聖 書 コリントの信徒への手紙 二 6章1~10節
説 教 恵みの時、救いの日
正月期間に大学対抗箱根駅伝があります。サッカーやラグビーなどもありますね。普段、ニュース程度しかテレビを観ませんが、正月のスポーツ番組だけは結構観ています。
とくに、大学対抗の箱根駅伝ですね。学生が一生懸命走っています。真冬の寒空をひたすら走ります。駅伝のだいご味は、タスキを渡して、最後まで走り通すことです。優勝した大学の選手たちは、喜びを爆発させます。監督を胴上げして、喜びを表します。今まで、このために練習して厳しい練習に耐えてきたのです。一般の学生がのんびりしている時も、ひたすら練習し、忍耐してきたのです。勝利したチームに与えられる勝利の美酒、喜びです。
しかし、正月に能登半島では大地震と津波が起こり、甚大な被害がありました。死傷者も多数あり、お悔やみ申し上げます。主なる神様のお慰めがあり、復旧と回復が速やかあるようにとお祈りすることです。
ところで聖書のメッセージですが、6章1、2節を読みましょう。
わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
2節の言葉は、イザヤ書49章8節からの引用です。イザヤの預言が成就したのです。12月の第3週に、教会学校の子どもたちと大人の皆さんでページェントをいたします。最初にイザヤが登場し、救い主の誕生を預言しますね。今回はわたしがイザヤの役を演じました。
神様が与えられる恵みと祝福は、駅伝の優勝以上に大きな喜びです。実は、スポーツ選手とわたしたちキリスト者とは、共通点があるのですね。
スポーツの選手が試合のために練習し、鍛錬して備えます。日常的に、ほとんど休むことなく練習する。実践、実戦に備えるために。そこには、節制と忍耐が必要です。目標は勝利、
優勝ですね。賞を得る。コリント第一9章24節以降。
朽ちる冠。キリスト者は朽ちない冠。
信仰者もまた祈りと節制、親切、柔和という聖霊の実を結ぶ愛の行為をもって神の約束の実現を待ち望むのです。信仰、希望、愛をもって信仰生活を送ります。キリスト者の賞は、神の国、永遠のいのちです。
神の約束とは何か。神の救いの実現です。12月のアドヴェント、クリスマス時期を過ごしました。クリスマスは救い主がお生まれになる。その約束ですね。そして、救い主はお生まれになったのです。イエス・キリストにおいて実現したのです。
ですから、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」なのです。
聖書は、この神の恵み、救いを無駄にせず、神から受けた恵みと救いを表していく。これが神から与えられた務めであるというのです。
クリスチャンに与えられた神からの務めがあります。これは重荷というより名誉、喜び、感謝だと信じます。そして、使命です。これが神から与えられた生きる意味であります。
クリスチャンはみな、使命を与えられているのです。どのような使命か? 以下の三つにまとめられます。見てみましょう。
1.神の協力者
神と共に働くものとされた。聖書には、神と共に働くという言葉が何度か記されています。1節ですね。
わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
口語訳は、「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。」
他の訳も、多くは「神と共に働く」です。
神は、人間を用いて、また人間を通して働かれるのです。わたしたちは神に用いられる存在であるのです。罪ある者、汚れた者が、罪赦され、神の子とされ、なおかつ神と共に働く者とされる。光栄です。そのために訓練、鍛錬は必要です。もちろん、自分の力だけでなく、聖霊の力と助けが与えられることによります。
2.和解の使者
新しくされた者、5章17節から記されているように、再創造されたという恵みの時、
救いの日なのです。また実に、17節から20節まで5回和解という言葉が使われています。
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。 ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。
キリストの使者とは、全権大使を意味します。大使はその国を代表しています。国を背負っているという重荷と責任があります。そこには自分の利益ではなく、国の利益を第一に考えなければなりません。国の主権者の利益を優先するのです。主権者が何を考え、何を計画しているか? それに通じている必要があります。まさに、仕える立場です。
わたしたちにとって主権者は、神です。キリストです。キリストのみこころを知り、その利益を第一にして生きるのです。それが神の国を代表する生き方であり、キリストの大使、キリストの和解の使者としての働きです。
では、キリストの利益とは何か? キリストのみこころとは何か? キリストの十字架による和解です。
わたしたちにとって、神とこの世、罪の世に対して、キリストの十字架が和解案であると伝えるのです。その使者としての働きが伝道です。キリストの十字架は、わたしたちの救いであること。恵みであることを伝えるのです。
また、わたしたちの毎週の礼拝が和解の勧めの呼びかけと受け入れ、確認、そして和解したことの感謝、喜び、いやし、回復、そしてまた呼びかけのために出て行く。これが礼拝の恵みと力となっていくのだと信じます。
3.神の僕
4節
わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。
この節は、口語訳のほうがより親しんでいるように思います。次のように訳されています。
この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。
キリスト者は他者に対してつまずきを与えないように、神の僕となるということですね。
キリスト者が非難されたり、つまずきを与えると、キリストの名が汚されます。古き人を脱ぎ捨てた者でもあります。新しい人を着た者(コロサイ3章9~10節)。キリストを着ている(ローマ13章14節)。キリストの礼服を着ている(マタイ22章11節)。それを汚すことがない。むしろ名誉なこととして誇らしげに生きることです。
大学のスポーツ選手は、大学の名前が一目でわかるようにユニフォームを身に着けています。それが選手たちの誇りであり、名誉でもあります。彼らは、大学を背負って走っているのです。トップに走る選手は、選手も大学も名誉ですし、喜びとなります。
キリスト者も同じでね。キリストというユニフォームを着ています。それは目に見えません。しかし、わたしたちは、世間の人が見えないユニフォームを身に着けてこの世を走っているのです。キリストによって刻印された、聖霊の清いユニフォームです。
選手は、大学の名前が染めてあるタスキを手渡します。つなぎなのです。
キリスト者もキリストの名前が縫ってあるタスキをかけて、走っています。それを手渡すのです。それがキリスト者の伝道です。タスキにキリストと共に他の文字が縫ってあります。「キリストの救い、恵みの時、赦しと永遠のいのち」という刺繍が縫ってあるのです。
モーセに率いられて、出エジプトを果たしたイスラエルの民は、後継者ヨシュアによってさらに地境を伸ばします。ヨシュアは言います、「われと我が家は主に仕える」
一家を挙げて、キリスト告白をし、教会のからだ、枝々となる。素晴らしいですね。
家族伝道が進む。ここに仙台青葉荘教会の将来の希望があります。元旦礼拝には、大勢のご家族がお見えになりました。素晴らしいですね。
この一年、わたしたちはその精神的、霊的成長を求めて歩き出しましょう。品格と誇りをもって進みましょう。神が聖霊の恵みと祝福を与えてくださり、生きる力、癒しの恵み、語る言葉を与えてくださるでしょう。
そういう側面から神と共に働く者、神の使者、神に仕えるもの、僕として使命を達成することができるように力を与えてくださるでしょう。信じて進みましょう。