2024年10月20日 仙台青葉荘教会礼拝

2024.1020.Syuhou

 Ⅱコリント4:7-15

「土の器」

森田 聖子牧師

今日のメッセージの題は、先ほど、読んで頂いた7節のところより、「土の器」としました。

土の器は、私たちが普段使う茶碗などの陶器も土から出来ていて美しいものだと思うのですが、土の器は、古代中東ではどの家庭にでもある、ごくありふれた器でした。安価でありました。そしてすぐに壊れるものでもありました。

修理が可能な金属性の器とも、再び溶かして材料とするガラスの器とも異なっていて、土の器は壊れたら捨てる以外他ありませんでした。市場では、ただに近い値段で売られているようなものでした。

今日の聖書箇所の表題は、「土の器に納めた宝」となっています。パウロがコリント教会に、この表題の内容の文章を送っているところに興味がそそられます。パウロにとって、コリントとはどういうところだったのでしょうか?

コリントという町は、二つの重要な交易路の交差点に位置していました。商業的に非常に栄えていた町でした。その町は、「コリントする」という言葉、「不道徳をする」という言葉が出来たほどに、どうしようもないほど退廃した町でありました。その町に、パウロが足を踏み入れた際のことが、使徒言行録18章に記されています。パウロは第2次伝道旅行で、アテネを訪れました。そこで、パウロは多くの祭壇を見た中で、「知られざる神に」と刻まれているものを見つけました。それをとっかかりにして、神について論じていったのです。

使徒言行録では、その時に救いに導かれた者がいたことを記していて、パウロの伝道が成功したように描かれています。しかし、第一コリント2:3などを見てみますと、パウロが、アテネでの活動の後、衰弱して、恐れに取りつかれて、不安になっていたことが分かります。パウロは、第二次伝道旅行で意気消沈したまま、アテネからコリントの町へと足を踏み入れたのです。そこで出会ったのが、アキラとプリスキラ夫妻だったのです。

アキラとプリスキラという夫妻の名前が出る度に、常に思い出すのが、仙台青葉荘教会のある夫妻のことです。私が仙台青葉荘教会に仕えていた時代、島先生が毎回、その御夫妻とアキラとプリスキラ夫妻を重ねて話される話をされていました。その話は、毎回聞くたびに、とても新鮮でした。

しかし、仙台青葉荘教会には、その御夫妻以外にも多くの方々が、何人もの牧師や伝道者を支えておられましたし、今現在も支えておられることと思います。

アテネから傷心のままコリントへ渡ったパウロは、信仰の篤いアキラとプリスキラ夫妻との交わりの中で、再び立ち上がっていく力を得て、同じ職業の者同士、共に伝道をなしていったのです。

 それはそうと、コリントの教会は、今の私たちが想像出来ない程、とんでもない課題が沢山ありました。その証拠が以下の通りです。

第一コリント1章には、党派争いについて書き記されています。

第一コリント5章では、不道徳について書き記されています。

同じ6章では、裁判問題について書き記されています。

他にも様々な課題が、第一コリントには書き記されています。

コリント教会は、パウロを泣かせるような状態だったのです。その証拠が第二コリント7:8です。そこを見ますと、「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたとことは知っています。」と書かれています。

そんなコリント教会を、パウロは第一コリント信徒への手紙でもって、人々を厳しく指導したのです。ですがパウロは、第二コリント7:8節後半-9節でこう書き記しています。「たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。」

つまりパウロは、第一コリント信徒への手紙でもって、人々を厳しく指導したことを後悔したけれども、コリント教会が悔い改めたから今は喜んでいると、第二コリント7:8節後半-9節で言っているのです。

コリント教会は、その地の偶像礼拝、不道徳という環境に取り囲まれていて、教会はその悪影響を受けていたのです。そんなコリントの教会は、非常に弱い教会だったのです。まさに、すぐに壊れるような「土の器」のようなコリントの教会だったのです。ですがパウロは、そんな土の器に、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」と、今日の7節で言っているのです。

このような宝とは、一体何でしょうか。それは、イエス・キリストのことです。つまり、イエス・キリストの命です。

私たちは有限の人間です。やれることに限界があります。すぐに罪の方へと流れていく性質をもっています。心が折れることもあります。今日の8節からの言葉を、人間の観点だけで見るならば、こうなります。「わたしたちは、四方から苦しめられたら行き詰ります。途方に暮れたら失望します。虐げられて見捨てられます。打ち倒されたら滅ぼされます。」

しかし、主イエスが私たちの内におられるという観点から見るならば、今日の8節以下は、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と聖書が言っている通りになるのです。

つまり、土の器である私たちが壊れないのは、私たちの内にイエス・キリストがおられるからです。

私は、自分がこの土の器の代表者のようだと思っています。私は東京聖書学校で勉強しました。聖書学校は4年制です。私は5年間在学しました。学校を卒業すると、日本キリスト教団の補教師試験を受けます。そして任地へと遣わされていきます。私は任地が無い中、青葉荘が引き受けてくださることになったようです。全国で誰も落ちないと言われていた補教師試験を、たった一人落ちてしまって、聖書学校に半年留まることになりました。私は聖書学校に入って、5年半の月日を経た後に、青葉荘教会にやってきたのです。そんな私は、青葉荘教会の後に、酒田へと遣わされました。しかし私は、すぐに尻尾を巻いてしまって、島先生ご夫妻がおられた東調布へと異動になって、その後、秋田へと移りました。しかし、慣れないことや、様々なことが重なって、心身に不調をきたして、一時休職をしたりもしました。

私は、幼い頃からのことを振り返っても、ずっこけてばかりだったなぁと思います。今でもずっこけていることが多々あります。自分がしっかりするように、変わろうと何度も努力をしました。

ですが、努力すればする程、結果は空振りになりました。(心理学で言う努力逆転の法則です。)

ずっこける度に、私の土の器には、ヒビが入ったり、時には粉々に砕けるようなことがあったりしました。しかし、いかようにでも形を変えることが出来るイエス・キリストが、粉々になった土の器である私の内に住み続けてくださったことで、現在、八郎潟教会を牧会させて頂いている私に至っています。

自分が強くならなければ、自分がしっかりしなければと思い続けて、それに縛り続けられてきました。私がしっかり信仰を握ってさえいれば、成熟して、しっかり者に変われると思っていました。

ですが、神様はそもそも、私をしっかり者とは創造されていないし、神様は、私がしっかりし、バリバリと働くようになることを求めておられないことにようやく気づきました。神様が私の信仰をちゃんと握って下さっていることがようやく分かったのです。そんな私は、自分という土の器の姿を、見つめ直す作業を、最近続けております。自分の力ではありません。自分という土の器の中に、イエス・キリストが住んで下さっていて、イエス・キリストが神の力をあらわされてこそ、最高なのです。

二コリント12:9は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言っています。私たちが弱いことが最高なのです。その理由は、二コリント12:10が言っている通り、「弱い時にこそ強い」からです。

パウロは、偉大な伝道者でした。エリート中のエリートでした。イエス・キリストは別にして、パウロのようにキリスト教の歴史を形作った人はいません。ダマスコ途上でイエス・キリストに出会う前、パウロはステファノの殺害に賛成していましたし、躍起になってキリスト者を迫害し続けていたのです。彼は、非常に荒々しい人物でしたし、激しい性格の持ち主でした。彼が穏やかな性格に変わるなんてことには、なかなかならなかったのです。ですが、パウロの内にイエス・キリストが内住した時に、神は、パウロの激しさ、荒々しさ、欠けや弱さを、豊かに用いられたのです。

この夏、東北夏期聖会が久しぶりに開催されました。会場となったのが、この仙台青葉荘教会でした。久しぶりの聖会開催だったこともあって、連絡事項が伝わっていなかったりして、青葉荘教会としては、目に見える部分でも、見えない部分でも、大変なことが沢山あったと思います。

私は、懐かしい皆さんと会うことが出来て、懐かしい教会に来ることが出来て、胸がいっぱいになりました。その時に気づいたことがあります。それは、私にとって青葉荘教会は、第二の母教会のようなところであるということです。私は皆さんに育てて頂きました。私のために祈って、育てて下さった信仰の大先輩の方々の中には、既に天に召された方も多くおられます。何人もの方々が目に浮かびます。本当にどうしようもなく欠けだらけの私を、責めることもなく、まず、受け入れてくださって、祈りをもって見守って下さいました。そんな形で、私の伝道者の歩みを励まして下さいました。

青葉荘教会には、そういうおおらかさがあります。信仰という土台の上で、どっしりと構えているものがあります。御言葉を聞こうという姿勢があります。

この夏に、この教会に足を踏み入れた時に、霊的な空気があることを察しました。これは、自分の気のせいかもしれないと思いましたが、島先生とその話をした時に、島先生が大きく頷いて、「そうだ」と言われました。だから、私の一人よがりではありません。

仙台青葉荘教会の中にいる人たちは、そういう良さよりも、困難の方に目がいってしまうかもしれません。確かにどの教会にも幾つもの課題が当然ながらあることでしょう。私たちは所詮罪人です。この世で生きている限り、集まるお一人お一人に、様々な困難がおありだと思います。

だから私が、青葉荘に素晴らしい霊的な空気があると言っても、「あなたは、遠くに離れているから、久しぶりにきたから、良い所しか見えないのだ。」と言われるかもしれません。しかし、外にいるから、再度確認できることもあると思います。

仙台青葉荘教会の霊的な流れは、一代では作り上げられるものではないと思います。長く続いた祈りがそこにはあるのです。天に召された方々は、ここにはおられません。しかし、私が居た頃、お元気だった方々がもっておられた霊性が、今もこの教会に続いていることを感じます。

そしてそれは、それ以前の時代から、つまり、青葉荘教会がこの地に移転する以前から、続いていたものなのではないかと思います。

この青葉荘教会の建物自体も修理が常に必要な土の器です。そこに集まる私たちも土の器です。

ですがその中に、素晴らしい宝があるのです。イエス・キリストという土台の中で、育まれたこの教会独特の宝が、仙台青葉荘教会という建物の中に、また皆さんの中に在るのです。

人を受け入れて、受け入れた人の中に、キリストを見出そうとする心、そして、その心を育てようとする、キリスト者故の自由さと、構えないで、祈って委ねていくおおらかさがあります。

野々川先生ご夫妻と共に、この教会に集う方々が、イエス・キリストという宝に育まれて、イエス・キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを味わって行かれ続けますことをいつも祈っています。

私も、自分が神様に置かれた場所で、イエス・キリストを慕い続けたいと思います。