聖 書 創世記12章1~9節
説 教 祭壇を築く
わたしたちは1ヶ月のアドヴェント、クリスマス期間を過ごし、喜びのクリスマスを迎えました。コロナウィルス感染症は、5類に移行して、日常生活が戻りましたが、収束したわけではありません。なお制限のあるアドヴェントでしたが、救い主イエス様の降誕を喜び祝うクリスマスは、どんな状況下であっても感謝をもって迎えたことです。そして、御子イエス・キリストのご降誕における神の恵みと祝福の約束を確認しました。
さて、クリスマスを終えて、新しい年を迎えました。2024年となりました。この年、どういう月日を過ごしていくか。そこにも神の導きと恵みの約束を信じ、期待して進みたいと思います。
1.「祭壇を築く」とは
本日の説教は「祭壇を築く」としました。「祭壇を築く」とはどういうことか、旧約聖書からしばらく読み解いてみましょう。
聖書において祭壇がはじめて築かれるのは、ノアの洪水の時です。神様は人間を創造されたことを後悔されて、地上のすべての生き物を絶やそうと決意されます。ただし、ノアだけが「神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」ので、ノアとその家族を救われたのですね。箱舟を造るように命じられました。そこにノアの家族、ノア夫妻および3人の息子夫婦の8人だけが箱舟に入ったのです。そして、地上のすべての動物の番(つがい)が箱舟に入りました。
それから40日40夜、雨が降り続け、洪水は地上を蔽いました。箱舟に入っている生き物のほか、地上のすべての生き物は死に絶えたのです。創世記6章、7章に書いてある通りです。こうして、ノアとその家族は一年間箱舟にとどまり、水が自然に引いていくのを待ったのです。水が引き、地の面が乾いた時、神はノアに箱舟から出るように仰せられたのです。そして、箱舟から出たノアが最初に行ったのが、「祭壇を築く」という行為です。創世記8章20節ですね。お読みしましょう。
ノアは主のために祭壇を築いた。
聖書は、ノアたちが地上に降りて最初にしたことは祭壇を築くことだと記します。すなわち、神を礼拝したのです。ノアの生きる姿勢がそこにあります。神の時を待つこと。その時が来たことを確信したとき、行うことは礼拝です。そこからすべては始まるのです。
まず、神の国と神の義を求めるのですね。
祭壇は、犠牲を献げる道具です。屠り場がもとの意味です。そこで動物をほふり、焼き尽くす。その香りを神は嗅がれる。バーベキューの臭いです。動物の犠牲です。
罪の悔い改め、生かされていることの感謝を動物の犠牲という代償で神に自分を献げるのです。
祭壇は、次のアブラハム、イサク、ヤコブにおいて引き継がれていきます。ここでも、神との出会い、神の言葉をいただくこと、神との交わりですね。神との契約において、祭壇を築く行為が記されてきます。そこは、彼らの生涯において、転機的な出来事を経験した時に祭壇を築かれました。神の御声を聴き、生ける神との交わり、契約関係に入るときです。
2.アブラハムの召命と祭壇
本日、司会者が読まれた聖書は創世記12章の有名なところです。アブラハムの召命です。1節
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。」
4節
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
そして7節、8節です。
主はアブラムに現れて仰せになった、「わたしはこの地をお前の子孫に与える」。アブラムは自分に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東の山に移り、西にベテルを、東にアイを望む所で天幕を張り、そこに主のための祭壇を築き、主の名を呼んだ。
行く先々に、祭壇を築き、神を礼拝する。キリスト者も同じです。神と共に旅立ち、行き先々に神を礼拝する民であります。
わたしたちの礼拝は、イエス様がその代償となられたゆえに、もはや犠牲は必要ないのです。砕かれた魂、悔いくず折れた心でもって神に向かうのです。その祈りの祭壇を築くこと。これこそが神の祝福を受けることであります。
2024年が始まりました。新しい年を旅するのです。旅の途中にいろいろな試みがありますし、旅のよろこびもあります。神が共におられるのです。旅の道ずれは家族であり、教会員です。兄弟姉妹と共に旅に立つとです。行き先は、神の国です。
わたしたちのキリストの道を歩き続けること、信仰の生涯ですね。それは、祭壇に自分のからだを聖なる生けるいけにえとして献げることなのです。もちろん、これはたとえですね。自分のからだを燃える祭壇に投げ入れることではありません。祈りの祭壇とするのです。霊的な祭壇です。霊の祭壇といってもよろしいでしょう。
いけにえは祈り、賛美、感謝です。これが霊とまことの礼拝です。
この一年、そのような神を第一とし、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」の、み言葉に生きましょう。
そして、神の前に祈りの祭壇を築き続ける一年となりましょう。祈ります。