聖 書 詩編91編1~16節
説 教 神の陰に宿る
2021年の新年を迎えました。昨年はコロナ・ウィルス感染によって、世界中が騒然としました。毎日、繰り返しコロナ・ウィルス感染者の数が報道されました。ここ、仙台においても首都圏ほどではないにしても、東北の中でも最大級の感染者が出ています。世界を見ても、コロナが収束することはなく、むしろ激しくなってきているように思われます。教会として、信仰者としての責任、祈りと信仰により世のために祈る責務がるように思います。
さて、例年、元旦礼拝を行ってまいりましたが、今年はコロナ・ウィルス禍のために中止いたしました。本日の新年最初の聖日礼拝において、新年のみ言葉としたいと願っております。
説教題は、「神の陰に宿る」です。聖書は、詩編91編となります。以下の三つのポイントで恵みを分かち合いましょう。
1.神の呼び名
2.神の陰に宿る
3.十字架の贖いと勝利
1.神の呼び名
1、2節
いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能者の神の陰に宿る人よ。主に申し上げよ。「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」
ここには、神様に対する4つの名前が使われています。それぞれの呼び名は創造主なる神様に対する畏怖の念と神の力に対する驚きして表されているのです。
①「いと高き神」は、「至高神」とも訳している聖書があります。「いと高き神」はヘブライ語で「エリオーン」です。この名前は、創造主を「他の神々よりもはるかに優れた存在」、または「天と地を創造し所有し、統べ治める方」として呼び求める時に使われた名前です(創世記14:18-20)。「他の神々よりも」というのは、当時の3500~4000年前の時代の他民族が信じていた偶像宗教の神々を念頭に置いているわけです。
②「全能者の神」とくに「全能者」はヘブライ語で「シャダーイ」という言葉です。
使徒信条の最初に「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白します。神は全能の方である。これがわたしたちの信仰です。
③2節の「主」は英語の聖書によっては、「ヤーウェ」または「ヤハウェ」と訳されています。旧約聖書では、「主」と記されているところは、すべて「ヤハウェ」となっています。文語訳聖書では「主」というところはすべて「エホバ」となっています。この名前は、ユダヤ人にとって神聖な名前であり、軽々しく口にしてはならない名前です。十戒の第3戒「神の名をみだりに唱えてはならない」とあります。神聖4文字、テトラグラマトンと呼ばれています。以前は、主を意味する「アドナイ」と置き換えられていたのです。
④「わたしの神」は「エロヒーム」と呼ばれます。この言葉は、神を唯一の創造者として呼ぶときに使われた名前です。
詩編91編は、神の4つの名を挙げつつ、神と信仰者の関係を言い表しています。
2.神の陰に宿る
1節の「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能者の神の陰に宿る人よ」
9節には、「あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした」とあります。
1節と同じですね。宿ると2度使われています。
宿るとは、神の保護のもとに自分を置くことです。一緒に住む、留まることを言います。
4節には「神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾」とあります。全能の神の保護、守りが完璧であるということです。
ヨハネによる福音書1章14節「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とあります。天幕、幕屋において、共におられ、ご臨在を現わされる神です。主のご臨在とともにあること。そのもとに留まり、一緒に住み、生活するのです。そこには神に対する信仰の告白があります。そして、主なる神に対する絶対的な信頼関係、安心感があります。神との契約関係に基づく信仰です。
2節 主に申し上げよ。
「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」と
神様を避けどころとする。避けどころとは、シェルターですね。逃れ場です。
シールド、保護膜です。全能の神に守られていることを表しています。
全能の神に宿る者の大きな祝福が3節から13節に挙げられています。2節の結果としての神の守りと安全の保証です。
3節 神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
神の救いは、敵からの仕掛けられた罠、トラップ、また、陥れる言葉からも救い出してくださるのです。人は言葉で傷つけられることがあります。神の慰めと助けです。
今のわたしたちの社会は、ハラスメントで満ちています。ハラスメントとは、『嫌がらせ、いじめ』です。他者に対する発言・行動等が相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えることを指します。パワハラ、セクハラ、アカハラ、モラハラなど沢山あります。何気ない言葉、無意識の言葉や態度が人を傷つけることがあります。
教会でも気をつけたいですね。
6節 暗黒の中を行く疫病も、真昼に襲う病魔も
10節 あなたには災難もふりかかることがなく、天幕には疫病も触れることがない。
今は新型コロナ・ウィルスという疫病が蔓延していて、世界中に災難が降りかかっています。しかし、神を信じる人たちに、主なる神は守ってくださる。これが約束です。
天幕には疫病もサタンの悪だくみも守られるのです。それは、主がともにおられるからです。
出エジプト 災難があっても、イスラエルの民がいるところは守られていたのです。
昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、神の臨在を示しておられるのです。
11節 主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
12 説 彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。
ここのところは、マタイ4章6節に引用されています。イエス様は洗礼を受けられた直後、40日40夜、荒野に導かれ、サタンの誘惑に遭われました。その時のサタンの誘惑の一つに、詩編91編の11,12節の言葉をもってイエス様を誘惑したのです。み言葉がサタンに利用される。注意しなければなりません。
イエス様は、「あなたの神である主を試してはならない」とサタンを退けられました。
この言葉は申命記6章16節にある聖句です。
14節以下は、7つの祝福を神ご自身が約束されておられます。
1. 14節 災いから逃れさせよう。
2. 彼を高く上げよう。
3. 15節 呼び求める時、主は答えてくださる。
4. 苦難が襲う時、共にいてくださる。
5. 名誉を与えてくださる。
6. 16節 生涯満ちたらせてくださる
7. 救いを見せてくださる
これらの祝福は、主を避け所にした人を神が救われる過程を示しているとも言われています。どのような逆境に立たされていたとしても、主を愛し、鎖のように離れないのであれば、主が共にいてくださるという約束は心強いことです。
この詩編は、神と信仰者の関係は、愛に満ちた家庭の親と子の関係にたとえられます。とくに幼な児と保護者である両親の関係ですね。親は子を愛し、受け入れ、守ります。最大限の愛をもって、子にその愛を注ぐのです。子は、親の愛情を受けて、成長し、安心感を持ち、生きることの喜びを体中に表現します。そこには信頼関係が溢れています。そのような家庭を形成していくこと、これがクリスチャン家庭の目標であり、社会への模範となるべきことだと思います。
まさに愛によって築かれた信頼関係が表されています。幼い子どもが、両親に対する信頼の表明です。散歩に行くとき、あるいは、街に買い物に行くとき、すれ違う親子を見ていると、親子が手をつなぎ、歩いています。ほほえましい情景です。幼い子どもは親の手をしっかりと握っています。そこには、愛されていることの喜びと信頼があります。幼い子どもは、そこに安心感、安全であることを無意識に知っているのです。
わたしたちと神様との関係も同じです。幼い子どもが成人すると、親から自立し、時に離れて生活するようになることもあります。それでも親子の絆はしっかりと結ばれている。
年末年始、コロナのために帰省も外出も控えようになりましたが、帰省できなくても、会えなくても、親子の絆は固く結ばれているのです。
わたしたちの信仰も同じです。父なる神様としっかりと結ばれている。その信頼関係は主イエス・キリストの十字架の贖いと恵みによって確かにされているのです。神の陰に宿る、それは十字架の恵みのうちにいることです。キリストの十字架がわたしたちの前面にあって、あらゆる悪と罪から守り、戦い、勝利してくださるのです。
何という素晴らしい愛でしょうか。主に信頼してこの年も進んでまいりましょう。
祈り
新しい年、前途にある困難、試練があります。コロナ禍の中だけでなく、病、若い人たちは、閉塞した経済の中で、行く道が狭くなっています。あなたは全能の神、いと高き神、無から有を呼び出される神でいらっしゃいます。あなたの栄光を現わし下さい。
主よ、教会の伝道が進みますように、教会形成がなされ、キリストのかたちがなるように、聖霊をお注ぎください。わたしたちが救われたように、この世の苦しみ、不条理の痛みから救われる方が起こされるように、わたしたちもまた、罪にあって苦しみ、悩みにのたうち回っていたものです。コロナ禍の中で不安と恐れの中にある人たちに神からくる平安と安心感がありますように。あなたはいつも共におられ、ご臨在されているからです。
そのことを気づき、霊の目が開かれますように。