2023年10月22日 聖霊降臨節第22主日礼拝

2023.1022.Syuuhou

聖 書   ルカによる福音書15章11~24節

説 教   お家に帰ろう

 今日は、教会学校の生徒の皆さんと大人の教会の皆さんとの合同礼拝です。

本日は、教会学校の生徒の皆さんと大人の教会の皆さんとの合同礼拝です。
子ども向けの説教の準備をしましたのでご了承ください。

また、礼拝後には光の子フェスティバルがあります。ゲームコーナー、めだかすくい、パネルシアターなど楽しいコーナーがあります。期待してください。

 皆さんに質問です。子どもの皆さんは、自分のことを考えて心の中で答えてください。

大人の皆さんは、自分が小さなころ、そうですね、小学生のころを振り返って、やはり心の中で答えてください。

 第一問

皆さんは、叱られたことありますか?

ある人、

ない人、

第二問

叱られたと答えた人は、誰に叱られましたか?

  お父さん

  お母さん

 (ほかにあるとしたら、おじいさん、おばあさん、兄、姉、学校の先生、近所の大人があるかな?)

 第三問

叱られたとき、どう思いましたか?

  自分が悪かったから、叱られて当然

  自分が悪かったけど、叱られて悲しかった

  自分が悪くないのに、叱られて悔しかった

 第四問

叱られたとき、叱った人のこと、どう思いましたか?

  恨んだ

  やっつけようと思った。仕返ししようと思った。

  嬉しかった

最後の質問です。

家出を考えたことがありますか? 

死んでやろうと思ったことありますか? 

いろいろ考えることありますよね。今日は家出のことをお話しようと思っています。

叱られたときに、家を追い出されたことありませんか? 

「出て行け!」って。「お前はウチの子じゃない。どこでもいいから出て行け!」

DV ドメスティック・バイオレンスと言って、人権の問題です。ちょっと、難しい言葉

ですが・・・

そんな時、みなさんはどう思いますか? 

聖書には、家を出た人の話があるんですよ。いや、出された人がいる。

誰でしょうか。

   アダムとエバですね。神様から食べてはいけないと言われたのに、食べてしまった。それで神様から叱られた。なぜ、食べたんだってね。神様に怒られて家を追い出されたのです。

    追い出されたお家ってどこか分かりますか?

   エデンの園と言ってね。天国みたいなところなんですよね。神様の言いつけを守らなかったからです。つまり、罪を犯したために、追い出されたのです。

   でも、もう一度、お家に帰ることができる方法、道を神様は備えてくださったのですね。何ですか? イエス様の十字架の贖いです。

今日の聖書のお話は、家を出て行く人の話しです。実はね、家を出る人には、二種類の人がいるのです。叱られて出て行く人。もう一つは、自分から出て行く人。

叱られて出て行く人は、これは罪人と言ってね、もうあなたは必要ではありませんということです。「ウチの子じゃない、出て行け!」って、叱られる。それは、本気ではないかもしれないけど、脅しというか、罰でもあります。ゴメンナサイ、もう二度としません。そう言って謝れば、赦してくれるかもしれませんね。

 でも、自分から出て行く人もいるのです。

その人は、放蕩息子っていうんですよね。兄弟がいてね。お兄さんはまじめで、お父さんのいうことをしっかり聞いてお父さんが喜ぶように仕事を一生懸命していました。弟は、好き勝手なことをして、余り働きません。働くよりも、勉強するよりも、遊ぶ方がすきなのです。家にいると退屈だし、親はうるさいし、仕事は面白くない。もっと楽しいことしよう。そう思って、弟のほうは、お父さんからお小遣いいっぱいもらって、家を出て行くのですね。

 それで、弟は思いっきり遊びました。ゲームセンターに行ったり、遊園地で楽しく遊び、飲み屋でお酒を飲んで酔っ払ったり、友人たちと一緒に遊びほうけました。その内、お金もなくなりました。食べるものも、住むところもなくなりました。雨が降って、雪が降っても、寒くて、ゆっくり暖かくしてやすむところ、寝る場所もないのです。

 「お腹がすいたなあ、腹ペコで、死にそうだ。友だちのところに食べさせてもらおう」そう思って、友だちのところに行くと迷惑がられて、「もう来ないで!」と言われました。

 「人間って、冷たいんだなあ。お金があるときは、仲良くして、ちやほやしていたくせに」。そう思いました。

 もう、死にそうなくらいに辛かったのです。それで、どうしたと思いますか?

そうです。「お家に帰ろう」。そう思ったのです。

いまさら、家に帰れるか。お父さんは決して赦してくれないだろう。そう、思いました。それでもいい。何でもするから。

18節を読みましょう。ルカによる福音書15章18節

ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。

そこで弟は、お父さんのところに帰ったのです。するとどうでしょうか? お父さんは、弟を叱ることなく、心から迎えてくれたのです。

「よく帰ってきたなあ。いつ帰ってくるか、心配してずっと待っていたんだよ」

「何しに帰ってきた。出て行け」とは言わないのです。

ここでちょっと、考えたことがあります。あれっ、お母さんが全然出てこないなあ。お母さんいないのかなあ。そう思いませんか? この問題は、みなさんの課題です。答えが出てきた人は、ぼくに教えてください。

皆さんにとって、家とはどういうところですか。安心して生活できるところ、暖かいところ、大きく育つためにお父さんやお母さんがいっぱい愛情を注いでくれて、落ち着くところ。喜び、希望、愛、訓練、成長、しつけ。社会に出て行くためのすべてが備わっているところ。

 父、母、兄弟の愛情。そういうものが備わっているところですね。

教会も同じです。安心しておれるところ。暖かいところ、平安が見出されるところ。生きる力をなくしたときに、生きる希望と喜びを見出すところ。重荷をイエス様に委ねるところ。自分のありのままを受け入れられているところ。お風呂に入るように、温かくて、リラックスできるところ。

現代

 家は崩壊、子供たちは、食べることもできない、着るものもない。親が子どもを虐待して、子どもが死んでしまう。そういう事件がよく起こります。

せめて教会は、神の国のよろこびが満ちているところ、この世に欠けているものが教会にあるところですね。そういう教会にしたいですね。

 

お祈りします。