2020年10月11日 聖霊降臨節第20主日礼拝

2020年10月11日 聖霊降臨節第20主日礼拝

聖 書  ローマの信徒への手紙1章16,17節

説 教  神の義の啓示

2020-1011-shuuhou

先週はノーベル賞週間と言われました。発明家ノーベルがダイナマイトを発明して莫大な資産を築き、その遺産を基金とする世界的な賞がノーベル賞です。物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与されるとのことです。研究者冥利に尽きる賞ですね。

 本日は、ローマの信徒への手紙1章16,17節から「神の義の啓示」と題して説教します。以下の3点についてみ言葉の恵みを分かち合いましょう。

●神の力

●神の義の啓示

●義人は信仰によって生きる

●神の力

 

16節を読みましょう。

 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

ローマ書1章16~17節は、福音とは何かという「福音」の核心を表現していると言われます。ここに、福音の本質が言い表されているというのです。本日の聖書の箇所、1章16節、17節、この短い節に福音を恥としないというパウロの福音そのものへの信仰理解が表明されているのです。

この手紙に表されている福音とは、「救いに至らせる神の力」であります。パウロは、身をもってこの福音を体験し、生涯をかけて宣べ伝えるのです。そして、その力が働くのは「すべて信じる者に」であり、ユダヤ人と異邦人の差別はない、つまり割礼を受けているユダヤ教徒であろうが、割礼のない異邦人であろうが無関係であるのですね。その根拠は、神の義が信仰に対してのみ現されるからです。

パウロは、この手紙において、最初の出だしで福音の本質を表し、ここから福音について展開しています。ここでローマの信徒への手紙の構成について、考えたいと思います。目次のような性質だと考えることができます。手紙なのですが、ローマ書は普通の手紙とは異なります。信仰の教理的なこと、教えの内容を論理的に展開しているからです。次のように手紙の内容が構成されていると考えることができるでしょう。

 

 前置き  挨拶と主題提示 1章1~17節

 第一部  信仰による義 1章18~5章11節

 第二部  キリストにおける生 5章12~8章39節 

 第三部  イスラエルの救い 9章11~11章36節 

 第四部  実践的勧告 12章1~15章13節

 結 び  計画の表明と個人的挨拶 15章14~16章27節

 

この構成によって説教を行いますが、本日の1章16,17節は、主題提示ということができます。

 福音とは、神の義の啓示です。それは、救いをもたらす神の力であると記されています。

福音とは、Good Newsであります。幸いな知らせです。何が幸いか。イエス・キリストによってもたらされた神の国の啓示ですね。「神の国が近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」と主イエス様は言われました。

 人間を縛り上げた重荷、桎梏つまり足かせですね。罪の奴隷となっていること、それは滅びであり死です。しかし、福音は、これらすべてを解放する力があるのです。まことの救いへと導く知らせです。それが福音です。

福音を信じる時、救いが来る。神の力によってです。力とは、ギリシャ語ではデュナミスです。英語の「ダイナマイト」(dynamite)の語源になっている言葉です。神の力は、イエス・キリストを死の中からよみがえらせた復活の力であり、悪魔の要塞を完全に打ち破ることのできる力なのです。全能の神のちから、まさしくすべてを統治される神の力です。そのちからは、わたしたちを悪魔とその罪の支配から救い出すことができるのですね。この神の力があらゆる問題に打ち勝つ力を与えてくださり、その人格を全く新しいものに造り変えることができるのです。このちからは、破壊と恐怖のちからではありません。いのちであり、死に打ち勝たれるちから、この救いを得させる神の力が、わたしたちに差し出された神の愛と恵みです。これこそが福音であり、イエス様によって啓示された特別の恩寵なのですね。神の力と神の義とは、大きな関係があります。

 

●神の義の啓示

次に17節を読みましょう。

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

ここで二つのことを説明します。

第1は、義ということです。

 義とは、正しいということです。義人は正しい人です。翻訳の問題があり、すこしややこしいのですが、口語訳聖書は、義ということばで訳されていました。新共同訳の聖書は、それが「正しい」と訳されています。従って「正しい人」は、口語訳聖書では、「義人」ですね。同じ意味です。(斎藤兄は、「義」と書いて、ただしと読まれます)

 「あの人は義人だ」というのは、「あの人は正しい人だ」と同じです。

 この正しいと認めるのは、誰でしょうか。世の人、世間一般の人たち、マスコミ、多数者?

 この義は、神との関係をさします。神との関係が正しい、それが神の義です。その神の義とは、どういうことか?

次回に続いて説教します。