2022年9月11日 聖霊降臨節第15主日礼拝
説教メッセージ
本日は「災いから守られている」と題して説教いたします。司会者が読まれた聖書の箇所は時間の関係上、出エジプト記8章12〜15節ですが、説教の範囲は8章、9章、10章までを含んでいます。ここでは、災いは7章から始まります。それは、前回7章からの説教でした。8月21日ですね。聖書は、出エジプト記7章1~13節でした。説教題は、「命の川、死の川」です。モーセが杖をかざすと、ナイル川の水が血に変わった。そして、蛙の災いと続きました。こうして、8章から10章まで実は災いが9つあります。9の災いです。10番目の災いは、11章、12章となります。
本日の説教の聖書は、8章から10章の範囲です。
7章の「血の災い」「蛙の災い」
8章から10章まで7つの災い
11章は最後の災い(10番目の災い)の予告
12章、最後の災い
7章14節以降では、①「血の災い」とあります。ここから災いが、10章まで続くのです。「血の災い」から始めて7章25節では、②「蛙の災い」、8章12節では③「ぶよの災い」、16節では④「あぶの災い」、以下、9章1節から⑤「疫病の災い」、8節から⑥「はれ物の災い」、13節⑦「雹の災い」、10章に来まして⑧「いなごの災い」、21節⑨「暗闇の災い」と続くのです。これで9つの災いですね。7章から10章まで9つの災いがエジプトを襲い、民を撃つのです。まさに大きな災いが繰り返しエジプトを襲ったのです。
災いはエジプト及びファラオにとって災いです。しかし、イスラエルにとっては、神が起こされる救いのしるし、奇跡のわざでもあります。
8月はわたしたち日本および日本人にとっては、平和の月です。明治維新以来日本は戦争を行ってきました。好戦的なのです。日清、日露戦争に勝利し、韓国を併合しました。第一次世界大戦によって日本はドイツがもっていた中国の権益を奪い、これを植民地化したのです。台湾、東南アジア諸国、太平洋の島々があります。
そして、満州事変、中華事変を経て太平洋戦争となりました。ミッドウェーでの敗北から次々と日本は局地戦で敗北、ついに沖縄、本土空襲、広島、長崎の原爆投下によって無条件降伏をしたのです。8月6日、9日、15日です。
明治維新(1868年)から現代まで154年たちました。1945年敗戦です。明治維新より77年で敗戦。その後、現在の2022年で77年です。
日本は敗北しましたが、(奇跡の復興でバブル期ではアメリカをもしのぐ勢いでした)、韓国はじめ東南アジア諸国は、解放の日、植民地からの解放です。光復節といい勝利の日なのです。
災いはエジプト及びファラオにとっては、災いです。しかし、イスラエルにとっては、神が起こされる救いの出来事、しるし、奇跡のわざでもあります。
さて、この10の災いの内容で注目すべきことがあります。その災いのひとつ、ひとつにおいて、聖書が示しています。それは、エジプトにとっては災いであっても、イスラエル側にとっては、神に守られているということです。神の救いと助けがいま、そこにあるのです。
前回、「血の災い」と「蛙の災い」について説明しました。それは、血の災いについては、7章22節「ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行った」ということです。また、8章3節において、蛙がエジプト中に這い上がって来た時、「魔術師も秘術を用いて同じことをし、蛙をエジプトの国に這い上がらせた」のです。魔術師も神様と同じ奇跡を行うことができたのです。ただ、限界があります。元通りにすることができなかったのです。血を真水に、蛙をもとのところに返すということです。
8章12節からの「ぶよの災い」では、14節「魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたができなかった」とあります。そして魔術師はファラオに進言するのです。15節ですね。
「これは神の指の働きでございます」
魔術師の秘術とは、何でしょうか。一種の手品です。まやかし。幻術です。魔術師は真実のしるし、奇跡を知っていたのです。神の指によるしるし、奇跡だと。(統一協会とは違う。本物の奇跡です。)
災いから守られている
エジプト人とイスラエル人との区別があり、イスラエルは守られているのです。
「あぶの災い」8章16節以下
とくに18節、19節
「しかし、その日、わたしはわたしの民の住むゴシェン地方を区別し、そこにあぶを入り込ませない。あなたはこうして、主なるわたしがこの地のただ中にいることを知るようになる。わたしは、わたしの民をあなたの民から区別して贖う。明日、このしるしが起こる』と。」
このエジプトとイスラエルの区別、バリアがあって神のわざわいを守ってくれている。それは防護壁です。人の目に見えない神の守りの壁がエジプトとイスラエルの間に築かれているのです。
9章
「疫病の災い」 5番目の災い
3節
「見よ、主の手が甚だ恐ろしい疫病を野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊に臨ませる。しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別される。イスラエルの人々の家畜は一頭たりとも死ぬことはない」
6節
翌日、主はこの事を行われたので、エジプト人の家畜はすべて死んだが、イスラエルの人々の家畜は一頭も死ななかった。
疫病は、今の時代は新型コロナ・ウィルスということができます。3年たちましたが、なお収束することがありません。それでも教会は守られてきた。感謝いたします。これからも守られると信じます。しかし、謙虚であることが必要ですね。
「雹の災い」 7番目
9章25、26節
「 雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地域には雹は降らなかった。」
10章
「いなごの災い」 8番目の災い
2節
主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためであ る。」
21節以降
「暗闇の災い」
モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。
イエス様は言われました。わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8章12節)
なぜ神様は、ここまで次々に災いを惹き起こされるのでしょうか。もういい加減にやめてください。エジプトの民はそう願いました(10章7節)。しかし、神は「ファラオのこころをかたくなにされた」ので、ファラオはイスラエルの民を去らすことをしなかったのです。そこには神のご計画がありました。最後の災いをもって、神は、ご自身がまことの神であること、永遠からいまし、また永遠にこれからもおられる神であることを示されるのです。
それが過越しです。このために神は10の災いを惹き起こされたのです。
それは、まことの礼拝とは何かを示すためでした。
今、わたしたちは、この過越しによって、神の小羊たるイエス・キリスト様のおからだと血潮である聖餐を行います。神の贖いのわざの象徴です。ここに出エジプト記の目的があるのです。
イスラエルは守られてきた歴史があります。しかし、差別や迫害、殉教もありました。とくにアウシュヴィッツ収容所では、700万人殺害されたと言われます。苦難を経験してきたのです。それでも守られてきたのか?
21世紀の現代の状況を見ると、ユダヤ人の位置があります。
ローマ書9章以下では、ユダヤ人問題が記されています。新約聖書でもユダヤ人問題があるのです。意味があるのですね。肉によれば、イエス様もユダヤ人です。
本日は敬老感謝礼拝です。敬老の対象者は75歳以上の兄姉です。守られてきた。実感だと思います。病、苦難、誘惑から守られてきた。信仰の道をまっすぐに歩んでこられた。
神の助けと救いを体験してこられたのです。素晴らしいですね。感謝し、お祝いいたします。そして、何よりもイエス様の贖いの恵みを体験された。これこそが大切なことです。ここに一般の人たちの違いがあります。
イスラエルとエジプトの間にバリアがある。神の守りのバリア、防護壁です。教会の敬老の方々には、神の守りのしるしがあるのです。聖霊の導きと守りです。