇天という出来事を通して、聖霊を私の内に内住させて下さって、いつも、神や人を愛せない私を、聖霊が導いて下さるようにもして下さった。私は、私を追って離さない神の愛を信じて、主イエスの御名を呼びつづけて生きている者だ。キリスト者と呼ばれることは誉である。」そう思って、信仰者たちは、自らのことを「キリスト者」そう呼ぶようになったのです。

キリスト者として生きるとは、倫理的な教えや、道徳的な教えを守って生きることではありません。そうではなくて、世の人たちから、「あれはキリストの輩だ。朝から夜まで、キリストの愛、キリストとの愛と言いやがる。」そう言われる程、主イエスの愛に、しっかり浸って生きることなのです。

そこに、私たちの本当の喜びと、本当の慰めがあるのです。何か良い事が自分に与えられる以上に、主イエスが命を捨てられた程、愛して下さっていることが、キリスト者の本当の喜びであり、本当の慰めなのです。

そのことを覚えて、今週一週間、皆さんと共に歩んでいきたいと願っています。

最後に一言お祈りさせて頂きます。