2023年9月24日 聖霊降臨節第十八礼拝

2023年9月24日 聖霊降臨節第18主日礼拝

聖 書  出エジプト記20章1~11節

説 教  聖

 本日は、その十戒について説教します。

1.十戒

 第一戒から第四戒までは、神と人に関する愛と恵みの関係と言えるでしょう。

十戒は、神がイスラエルの民に授与された掟、規程です。

2節

わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」

この言葉はこれから神が語られる十戒の序文です。神の救いのみわざによって、430年間奴隷状態にあったイスラエルを神は奇跡のみわざをもって救い出されました。その救いの恵みのみわざを十戒としてイスラエルに授与されたのです。この十戒は、イスラエル民族だけでなく、わたしたちキリスト者にも与えられた恵みでもあるのです。

3

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

これが第一戒です。この第一の戒めは、続く九つの戒めを一つにまとめたもので、「戒めの中の戒め」「戒めの全て」と言われます。 他の九つの戒めは、第一戒のために存在し、第一戒によって他の九つの戒めは理解されるのです。

第二戒は、4から6節です。

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。

 この熱情の神は、ほかの訳では「妬みの神」(カトリック)、「ねたむ神」(新改訳、口語訳、文語訳)があります。この言葉は、「情熱、熱情、熱心、沸騰する、燃え立つような感情」を意味します。神様は覚めた冷ややかなものではなく、燃え立つような愛の感情でもってイスラエルの民を愛しておられるということです。聖書は、神信仰を結婚にたとえることがあります。夫婦は一体である。夫は妻以外の女性と、妻は夫以外の男性とは不倫してはならないと禁じています。次の第七戒 14節

姦淫してはならない。

これに、通じるものであります。この規定は、第一戒と同じですが、偶像礼拝、他宗教に対する禁止事項です。

第三戒は7節

あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

この規定により、神様のお名前を唱えることができず、イスラエル民族は、神様のお名前を忘れてしまったのです。ただ、アドナイと呼び替えました。これは「主」という意味です。英語ではLORD、Masterですね。ちなみに、ヘブライ語の旧約原典には、何と6828回、この神の名が記されているのです。イスラエルの民は、このお名前をアドナイ(主)と読み替えていたのです。つまり、神様のお名前を匿名で呼んでいたようなものです。

 わたしは文語訳聖書をデボーションで使っています。もう10年以上文語訳聖書を読んでいるのです。そこには、なんと6828回もエホバと記されているのです。

 詩編23編、有名な詩編です。「主は牧者であってわたしには乏しいことはない」。

これが文語訳では、「エホバはわが我が牧者なり われ乏しきことあらじ エホバは我をみどりの野にふさせ いこひの水濱にともなひたまふ」というようにです。

 しかし、神様の名はエホバではありません。難しいですが、神学的に「ヤハウェ」と呼びます。ヘブライ語では、次のようになります。

  

神聖四文字(テトラグラマトン)とされています。ヘブライ語は、右から左に読むのですね。  י ヨッド  ה  ヘー  ו  ワウ  ה  ヘー

第四戒は8節から14節です。8節

安息日を心に留め、これを聖別せよ。

 安息日は土曜日ですが、キリスト教はイエス様が日曜日に復活され、日曜日ごとに弟子たちに復活のおからだを現わされたので、日曜日が安息日となりました。この日は、主イエス様と出会う日、主イエス様を礼拝する日なのです。

 新約聖書では、イエス様は安息日に病人を癒したために、安息日を破ったとファリサイ派、律法学者から糾弾され、殺されそうになります。

第五戒から第十戒までは、神の下におけるイスラエルの民の人間同士の規定です。

12節から17節までです。

2.十戒授与の意味

 神様がイスラエルに十戒を授与された意味があります。それは、神のイスラエルに対する思いやりと配慮から来ています。

 もう一度おさらいをしましょう。神の救いの計画

1.創世記 アブラハム 個。神の民の始め (イサク、ヤコブ、ヨセフ 部族)

 2.出エジプト記 モーセとアロン 430年 イスラエル民族、神の民の成立

 3.レビ記 神とイスラエル 聖別 幕屋での礼拝 神の民の聖別

 4.民数記 40年の荒れ野(イエス様の40日) 試練と忍耐 神の民の試練

 5.申命記 祝福と呪い 決断 神の民の自立

   ダビデ王朝 国家の成立(神の国の模型、予表)

   イエス様の十字架の贖い、復活、昇天、再臨 神の国の実現、世の終わり

(上の表の解説)

さきにアブラハムから始め、イサクヤコブ、ヤコブの12人の子たち、とくに11番目の息子ヨセフのことを説教しました。創世記です。ヨセフが奴隷としてエジプトに売られましたが、神の不思議なご計画により、7年間の大豊作、その後7年間の大飢饉がありました。ヨセフはファラオの夢を解いたことにより、エジプトの大臣になりました。飢饉の時にヤコブと11人の子どもたち、孫たち、一族郎党70名がヨセフを頼りに、エジプトに移住するのです。

 それから430年が経ち、70名のヤコブ一族は壮年の男だけで60万人に増えました。しかし、ヨセフのことを知らないエジプト王がイスラエル民族を虐待し、奴隷にしたのです。しかし、ここにも神のご計画がありました。

1. アブラハム 個人です。

ヤコブと12人の子たち、一族郎党70名がエジプトへ、部族

2.430年後 二十歳以上の男だけで200万人、女こどもを合わせれば200万から300万人となる。民族形成。

3.カナン入国 ダビデによる国家形成

そこで必要なのは、憲法、法律。

神は出エジプトの民にカナン入国のために、法律による国家形成の備えをされたのです。

国家として統治するために必要なもの。それは、憲法と法律です。法治主義ですね。日本国はじめ、世界のどこの国も憲法と法律があります。国家統治の基本的な規定です。旧約では、それが十戒と律法なのです。神様は、このダビデにおける国家形成を見据え、十戒を授与されたのです。そして、十戒はユダヤ人イスラエル人だけでなく、キリスト者を含め、人類すべての人々にとって、聖なる神の戒め、規程となったのです。

3.聖 

聖なる神が聖なる言葉をもって、与えられた規定。これが十戒と律法です。

神は聖です。聖なる神の、聖なることば。ですから十戒は聖なるものです。同時に、神は愛であります。神は愛です。愛なる神の、愛なることば。ですから、十戒は愛なるものです。

 十戒は、聖なる神が人間に与えた神の愛の現実化ということができます。

申命記5章では、モーセが出エジプト記20章で神の言葉を取り次いだ十戒のことばを再度語ります。語る相手は、エジプト脱出後40年が経ち、最初にエジプトを出た壮年二十歳以上の60万の民がカレブとヨシュアを除いてことごとく死に、当時19歳以下だった子どもたちでした。その子どもたちは、今やヨシュアに率いられて、カナンに入る民となったのです。

5章6節

わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

以下第十戒まで同じです。

 やはり、戒めですから「してはならない」と否定形が続きます。

 しかし、申命記6章において、この戒めを新しい光をもって肯定的に言い替えているのです。4節、5節

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

ここに聖なる神の愛が示されます。第二戒に「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である」とあります。神様は覚めた冷ややかなものではなく、燃え立つような愛の感情でもってイスラエルの民を愛しておられるということです。

その神を、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、聖なる神、主を愛するのです。

第一戒から第四戒は、このことばに同じです。愛をもって神に応答するのです。その関係です。愛と信頼の関係です。

従って、第五戒から第十戒は、神のもとにおける世界、人間同士の愛と信頼の関係です。

ここには、レビ記19章18節「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」が導かれるでしょう。

ここまでくると、みなさん理解されるしょう。新約聖書におけるイエス様のことばです。

 マタイ22章34~40節

律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。

第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 律法の一点一画も廃ることがないと言われたイエス様の言葉は真実です。

(マタイ5章18節)

この十戒に従順であること。そこにご自身が創造された人間を愛し、慈しむ神のご意思があるのです。御子イエス様は、父なる神に十字架の死に至るまで従順であられました。わたしたちもまた、神の創造の御手の中にあることを感謝し、喜び祝い、霊とまことをもって神を礼拝し、賛美しましょう。