2024年2月25日 受難節第2主日礼拝

聖 書  ルカによる福音書11章1~4節説 教  父よ

 わたしたちが礼拝の時に、また朝ごとに昼ごとに、夕ごとに、つまりいつでも祈ることができる祈りに、主の祈りがあります。主の祈りは、主イエス様がわたしたちに教えてくださった祈りです。同時に、イエス様が弟子たちに教えられた祈りですから、弟子の祈りとも言われます。

 今年度3月で任期が終了します。残されたあと一か月の礼拝で、主の祈りの講解説教を行いたいと示されました。本日は、第一回目です。

  

 イエス様と同時代に活躍した宗教指導者にバプテスマのヨハネがいます。ルカの福音書によれば、バプテスマのヨハネはイエス様と親戚筋に当たり、約半年ほど年上であります。イザヤが預言した「荒れ野で呼ばわる声」ですし、動物の皮衣を着て、蜂蜜を食べ物としていました。預言者の姿です。ヨハネはヨルダン川で悔い改めの洗礼を施しており、大勢の人たちが彼のもとで洗礼を受けています。イエス様もバプテスマのヨハネによって洗礼を受けられました。

 ヨハネは、当時飛ぶ鳥を落とすほどの勢いがある指導者であったと思われます。その指導者としての言動は、ヘロデたち当時のユダヤの王から煙たがられていました。事実、ヘロデ王家のスキャンダルを批判して、殺されたのです。

 そのヨハネは、多くの弟子がいました。その弟子たちがヨハネに教えられた祈りをしていたのです。ペトロはじめ、イエス様の弟子たちも祈りを教えてくださいと乞うたのです。

 そこで教えられたのが、主の祈りであり、弟子の祈りでもあるのです。

 主の祈りとは、イエス様が弟子に教えられたと同時に、イエス様も祈られた祈りだからです。ここには、祈りのエッセンスがあります。マタイ6章では、長々と祈ってはならないといわれました。その模範として、完璧と申しますか、簡潔であり十全な祈りであります。

 主の祈りは、二つの構成があります。第一は主なる神を第一とすることです。

「天にましますわれらの父よ」と呼びかけます。呼びかけですね。ルカでは、「父よ」と簡潔です。次に、

①御名を崇めさせたまえ

②御国を来たらせたまえ

③御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ

 と続きます。

 この三つが神と神の主権に関することであります。その神の主権のもとにすべての被造物が属している。そのことを告白し、神の統治・支配が行われるように祈るのです。

次に、人間のことであります。あるいは、被造物のことですね。わたちたちと隣人、社会のことです。

 ④われらの日用の糧を今日もあたえたまえ

⑤われらに罪をおかすものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ

⑥われらをこころみに遭わせず、悪より救い出したまえ

 このところを神とわたし、そして社会との関係性を現しているのです。

 主の祈りは、マタイ6章とルカ11章に記されています。比較すると、少し違うことがわかります。その前提からして異なっているのです。先ほど、申し上げたとおりです。

 今日は、天にましますわれらの父よ から「父よ」と題して説教いたします。

ルカによる福音書11章1~4節の1節と2節ですね。お読みします。

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。』

神を「父」と呼ぶことは、わたしたち日本人とってどういう意味があるのだろう、とよく考えることがあります。神は、天地の創造者であります。その神を父と呼びまつるのです。

聖書の世界は、中近東の厳しい自然の中で生まれ育った民族が生き残るために身に着けた習慣、生き方を背景にしていると言われます。とくに、アブラハムからはじまるイスラエル民族は、羊や牛をはじめとする牧畜民族です。羊のえさである草を求めて、荒れ野を彷徨う部族でした。

日本のような温暖な気候の土地ではありません。雨も水も少ない、従って樹木も草地も少ない荒れ野です。ごつごつした岩地の中を狩猟と牧畜で生活している民族にとって、神のイメージは峻厳な自然と同じようにその中で厳しくならざるを得ない厳しい男性としての父のイメージになるのではないでしょうか。そこに、一神教が生まれるとされます。

 厳しい自然の中で、生きる知恵、たくましさ、勇敢さ、ちから。それが聖書の世界の父であります。家父長制が強く、女性の立場は比較的軽いといわれます。また、周囲に雑多な部族、民族がいるために、その社会は契約という概念が強く生じました。約束を重んじるという強い思想です。その約束のためには、血を流すことが習慣となったのです。その血は、おもに牛や羊のような動物の血でした。それが契約の締結となったのです。

 それに対して、農耕民族は多産系の神が崇められます。牛とか女性です。そこに厳しい父ではなく、優しく何でも受け容れてくれる母が神のイメージであります。中近東でも、エジプトやユダヤ民族以外の部族は多産系の神を信じていました。日本もどちらかといいますと、農耕民族として多産系の神を信じています。八百万の神ですね。

一神教が契約の民として、血を流すのに対して、多神教は自然に左右されやすく、どちらかというと曖昧さを好みます。水に流すというように、厳しく相手を糾弾しません。

 一神教は、排他的です。妥協をしません。ほかの神を認めません。神だけが神なのです。

農耕民族の神は、どこにも神がいます。木にも岩にも、狐や狸でも、どこにでも神は宿っているのです。それを神として拝みます。

わたしたちは、天地万物を創造され、そしていのちと恵みを与えられる神を父として信じています。

さて、「父よ」と呼びます。その父と呼ばわる神は、どういうお方でしょうか?

 厳しい他者を寄せ付けないような峻厳でいかつい父なる神でしょうか? 当時のユダヤ社会では、政治的には、ローマ帝国がユダヤを支配し、属国としていました。まわりには、ローマの兵士が町中を巡回していました。しかし、精神的には律法学者やファリサイ派の宗教指導者が実質的にユダヤ人の生活を支配していたのです。彼らは律法を守ることを厳しく要求していたのです。律法学者やファリサイ派の神は、律法を守らない人間は罪の子らで地獄行きです。彼らにとって、神は裁きの神、怒りの神、十戒と律法を守ることを求める神でした。

現代でも、イランやイラクなどで、イスラムの指導者が政治的にも支配し、国民の生活を指導しています。厳しい戒律の下に、国民を支配しているのです。

 キリスト教の神はどうでしょうか?

神を「父」と呼ぶことは、わたしたち日本人とってどういう意味があるのだろう、とよく考えることがあります。神は、天地の創造者であります。その神を父と呼びまつるのです。

そこには、畏れがあります。尊くやんごとないお方。聖なる方、近寄りがたい方。

 旧約聖書において、神は審きの神でもありました。ファリサイ派の人たち、律法学者たちは、律法を守れない人たちを罪びととして軽んじ、神の国の恵みから遠いとしており、律法を守る自分たちこそ、永遠のいのちをいただくエリートだと自惚れていたのです。

ガリラヤにて育たれたイエス様と弟子たちは、いわば田舎出の青年たちです。使徒言行録3章、ペトロはしきりにイエス様のことを「ナザレのイエス」と言っています。ガリラヤのナザレという町ですね。そういうところから、イエス様は、神は怒りの神、裁きの神という言わば裃をつけた父のイメージから、「お父ちゃん」(アッバ父よ)というやさしく慣れ親しむお方として、わたしたちに神をお示しになるのです。近寄りがたい神ではなく、ともにいてリラックスできる神です。

その神は、放蕩息子にあるように罪を冒したどうしようもない息子を待ち、走って近寄り、赦す父であるのです。

わたしは、九州・福岡の山の中で生まれ育ったので、その地域の習慣で、父を「父ちゃん」、母を「母ちゃん」と呼んでいました。「父ちゃん、母ちゃん」です。兄は「アンちゃん」ですし、姉は「ねえちゃん」です。5人兄弟の末っ子ですから、上の兄は「おおきあんちゃん」、下の兄は「ちいさあんちゃん」です。上の姉は「おおきねえちゃん」、下の姉は「ちいさねえちゃん」でした。そういう呼びかけをして育ったせいか、成長して東京に出たところ、父を「パパ」、母を「ママ」という友人たちに、気後れをしました。「お父さん」「お母さん」は品がいいですね。わたしの父は46年前に64歳で亡くなりました。生きていれば110歳です。母は14年前に90歳で亡くなりました。息子のわたしは、母を「母ちゃん」と呼んでいました。

 ところで、現代のフェミニスト神学という流れがあり、そのグループは聖書をフェミニストの側から翻訳しました。そこでは、神は父なる神ではなく、父なる母なる神としています。聖書にも、教会にも母という存在がない。女性の存在がないことを訝るのです。

 母が出てこないのですね。悲母観音というのがあります。息子を想う悲しみの母ですね。その考え方からいうと、カトリックには、マリア崇敬という教えがあり、マリアが「母なる神」として教会形成がなされているのではないかと思います。

 

わたしの神学生時代、淀橋教会の派遣生でした。当時の神学生は、求道者担当という伝道師のような働きをしていたのですが、飯塚さんという万年求道者という名物がいました。淀橋教会に神学校があり、寮もあったので、求道中の方がよく神学生を訪ねてくるのです。また、神学校の授業が終わって、夜になると神学生が訪問することがありました。そういう訓練もあったのですね。

飯塚さんは新聞配達をしていて、歴代の神学生の祈りの対象でありました。もう10年近く、求道中でした。教会にも礼拝や祈祷会、夜の伝道会に顔を出していたのです。6畳一間のアパートに住み、家族はいませんでした。自分のことを言わない人でしたが、愛嬌があり、いつもニコニコしていました。歯医者に行かないので、前歯が欠けていました。

ある時、一生洗礼を受けることはないのではないかと思われていたのですが、受洗すると言い出したのです。牧師はじめ、教会の役員も神学生もびっくりしました。

洗礼式の当日、ネクタイをした飯塚さんを始めてみました。淀橋教会は浸礼で洗礼式を行います。牧師がバプテストリーという洗礼槽で頭を沈めるのですね。

「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授ける」と牧師は宣言して、バプテスマを行うのです。その時、牧師が「父と・・・」と言った時、飯塚さんは合いの手を入れたのです。小さな声で「母と」と言ったのですね。

厳かな洗礼式のさなかで、笑うのは不謹慎でしたが、思わずにこっとしました。その時彼の声を聞いた人たちも声を出して笑うことはなかったとしても、微笑んだに違いありません。

わたしたちは、「父と子と聖霊の名によって洗礼を受けます」。なぜ、母がないのだろうと不思議に思うかもしれません。それが教会の伝統だといえば、それまでですが・・・。

神は父としてイメージされるのですが、母としても罪人の立ち返ることを、胸を痛めながら待っておられる。これがわたしたちの信じる神であります。御子イエス・キリストの十字架が神のみ許しによって行われたのです。神が人となられことの意味がここにある。
贖い。神は人間の思いを超えておられるのです。

 祈ります。