2021年1月24日 降誕節第5主日礼拝

2021-0124-Shyuuhou

聖 書  創世記50章1~14

説 教  埋葬-愛のわざ

本日の説教箇所は、2020年11月22日の礼拝で「ヤコブの死と埋葬」と題して説教しました。その時に、強調したのは、埋葬地のヘブロンにあるマクペラの畑の洞窟という墓のことであります。この墓に、アブラハム、イサク、ヤコブが埋葬されたのです。

本日は同じ聖書の箇所ですが、別の観点から埋葬について、神のことば、聖書のメッセージを取り上げ、わたしたち人間に啓示されている聖書の霊感と神の恵みである永遠のいのちについての信仰を分かち合いたいと願っています。

本日の説教題は、「埋葬-愛のわざ」です。以下の3ポイントで説教します。

1.ヤコブの死

先祖の列に加えられた。満ちたりて死ぬということ。

2.葬儀の準備と葬儀

3.埋葬

1.ヤコブの死

 49章29節以下になります。ヤコブの死について次のように記されています。

ヤコブは息子たちに命じた。「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。 それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。 そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」

ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。

ここで注目すべき言葉があります。「先祖の列に加えられた」という言葉です。2度出てきます。29節「先祖の列に加えられる」、33節「先祖の列に加えられた」。また、「先祖たちと共に葬ってほしい」と遺言しています。この遺言は、47章28~30節にもあります。

ヤコブの遺言と創世記の著者は、ここで「先祖の列に加えられる」ことに最大限の注意を払っていることが分かります。強調しているのです。

創世記には「先祖」という言葉は、たくさんあります。ひとつひとつ引用しませんが、とくに有名なところを挙げます。15章15節。神がアブラハムに言われた言葉です。

あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。

25章7~9節 アブラハムの死と埋葬の時の聖書の言葉です。

 アブラハムの生涯は百七十五年であった。 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。

35章28、29節

 イサクの生涯は百八十年であった。 イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。

そして49章29節以下ですね。33節。

ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。

聖書は、亡くなることを「先祖の列に加えられる」という言葉を使っています。死ぬことは、先祖の列に加えられるというのです。日本ではご先祖様になるのですが、先祖が神になるのではありません。これは大切なことです。人間は罪びとですが、イエス様の十字架の贖いにより罪を赦し、義としてくださる天地創造の神様を信じること。これが一番大切なことです。

さて、人の死と埋葬は、悲しみです。若くして死んでいれば、残された家族は悲しむでしょう。しかし、ヤコブは147歳で亡くなりました。高齢の老人であり、その死の時はすでに一族郎党70名がいました。12人の息子とその孫たち、ひ孫たちです。大往生です。その死は悲しみというより、神への感謝、よく生きたという一種の満足、悦びです。まさしく満ち足りて死ぬのです。神が共におられ、祝福された、その人生を感謝することです。

神を信じ、すべてが神の御手のうちにあることを信じて、神にあって生き、神にあって死んだ先祖たち。アブラハム、イサクという信仰者を先祖に持つ。そのことの喜び、名誉、感謝がそこにあります。そして、ヤコブもまた、その信仰をもって、先祖たちの神のもとに帰る。そして、神のもとに永遠の安息を先祖たちとともに眠る。これが聖書の死生観でもあるのです。

2.葬儀の準備と葬儀

ヤコブは死にます。息子のヨセフは葬儀の準備をします。聖書は、50章のはじめにヤコブのなきがらに薬を塗り、防腐処置をしたと記されています。2節ですね。40日かかりました。ミイラですね。それから70日の間喪に服します。この喪に服す期間について、国によって、また時代によって異なることでしょう。

 喪が明けると、葬儀を執り行うことになります。ヨセフはエジプトの王ファラオに願い出て、父を葬るためにカナンの地に行くことの許可を得ます。カナンの地に葬ることがヤコブの遺言だったのです。

7節「ヨセフは父を葬りに上って行った。ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。

10節「非常に荘厳な葬儀を行った」-エジプト流の盛大な追悼の儀式 アベル・ミツ

ライム」です。「追悼の儀式は7日間にわたって行われた」とあります。エジプトの大臣としてのヨセフの権威とちからが表れた葬儀だったでしょう。

こうして、ヤコブの葬儀は終わります。今でこそ、日本人で、外国で亡くなった人のために飛行機で遺骨を持ってくることがあります。先週の礼拝では中村哲氏のことを申し上げましたが、テロで銃撃され亡くなりました。飛行機で遺骨を運び、出身地である福岡で葬儀が行われました。

今から3500年以上も昔に、エジプトで亡くなった老人、147歳のヤコブのために葬儀をする。大変な事業ですね。国葬というのがあります。エジプトの大臣に抜擢されたヨセフの父とは言え、その葬儀は規模が大きく、大行列であったでしょう。まさしく国葬に近いくらいの葬儀です。

3.埋葬

  12、13節

それから、ヤコブの息子たちは父に命じられたとおりに行った。すなわち、ヤコブの息子たちは、父のなきがらをカナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った。それは、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人 エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。

ヤコブはこうして、アブラハム、イサクが葬られた墓地に一緒に葬られたのです。このマクペラの畑の洞穴については、11月22日の礼拝で「ヤコブの死と埋葬」と題した説教に詳細にお話しました。教会のホームページに保存されていますので、お読みいただければと思います。

最後に墓について、改めて教会の信仰として論じます。墓とは、そこから神を仰ぎ見る、天国、神の国を仰ぎ見る、埋葬された聖徒たちの信仰の証しでもあるのです。

わたしたちキリスト者は、イエス・キリストにおいて、すでに永遠のいのちを与えられています。キリストを信じる者は、アブラハム、イサク、ヤコブを信仰の先祖としてその信仰を敬い、承継するものです。そして、2000年の間、迫害、殉教によって血潮が流されてきましたが、その信仰者と共に、平和を造るために祈り、努力してきたすべてのキリスト者がいる神の国の恵みにあるものとされるのです。日本基督教団仙台青葉荘教会、全世界の教会の信仰者と共に、その先祖の列に加えられるものとされるのです。

教会員が召された時、教会で葬儀をする。葬儀と埋葬は、教会のわざであり、そこに愛のわざがあることを覚えましょう。